侯爵令嬢、なつかれる
前世では決して勤勉ではなかったシエナ。なので歴史上の人物についての理解度は高くはなく、せいぜい大河ドラマや授業で聞きかじった程度の知識しかない。
しかし、自分と同じ隻眼の伊達政宗の生涯について聞くのは、イザクにはとても興味深かったらしい。真剣な表情でシエナの話に耳を傾けていた。
イザクは隻眼であることに非常に劣等感を抱いている様子だったので、同じ隻眼の偉人が後の世で愛されていることを教え、イザクが自分に自信を持ってくれればいいと思い話し出したシエナは、話して正解だったと思った。
「朝日が眩しいわ……」
燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら、シエナはうっすらと隈の浮かぶ顔で呟いた。
最初から伊達政宗について語っていればよかったと思うほどにイザクは想像以上の食いつきを見せたので、話しこんでいたら夜が明けてしまった。
明け方になって、意外にもイザクはベッドに座ったまま腕を組んで眠りこんでしまった。獣の眠りのようではあるが、それでも初対面のシエナの前で王が寝たことに、シエナは驚いた。
「……無理もないか。ここ一年、毎晩他人を連れこんでは突き放す日々だったんだものね」
ただでさえ多忙な日々を送っているだろうに、毎晩他人に拒絶される日々を送って心も体も休まる時がなかったのだろう。ここにきて一気に疲れが出たのかもしれない。
「しっかし、結局陛下に女遊びをやめさせる件はうやむやになってしまったわね」
まあその件に関しては、イザクが色事に狂った王ではないことが判明したし、きちんとした理由があってのことだったのでさほど問題ではないだろう。それにシエナは、イザクは貴族の令嬢を二度と呼ばない気がした。
「安らかに寝ちゃってまあ」
起きている時には難しそうに眉間の皺が刻まれていたが、今のイザクは綺麗な寝顔を晒し穏やかな寝息を立てている。憑き物でも落ちたみたいなイザクの様子に、彼の心を少しくらいは救えたのかもしれないな、とシエナは満足する。
「さて? お父様は『一晩』と言ったし、私はお役御免ということで帰っていいはずよね?」
イザクが目を覚ましたら挨拶を済ませて辞そう。リリーナは隣室で心配しているだろうから早く安心させてあげたいし、健康に悪いから自分も早く帰って眠りたいとシエナは思った。
一晩気を張っていたせいか、今になって緊張の糸がゆるみ眠気が襲ってきた気もする。シエナは欠伸を噛み殺し、両腕を天へ突き上げ伸びをした。
「でも、私はここでは寝られないわ……」
王が暴君ではないことも、色に溺れているわけでないことも分かった。が、だからといってシエナは初対面の人間と見知らぬ場所では寝られない。
「危険はどこからやってくるか分からないもの」
何のメリットがあるかは分からないが、シエナの寝首をかこうとする者が王宮にいないとは限らない。敵はどこに潜んでいるのか分からないのだから。敵って誰だよ、という質問はシエナにとっては愚問である。世の中の危険全てがシエナにとっての敵で悪だ。
「早く館に戻って安眠を貪りたいわ……でも、陛下は寝たばかりだし、起こすのは忍びないわね」
いくら上質なクッションを重ねているとはいえ、ベッドの背に上半身を預けて座ったまま眠るのは体勢的にしんどいのではないか。シエナはそう思い、横にならせてあげようとイザクへ手を伸ばした。
しかし――……。
「……っ」
イザクへ触れる寸でのところで、目を覚ました彼に手首を掴まれる。瞬間的に、寝台の周りに火の玉がボボボッと姿を現した。
「陛、下」
早くなった鼓動を落ちつけようと肩を上下させ、シエナが囁く。イザクの左目がシエナの姿を捉えると、火は消え去り、イザクはシエナの手を離した。
「――――すまない、お前か……そうか、あの後……」
回りきらない頭でイザクは呟き、髪を掻き上げた。
「俺は、お前の前で眠ったのか……?」
驚愕を隠しきれない様子で、イザクが問うた。シエナは動揺したまま頷く。
「ほんの一時間程度ですが」
「そうか、すまない。驚かせたな」
謝りながら、何か思うところがある様子でイザクは考えこむ。
落ち着いてきたシエナは、どうやらイザクも自分と同じタイプの人間らしいと踏んだ。警戒心の強い男なのだろう。ということは、『そうなった理由』があるはずだが。
(彼の心の闇を救えたと思ったけど、それはほんの一部分にすぎないのかもね)
シエナはそう思ったが、気にしても仕方がないと思った。なにせ、イザクとはもうお別れなのだから。
「いえ、こちらこそ起こしてしまい申し訳ありませんでした」
シエナが謝る。しかし、イザクは不服そうな顔をした。
「……その口調をやめろ」
「へ? 何か失礼がございましたか?」
「いや、逆だ。丁寧すぎて――……昨日のお前は、ところどころ崩れた話し方をしていたな。あれが地だろう。あの話し方で構わない」
シエナはきょとんとした。イザクは気まずそうに視線を泳がせる。堂々とした王らしからぬ態度に、シエナははて、と思う。
もしやイザクは、シエナに対等に接してほしいのだろうか――……。
「ええっ!?」
辿りついた結論に驚いてシエナは大声を上げた。
「とんでもないです陛下。私なんかが陛下に気安く口を聞いてよいはずがありません!」
ついポロッと気安い口調になることがあっても、基本的にそういうことが許されるのは前世でのマンガやアニメの中だけのはずだ。
「何でだ。俺が良いと言っている」
イザクは整った顔をむすっと歪ませる。この男は大人びた見た目の割に子供っぽい一面があるなぁという思いは、今はどうでもいいとシエナは頭の隅に追いやった。
「いえ、私はそんな身分ではございません。それに私はもう挨拶を済ませて辞するつもりでしたので、陛下にお目にかかることもないと存じます。ですので、そのような過分なお心づかいは……」
「辞する? 帰るつもりなのか?」
「え、もちろんです」
即答したシエナは、黙りこんだイザクをよいことに身支度を整える。とはいえ寝ていないので、皺になったドレスを手で払って伸ばしたくらいだ。
「それでは陛下、どうか息災で――……」
ドンッ!
ベッドから降りようとしたシエナだが、台詞を言い終わらない内に、イザクによってベッドの背へ追いやられ手をつかれた。一瞬の動きに吃驚したシエナだったが、それより驚いたのは、イザクの腕の中に閉じ込められてしまったことだった。
(これが壁ドン……!! 前世でも体験したことのないリアル壁ドン……!! やだ、意外と圧迫感あるのね……)
妙な感動を覚えながらイザクを見上げる。間近に寄ってもイザクの肌は磁器のようで、毛穴一つ見つからない。
「陛下って肌もお綺麗なんですね……じゃなくて、えーと、陛下、一体これは何の真似でしょうか」
「……帰したくないと言ったらどうする?」
「え……?」
シエナは空色の瞳を見開く。イザクはシエナの頬にかかった髪を耳へかけながら言った。
「お前は俺に言ったな、女遊びをやめて側妃を娶れと。ならば――――お前を妻に迎えると言ったら、どうする?」
突然の求婚に、シエナは王の前ということを忘れて口をポカンと開けた。