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侯爵令嬢、解きほぐす

 唇から伝わってくる、皮膚の固さと数えるほどしかない産毛のような睫毛の感触。


 相当痛かっただろうな、とシエナは思った。自身も文字通り死ぬほどの痛みを味わったことのあるシエナだが、激痛を超えて生き残ったのに今度は周囲から拒絶されたイザクの心の痛みを推し量ると辛くなる。


 一旦唇を離すと、信じられないものを見るような目でこちらを見つめるイザクと視線があった。


「気が触れたのか……?」


「まさか。正気もいいとこですよ」


 シエナは微笑んでからもう一度傷痕へ口付ける。傷痕を癒すようにそっと。二、三度繰り返してから、唇を離す。


 抵抗されるかと思ったが、イザクは瞳を揺らし、されるがままにしていた。身を固くした様子はそれまでの威圧感溢れる王とは違い、どこか借りてきた猫を彷彿とさせる。自分の想像を超えたシエナの行動に、ただただ困惑を極めている様子だった。


 結局シエナがやめるまで、イザクは無抵抗のままでいた。驚愕をあらわにするイザクへ、シエナは諭すように語りかける。


「もう一度言います。貴方は醜くなんてありませんよ、陛下」


「……お前……」


 それ以上イザクの言葉は続かず、彼は口付けられた傷痕に触れた。それから当惑混じりにシエナを見つめる。シエナがけろりとした表情で見つめ返すと、イザクは一拍の間を置いてから、降参と言わんばかりに喉で笑いを転がした。


「……はっ。大した女だ」


 イザクが笑ってくれた。――――――――どうやらシエナの本心は伝わったようだ。


「――――俺の傷痕に触れた酔狂な女はお前が初めてだ」


「ご無礼をお許し下さいませ、陛下」


 寝台の上で姿勢を正し、シエナは深々と頭を下げた。


 すると頭上で、かすかにイザクが笑い肩を震わせる気配がした。驚くほど、先ほどより纏う雰囲気を和らげて。


「……? あの……?」


「いや、悪い。そうやって粛々としていれば絵になる女なのに、突拍子もないことをしたもんだと思ってな」


「だって陛下に信じてほしかったんですもの」


 思い出して、我ながら大胆なことをしたものだと頬に熱が集まる。そして無礼を働いたにも関わらず、イザクが気分を害していないようでほっとした。


「陛下のお心をおもんばかることなく、また事情も把握せずに側妃を娶るべきなどと発言した非礼もお詫びいたします」


「いや、事情を知らなかったなら仕方のないことだ。オルゲートに命じられたのなら娘のお前が断ることは出来なかっただろう。俺の方こそ、王としてとるべき態度ではなかった」


 打って変わって素直なイザクに、シエナはおや、と思う。この王は、自分が思い描いていたよりずっと言葉が通じる相手なのかもしれない。


「あの、聞いてもよろしいでしょうか? 陛下はどうして貴族の者たちが令嬢を送ってくるのを断らなかったのですか?」


 女性を軽蔑しているようだったのに、とまでは続けられなかったが、イザクはシエナの言いたいことをしっかりくみ取ってくれたようだった。


「……権力狙いの貴族をあぶり出すのに役立つから止めなかった。この国では人身売買を禁じているにも関わらず、中には街で買った娘を連れてくる愚かな輩もいたからな、それによって貴族の悪事を摘発することも出来た」


 シエナは満月のように大きな目をしばたく。……好色なんてとんでもない。眼前の王には、名君としての器があるのかもしれない。


(お父様が『見込みがある』と言っていたのは、陛下の人柄を看破していたということかしら。もしくは、陛下は女以外にはちゃんと王らしく接しているのかもしれない)


 そうであるなら、オルゲートの手のひらで転がされた気がして面白くない。食えない父親を思い出し、シエナは口をへの字に曲げた。


 そんなシエナの心中はいざ知らず、イザクは「だが」と続けた。


「絶対に俺を受け入れる者はいない。そう思いながらもどこかで期待する自分がいて、貴族に勧められるまま娘たちを招いては、試すような真似をした部分もある」 


 そうして女性たちに裏切られる夜を一年も続けたのか。夜を纏ったような風貌の王を見て、シエナは眉を下げる。本当に、夜のように孤独な人みたいだと思った。抜き身の刀のように美しい彼は、その刃で自らを傷つけていたのだ。


「……父が、オルゲートがどうしてここへ私を寄こしたのか分かった気がします。父はきっと、陛下が……そうやって自分の傷痕を見せて、相手に拒絶されることを恐れて先に自分で自分を『醜い』と罵って、傷つけているのをやめさせたかったんだわ」


「……お節介な奴だ」


 イザクは苦虫を噛み潰したような口調で言った。それからシエナの髪へ手を伸ばし、水色の珍しい毛先を弄びながら言った。


「オルゲートに言われた。偏見のないお前なら、俺の傷も受け入れてくれるだろうと。あの時は馬鹿な話だと一笑にふしたが、どうやらお前は他の女とは違ったようだな。シエナ」


 今日初めて名前を呼ばれ、シエナは驚いて顔を上げる。思った以上に近い位置にイザクの整った顔があり、心臓がどきりと音を立てた。


(ドキッてなによドキッて! しっかりしなさい私。相手は大人びているとはいえ、前世の私より年下なのにときめいてんじゃないわよ!)


 現世の自分よりイザクの方が年上であることは頭から抜けているシエナだった。


「あ、陛下。陛下にお聞かせするお話を何にするか決めましたわ」


「話?」


 シエナが不自然に切り出したのでイザクは訝しげな顔をしたが、続きを促した。


「そうです。私、父に陛下へ寝物語を語ってくると約束して参りましたので」


(そうよ、これが主題よ私!)


「眠るまでお付き合いください。お伽噺、ではないですが……貴方と同じように片目を失いながらも、後の世で偉人だと皆に今も愛されている、武将の話を語りましょう」


「へえ? いいな。夜は長い。語って聞かせろ」


「遠い、遠い異国での実話です。主人公は伊達政宗といって――……」


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