侯爵令嬢、やらかす
こんな時になって、シエナはふと思い出した。炎王イザクは、その業火のような怒りで瞳を自ら焼いたという逸話まである男だと。
痛々しい傷痕から目を離せないでいると、イザクは淡々と語りだした。
「都合のよい逸話が出回っているようだが、これは炎王と呼ばれるほどの魔力を得た代償だ。当時子供だった俺の右目は、自らの強すぎる魔力によって侵され、業火に焼かれた」
「そんな……」
「俺の右目が焼け爛れたことで、それまで俺を可愛がっていた母親は気味が悪いと俺を罵り避けるようになった。嫁いできた王妃はおぞましいと俺を疎み、貴族の女たちは俺の右目を見るなり怯えて泣いた。『怖い、許してくれ、助けてくれ』と……」
思い出して胸糞が悪くなったのか、イザクは小さく舌打ちした。
「貴族たちから送られてきた娘の誰一人として抱いてはいねえよ。女たちが俺に抱かれた上で捨てられたと言ったならそれは、王を気味悪く思って逃げ出したと知られるより、抱かれたとうそぶく方が自分の矜持を保てると思ったからだろうなぁ……!」
「…………」
「そんな女たちを俺が妃に迎えると思うのか?」
告げられた真実にシエナは言葉を失う。そして先ほどから感じていた矛盾に得心が言った。
(――――……ああ、この人は色狂いどころか、自分を忌み嫌う女という生き物を軽蔑していて、そして――……)
自分のことも嫌いなんだろう。
のしかかられて感じるのは威圧のはずなのに、どうにもイザクから注がれてくるのは悲しみばかりの気がして、こちらまで胸がしくしくと痛みだす。
「……どうだ?」
顎をすくわれて、シエナは存在しない右目と視線を合わせられる。
「目を反らしたくなるようなこの傷痕を、お前も醜いと思うのだろう?」
まるで答えを確信しているような物言いだった。そして、答えを聞いたうえで傷つく覚悟をしているような目だった。……一切の嘘は許されない。シエナはそう思った。
「――――思いませんわ」
「嘘をつくな」
間髪いれずに否定されて、本心からの言葉だったのにシエナは気がくじけそうになる。しかしここで怯んではいけないと思った。
「思いませんわ。だって私」
再びイザクが否定の言葉を紡ぐために口を開きかけたのを見て、シエナは矢継ぎ早に言った。
「だって私、此処へ来るまでに馬車の中で見たもの。フィンベリオーレの繁栄と栄華が体現された街を。それは陛下の……イザク様の目を焼きつくすほどの魔力が、外国の脅威となり、そしてこの国の活力となって支えているからこそ実現された景色」
馬車の中から見下ろした街並みを瞼の裏に思い描く。地上にも満天の星空があるのかと錯覚するほど、街は光に満ち溢れ、活気づいていた。それはきっと、眼前の男が築き上げた功績だ。
「貴方の失った目で、あんなにも美しい世界は保たれているのよ。それを醜いと思うはずがありません」
シエナは一片の曇りもない瞳で言った。イザクの心にしっかり届くように。
「…………っ!」
次にうろたえるのはイザクの番だった。鋭い左目を何度かしばたいて言葉を探しあぐねている。彼の心の中で、困惑と疑心がせめぎ合っているようだった。
それから、イザクは片方しかない目でシエナの双眸を覗きこみ、シエナの中に欠片でも偽りがないか探り出そうとした。だからこそ、シエナもイザクから視線を一切反らさなかった。
やがて、イザクが口を開く。警戒心の強い王の口調には先ほどよりも力強さが欠けていた。
「――――……舌のよく回る女だ。だが、言葉ではどうとでも言える……!」
「信じてはくれないのですか」
シエナの声に落胆が滲む。イザクは勢いを取り戻しつつあった。
「当然だ。実の母親さえ俺を受け入れはしなかったのに、今日初めて会ったお前の言葉を信じられると思うのか?」
そういえば、イザクの母親――王太后は、イザクの弟を連れて別の城に移り住んでいるとの噂だ。
……どうやら、一番身近な異性にすら拒絶された王の心の闇は根深いようだ。シエナは心の中で溜息を一つ落とし、おもむろに起き上がった。
驚きはしたものの、シエナからすると、本当に平気なのだ。
前世で刺され血まみれになって失血死したシエナは、現世では止血方法や医術を学ぶために医学書も読み漁ってきた。その過程で内臓の写真やらも大量に見てきたので、花や蝶しか見慣れていない他の令嬢たちのように傷痕で怯えることなどないし、むしろイザクの傷痕は名誉の勲章にさえ見える。
ただ、それをどうイザクに伝えるか――――……。
自分が子供の頃、言葉で安心出来なかった時は相手にどうしてほしかっただろうかと思い返す。そして思い当たった。相当度胸のいる答えだったが。
「……言葉は信じてくれませんか。では、態度で示しましょう。――ただし」
シエナはイザクの前に人差し指を突き立てて前置きした。
「約束して下さい、腹を立てても絶対に私を手打ちにしたりしないと。死ぬのは絶対ごめんです。私が恐れているのは陛下のその目ではなく自らの死ですから。――では失礼っ」
「――――……は? おい……っ!?」
言うが早いか、シエナはイザクの頬を両手で挟みこみ、自らの方へ引き寄せた。イザクの驚いた表情が視界いっぱいに広がり、少し可愛いかもと思う。
そして次の瞬間――――――シエナはイザクの肉の盛り上がった右目部分に口付けた。
やらかしました。