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侯爵令嬢、誓う

最終話です。

「ついに愛娘が結婚か、寂しくなるなぁ……」


 魔犬の討伐から無事に帰還したオルゲートは、館の執務室で新聞に目を通しながらしみじみと言った。


 新聞の一面の見出しには、『侯爵令嬢、ついに側妃へ? 年貢の納め時』と書かれている。大きな写真には仏頂面のシエナがでかでかと載っていた。


「まだ結婚してませんよ」


 執務室のソファに腰掛けたシエナはぶすくれた顔で言う。


 東の大陸から取り寄せたという甘い花のお茶を淹れていたリリーナは、主人であるシエナの顔を見てヒクリと頬を引きつらせた。


「ああ、シエナは側妃でいいって言ってるにも関わらず、陛下がシエナを正妃にしたいって言い張ってるんだっけ?」


 面白そうに言ったオルゲートをギロリと睨んでから、シエナはふくれっ面のまま頷いた。


「正妃は陛下の傷を侮辱したことで不興を買い実家のある国に帰ってしまっているし、正妃の出身国であるハイルフェンはフィンベリオーレの恩恵にあやかっている小国だからすんなり離縁できると思うけどね。むしろハイルフェンの王は娘がイザク陛下に不敬を働いたにも関わらず変わらぬ貿易関係を結んでくれていることに非常に感謝していると聞くし」


「私のためにそこまでしてもらうのが申し訳ないんです!」


 シエナは妃という肩書になど興味はない。ただ安全に安寧にイザクと共にいられればそれでいいのだ。王妃がイザクと良い仲ならば嫉妬したかもしれないが、そうでないなら今イザクと一番近い距離にいるのは自分だ。だから側妃という立場でも十分なのに。


 そう訴えたシエナに、イザクは決して首を縦に振らなかった。


「それで? 陛下に『あんぽんたん!!』って叫んだあと、制止を聞かずに王宮から飛び出してきたと。おかわいそうな陛下……鈍いシエナに陛下の御心は伝わらなかったんだね」


 ニヤニヤと野次馬根性むき出しな父親をねめつけたシエナは、リリーナが淹れてくれたお茶を一気飲みして席を立った。


「……鈍いって何がですか。何かむしゃくしゃするので温室に行ってきます」


 気分転換にいつも利用する温室へ鼻息荒く歩みを進める。


 使用人たちが遠巻きに見守る中を大股でドスドス進むと、低木で綺麗に区画された道の向こう、入り口に見慣れた長身を見つけてしまい、シエナは回れ右をしたくなった。


 意志の強そうな黒髪が、気配を感じて振り返る。ルビーのような隻眼がシエナの姿を捉えると、花が咲くように綻んだ。その様子にうっかりときめいてしまったシエナは、逃げるタイミングを失ってしまった。


「ここで待っていたら会えると思った」


「……国王陛下ともあろう方がこんな場所で時間を浪費しないでください」


 穏やかな口調で言われ毒気を抜かれそうになったシエナは、怒っていたことを思い出しイザクの横をすり抜け温室に入る。と、視界いっぱいに広がった真っ赤なバラに声を失った。


 イザクの瞳と同じ色をした深紅のバラは、ざっと百本はある。それをイザクに渡されたのだと気付き、シエナは芳しい香りにクラクラしながらイザクを見た。


「イザク、これは……」


「前に王宮の庭園で眺めているのを見たことがある。好きなのかと思って」


 そういえば前世の世界にもあった花だから感傷に浸ってじっと眺めていたことはある。しかしそれをイザクが覚えていたなんて、そして――――……。


「相変わらず、私の機嫌をどうやってとったらいいのか分からないのね」


 たしか出会った次の日もそうだった。機嫌を損ねたシエナにどうしたら許してもらえるのか分からず、この若く総明な王は、シエナの機嫌を取ることに対してのみポンコツを発揮して花を贈った。


 それからも、シエナが花を好きだと勘違いした彼は自身の知り得る情報を元に、シエナに好かれようと、シエナを喜ばせようと度々花を寄越してきた。そして今もだ。


 シエナを怒らせたイザクは、必死にシエナの好きなものを考えて両手に抱えきれないほどのバラを用意してきた。


(仕方のない人だなぁ……)


 気持ちを通い合わせてからも相変わらず不器用なイザクに、呆れと――――愛しさが泉のように湧き出すのをシエナは感じた。


(こんなの、怒ってた私がアホみたいだわ……)


「これ、陛下が摘んだんですか?」


 咲き誇る大輪の花に鼻を寄せたシエナが、仕方なさそうに笑って訊いた。シエナのつんとした横顔が崩れたことに少し胸をなでおろした様子のイザクは「ああ」と頷いた。


「じゃあまた棘が刺さったんでしょう、薬を塗らないと」


「……平気だ、棘くらい」


 イザクは手のひらをシエナから隠すように握り、手を揉んだ。その手の甲にも、バラを摘む際に引っ掻いたのだろう。いくつか赤い線が走っている。


「棘は平気だ、でも」


「でも?」


「シエナがそばにいないと平気ではいられない」


 シエナより二十センチ近く背が高く、頑健な肉体のイザクは子供のように言った。


「俺が正妃と離縁して、お前を正妃に迎えると言ったら、断る気か?」


「……断る、というか……」


 単純に、振り回して申し訳ないという気持ちが勝るのだと告げれば、イザクは愛おしそうにシエナの銀色の髪を撫でた。


「お前が……正妃でなく側妃でも構わないと言うことは、なんとなく分かっていた。でも……俺が嫌だったんだ。俺が愛している女は、シエナ、お前だけだから」


「……!」


 サァッと一陣の風が吹き、シエナの白いワンピースの裾をさらう。幾重にも重なったバラの花びらが空へと舞い上がり、フラワーシャワーのように二人の頭上へ柔らかく降り注いだ。


「お前にとっての唯一になりたいし、俺にとっての唯一もお前だ、シエナ。お前以外を妻にしたくはない。シエナだけでいい」


 シエナは両手から溢れそうな花束をぎゅうっと掻き抱いた。


 とめどなく溢れては胸を満たしていく温かいこの感情はなんだろうか。生きることに精一杯で見落としていた感情が胸で花開く。自分はイザクと共にいられれば、それだけで幸せだと思っていた。でも、イザクはシエナを唯一の相手にしようと決めてくれたのだ。


 形式とか、建前とかではない。単純に、シエナだけを愛したいと思って……。


 その気持ちがひしひしと伝わって、目元が熱くなった。こんなに自分を想ってくれる人に、守ってくれる人に出会えるなんて、前世の自分は想像がついただろうか。


「私にとっても、イザクは唯一の人だよ……」


 シエナは情けなく震える声で言った。


「ずっと二人で、お互いの唯一の人になって、一緒に長生きしたいです……」


 ああ、もう負けだ。シエナを正妃にするのがけじめだというなら、この真面目で頑固な王を待とう。自分を唯一の人として選んでくれた彼の決断を信じよう。


 目元を赤らめ必死で言の葉を紡いだというのに、言い終わる前にイザクの厚い胸板に固く抱きしめられる。胸元でつぶれたバラがまたハラハラと散り、二人で笑いあうのを澄んだ青空が眺めていた。前世の世界とうり二つの青空だ。いつかその空に還る時まで、イザクと共に盛大に長生きしてやるとシエナは誓った。


 ハイルフェン王国との変わらぬ友好関係が続く中、フィンベリオーレに新たな正妃が誕生するのは、その数か月後の話である。


途中で更新が滞ったにもかかわらず、ここまでお付き合い下さった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

もしまた続編の構想が浮かんだ際は、シエナとイザクの物語を紡ぎたいなと思います。不器用な2人を見守ってくれた皆様、本当にありがとうございました。

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