侯爵令嬢、見守る
「こいつが牢屋の鍵を開けるのに手間取るもんだから」
ニフは今にも吐きそうなほど青くなった兵の肩に手を回して言った。
「し、シエナ様に脅されて地下牢へ行ったら、牢屋の鉄格子越しに見張りの兵をボコボコにしたニフ様とロア様がいて……俺……俺……」
悪夢に魘された子供のようだ。ちびりそうな様子で言い終えた兵士に、シエナは人聞きが悪いわね、とへそを曲げた。
「陛下を救うために双子を地下牢から連れ出して、修練場まで連れてきてってお願いしただけでしょ」
「さあて?」
ニフは腰に下げていた剣を肩にかけ直すと、若草色の目を細めて挑発的に笑った。
「先王時代からの忠臣、アイザード・グローグ。フェリエド王子、およびコーデリア王太后と共謀し現国王を陥れた咎で、捕縛しやす。地下牢は俺らじゃなくアンタの方がお似合いでい」
「わ、私は……」
「抵抗するなら、斬る」
スラリと剣を鞘から抜いたロアが、何の感慨もなく告げる。アイザードはシエナの手を離し、コーデリアを仰ぎ見た。石畳に座り込んだままのコーデリアと視線が絡むことはない。コーデリアはただただイザクを見つめていた。アイザードは項垂れる。
「……私を連行するがいい」
「へえ?」
ニフは器用に眉を吊り上げて薄く笑った。
「随分聞き分けがよくて驚きやした」
「それだけのことをした自覚がある」
「……先王時代からの重鎮であるアンタが、どうしてフェリエド様についたんで?」
何故イザクを裏切ったのか。責めるように言ったニフへ、アイザードは老け込んだ顔で笑った。
「私は……先王の御代からコーデリア様をお慕い申し上げておりました。ですから、イザク陛下の治める御代を素晴らしいと思いながらも、コーデリア様のことを思うと苦しかった。コーデリア様が望むことをして差し上げたかった。でも今、コーデリア様は陛下を殺すことを望んでいるようには見えない。だから私はもう……」
「ふざけるなアイザード……!! お前は僕が王位につくことを望んでいたんじゃないのか!!」
こめかみを引きつらせてフェリエドが叫んだ。アイザードは申し訳なさそうに目を伏せる。
「お許しください、フェリエド様。私がフェリエド様を王位に推したのは、コーデリア様の望みを叶えたかったからです」
「ほざくな!!」
フェリエドは割れんばかりに叫んだ。
「お前まで僕を……っ僕こそが王に相応しいのに!!」
「フェリエド王子、国王陛下暗殺未遂でアンタを捕縛しやす」
一歩前に出たニフがフェリエドへ剣を向ける。しかし――――……。
「これは王位を賭けた戦いだったな。国王に相応しいのが自分だと言うなら続きをしてやる」
満身創痍のイザクが、フェリエドへ剣を投げてよこした。
「陛下!? 何言って……!」
「しきたりだ、シエナ。下がっていてくれ」
声を荒げるシエナに、イザクは取りつく島もなく言った。
イザクは相変わらず全身から血を流している。顔からはすっかり血の気が失せて口は痺れ、足さえおぼつかない。今フェリエドへ剣を投げてよこす仕草だって、鉄塊を持ち上げるように辛そうだったというのに。
怒りで壊れたおもちゃのように全身を震わせるフェリエドは、血が出るほど柄を握りしめた。
「何のつもりだ、母上から愛されていたと知って、シエナの愛まで勝ち取ったつもりかこの死にぞこない!!」
「フェリエド、もうよい……もう……」
顔を上げたコーデリアが、溺れそうな声で言った。
「黙れ!! あんな化け物を愛していた母上の言うことなど聞くか!! 母上にもシエナにも、僕こそが王位に相応しいと知らしめてやる……!!」
「イザク!! ねえ、先に薬を……!」
王位をかけた決闘がなんだ。しきたりがなんだ。戦いをやめようとしない二人に苛立ちがわく。全身に毒が回り切ればイザクは死んでしまうのに――――……。
「死んじゃうかもしれないのに、フェリエドの悪事は露見したのに! 戦う必要なんてもうないじゃない! 何を……っ」
「令嬢」
いつのまにか背後に立っていたロアがシエナの腕を引き闘いの場から遠ざけようとした。抵抗するシエナに、ロアは無表情で首を振る。
(ふざけないでよ、何のためにここまで――――)
「主、守りたい」
「……は?」
「フェリエド様の矜持、守りたい」
「なん……」
「守って、負かせてやりたい。だから、手出し、いけない」
「――――あんた達の主人、馬鹿なの!?」
シエナは心底呆れかえった。
我こそが王にふさわしいとイザクの暗殺を企て、コーデリアを利用しているつもりだったフェリエド。しかし本当は、コーデリアが死をもってイザクを解放したいという願いに利用されていた。お互いに、知らぬ間に利用しあっていたのだ。
自身の派閥についたと思っていた先王時代の重鎮も、本音ではイザクの方が王位にふさわしいと思っていた。自らを利口だと思っていたのに、蓋を開ければフェリエド自身に価値を見出して王位へと推すものはいないと気付かされた。自分だけが母親の寵愛を受けているわけでもなかった。
フェリエドはプライドをズタズタにされたのだ。
「だからって、卑怯な相手のプライドを命がけで守る必要なんてないじゃない……まして、自分を殺そうとした相手の!」
下手を打てば死ぬかもしれないのだ。何なら、毒を食らい重傷を負っているイザクが負ける確率の方が高い。しかも相手はイザクが嫌っていた弟相手だ。それなのに。
「それでも、そこがイザク様の優しいところなんでさあ。お嬢もそこに惚れたんでしょう?」
仕方ない人だ、と諦めたように笑うニフを、シエナは半眼で睨んだ。
「チャラ男アンタ……聞いてたの?」
「お嬢のあっつーい告白のことですかい? あんだけ大声で叫んでちゃ、筒抜けですぜ」
非常にあくどい笑みを浮かべたニフのみぞおちを、シエナは無言で殴った。
「でも、本当にこれ以上戦うのは危険なのに……」
目だってろくに見えていないイザクが剣を構えなおす姿に泣きたくなる。どうしてそんなに虐げられて生きてきたのに、彼は優しいのだろうか。
(その優しさでもし命を落としてしまったら私は……)
薬の入った試験管を握りしめる力が籠る。遅効性の毒とはいえ、今生きていることさえ奇跡に等しいのだ。あと何分持つか分からない。肩に食らった傷が致命傷となって命を落とすかもしれない。
「多分、一撃で決着がつく……」
そう言うニフのこめかみに汗が伝う。彼も緊張しているのだ。仕える主の最期を看取ることになるかもしれないと。
イザクとフェリエドが向かいあう。息をするのもはばかられるような緊張感が修練場を満たした。
水を打ったような一瞬の静寂。まだ二人とも動かない。動かない。一瞬、いや、永遠にも感じられる時間が経った。シエナがヒュッと息を飲んだ瞬間、肌を切るような覇気が互いから発せられた。
瞬きはしていない。それでも目で追えなかった。イザクの剣が閃光のような軌跡を描く。音のない空間に炎が舞い上がり、次の瞬間地に伏したのはフェリエドだった。




