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侯爵令嬢、看破する

 イザクと――――そしてフェリエドの目までが、信じられないと言わんばかりに見開かれた。コーデリアはドレスの裾を引き上げてシエナのそばに寄ると、怒りに任せてシエナを踏みつけた。


「黙れと言うのが聞こえぬか!」


「……っ貴女は私に初めて会った時、庭園にいましたね」


 そのことをオルゲートに伝えた時、シエナの父は勘づいたのだろう。コーデリアの本心に。確証がなかったからシエナにはハッキリと伝えなかったのだろうが、あれもシエナの仮説を組み立てる手掛かりになった。


『陛下が気に入っている庭園に王太后がいた意味を考えていったら……もしかしたら、最大の武器になるかもしれないね』


 シエナはオルゲートの言葉を反芻する。そう、その意味は……。


「陛下がお気に入りの庭園に、体調不良をおしてでも貴女はいた。そこにいたのは陛下のことを――――……」


「黙らぬか!!」


「黙りません! 貴女は心の底ではイザクを憎んでいないのに、どうして陛下を殺そうとするんですか!」


「憎んでおるわ!」


 ひび割れそうな声でコーデリアが怒鳴った。美しく整った顔は狼狽からひどく歪んでいる。飛び出た両眼が涙の膜で爛々と光っていた。


「母、上……?」


 取り乱し今にも発狂しそうなコーデリアの様子に、フェリエドが声をかける。両手で顔を押さえたコーデリアは、苦痛に身悶えるように唸った。


「憎んでおる……」


「いいえ、そんなことない」


 言い聞かせるように呻いたコーデリアへ、シエナは即座に否定する。コーデリアは口角泡を飛ばして怒鳴った。


「そなたに何がわかる! 殺さねば――――……殺して『やらねば』ならぬのじゃ、イザクを……!」


 コーデリアは長い爪で、イザクを指さした。どこにそんな力が残っていたのか、突き刺さった剣を抜いたイザクは、多量の血が流れることも気に留めず茫然と母親を見つめている。まるで初めて相対する人を見るように。


「わ、わらわは……」


 イザクを指さしたコーデリアは、長い漆黒の前髪から覗くイザクの傷跡を見て後ろに数歩よろめいた。長い爪を押し当てた頬からは血がにじんでいる。


「わらわは『アレ』が……」


「イザクが?」


「あれが、気の毒でならん……! わらわがあの方と……先王と愛を育み、望まれて生まれた息子がどろりと目を焼かれた様……! そなたに想像が出来るか!?」


 心臓から血を流しているような、悲痛な訴えだった。シエナはアイザードの力が緩んだことに気づき、ゆっくり身を起こした。


「イザクはあんなに可愛い息子だった……! あんなに愛した息子だった! イザクは愛され望まれて生まれたのに!! 異形の炎に内側から食い破られ、目を失った!! そしてそのおぞましい炎はいまだにイザクの身体の中におる! わらわの可愛いイザクの中に巣食い、寄生している! イザクが死ぬまでずっと!!」


 イザクという器に、愛するイザクの片目を奪った憎い炎がずっと巣食っているのが、コーデリアには耐えられなかったのだろう。彼の名を呼ぶことを厭い、心を病むほどに。


 魂が切り刻まれたように弱ったコーデリアの叫びが、石畳に反響した。


「だから解放してやるのじゃ……! たとえ――――」


「愛するイザク陛下を殺しても?」


 シエナの静かな問いに、ヒクリ、とコーデリアの細い喉が波打つ。炎を宿した紅い瞳から一筋涙が零れ落ちた。


「そうせねば、イザクはあの忌々しい炎から解放されぬ……」


「では何故! 薬草に詳しい私へ、ヒントとなるようなネフィリカスを送ったのですか! 何故自室の目につきやすい場所にネフィリカスを置いておいたのですか! 私がネフィリカスの効能に気づき、解毒剤を作る可能性に賭けたからじゃないんですか!? イザクが死ぬのを、心のどこかで止めてほしかったからでしょう!? 貴女は……っ」


 ああ、どうか。祈る気持ちでシエナは叫んだ。


「貴女は本心では、イザクに生きてほしいのよ!!」


 愛する息子の目が、目の前でドロリと焼け落ちるのを見た母親の気持ちはどんなに悲愴だっただろうか。


 最愛の息子が気の毒でならず心を病んだコーデリアはずっと、禍々しい炎の宿主となったイザクが受け入れられなかったのだ。さらに言うなら、イザクに巣食う炎が許せないのだ。だから憎んだ。イザクごと。憎むことでしか自身を保てなかった。


「……うあ……ああぁ……っ」


 膝から崩れ落ちたコーデリアが、長い爪で石畳を掻く。爪が割れるのも気にせず絶叫を上げるコーデリアに、イザクとフェリエドはひどく動揺していた。


「コーデリア様……」


「ならばどうすればよかったのだ!」


 肩に触れようとしたシエナの手を打ち払い、コーデリアが呻いた。


「わらわは……っこうするしかイザクを救えないのに! こうすることでしか……っ」


「救いたいのはイザクなの?」


 シエナは赤くなった手の甲を見つめて言った。爪が当たって裂けた皮膚から流れ出る血は、まるでコーデリアの痛みのよう。


「救われたいのは貴女自身だわ。貴女は陛下の声を聞いた? 自分の息子を見くびらないでください。陛下は弱くない。貴女が死という形で救わなくても陛下ならもう、過去を乗り越えていける」


「何……?」


「貴女が陛下のためにできることは、その双眸で息子が国を治める姿を見守ることだけです」


 涙に濡れた顔を上げたコーデリアは、血だらけのイザクを見つめた。イザクはかすんだ目を瞬きながらコーデリアを見つめ返した。右目を失ってからずっと母親に虐げられ、憎まれてきたと思っていたのだ。コーデリアの本心がにわかには信じられないのだろう。


 困惑を極めたイザクへ言い聞かせるようにシエナは言った。


「王太后様は、本当は今でも貴方のことを愛してるんですよ」


「……まさか……」


 コーデリアは答えない。しかし無言こそが、それが真実だと如実に伝えていた。


 イザクの瞳が不自然に泳ぐ。これまでの過去を振り返り、数々の思い出が去来しては複雑な気持ちが押し寄せるのだろう。逡巡を見せたイザクがやがて口を開こうとしたのを邪魔したのは、青筋を浮かべたフェリエドだった。


「母上……? 何を言っているんです、ねえ、母上!」


 兄を疎んでいるとばかり思っていた母親の告白に、フェリエドは肩を震わせて言った。


「この醜い男が、兄上が憎いんでしょう!? 僕と一緒の気持ちのはずだ!」


 静かな怒りをみなぎらせるフェリエドに、コーデリアは泣きはらした顔で言った。


「フェリエド、わらわは……」


「裏切るなよ! 僕に理想の息子を押しつけてきたくせに、今更裏切るな! こんな奴を心の底では愛してたなんて言うな!! 僕が……っ」


 フェリエドの怒号が修練場を揺らす。


「こんな化け物より劣っているはずないんだ! そうだろ!!」


「化け物なんかじゃないわ! 醜くもない! 貴方も見たでしょう、フェリエド……聖火祭での光景を」


 シエナは聖火祭での様子を反芻して言った。


 国民の誰もが熱狂し、イザクを王として慕っていた。炎の魔力を持つイザクを、皆が国の繁栄の礎としてよりどころにしているのだ。

 死に怯えるシエナが平和な国で十七年間を過ごしてこられたのも、イザクの力が他国への脅威になっているからこそだ。そして、魔力があってもなくても、イザクは死に怯えるシエナの心を救ってくれた。


「イザクはひどい代償を負っても強く生き延びて、今はその力で皆を支えている。だから皆がイザクを慕うのよ! 私だって……っ」


 シエナはドレスの裾を固く握りしめ、明るい碧眼でイザクを一心に見つめた。


「私の愛する人が、化け物のはずがないわ……!」


 修練場は広いのに、シエナはどうしてかイザクが間近で息を飲んだような錯覚を覚えた。


「……私は、陛下に宿る炎ごと愛している。愛していく決心もついた。だから死なせない。フェリエド、コーデリア様、貴方たちにイザクを殺させないわ」


 海のように深い色をしたシエナの両眼が、フェリエドとコーデリアを射抜く。二人がシエナの気迫に押されたのを感じたシエナは、低いヒールを鳴らし、アイザードの虚を突いて駆けだした。イザクの元へ。


 一拍遅れたアイザードは、大木の幹のように太い腕でシエナを捕まえようと動いた。が……。


「もうよい、アイザード」


 今までで一番弱った声でコーデリアが言った。打ちひしがれたコーデリアを見下ろしたアイザードは、熊のような巨体を迷わせる。その背中に鞭を打つようにフェリエドが怒鳴った。


「シエナを捕らえろアイザード! 僕の命令を聞け!!」


「……っ」


 フェリエドの鬼気迫る様相に飲まれたアイザードがシエナの細腕に掴みかかる。シエナは振り向きざま、妖艶な笑みを浮かべた。


「残念だけど、こーんなに生きたがりな私がここに無策で乗り込むと思う?」


「……は?」


 アイザードが髭に覆われた口をポカンと開けたのと、修練場の重厚な扉が木端微塵に吹っ飛んだのはほぼ同時だった。けぶる入口から三つの人影が揺らめき、それはやがてはっきりとした輪郭を描いた。


「遅い!」


 シエナが仏頂面で唸ると、ミルクティー色の髪に扉の木屑をつけた双子は猫のように笑った。


「これでも最大限飛ばしてきたんですぜ?」


「侯爵令嬢、人使い、荒い」


 修練場の入り口には双子のニフとロアが立っていた。後ろに、シエナに注射器で脅されていた顔面蒼白なそばかすの兵を連れて。


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