侯爵令嬢、見抜く
「シエナ!? そんな……まさか……確かに閉じこめたはずだ……!」
まるで幽霊に遭遇したように、フェリエドは信じられないものを見るような目でシエナを一瞥した。コーデリアと、付き従う屈強な臣下も目を疑う。
しかしそこに立っていたのは紛れもなく、走って乱れた髪を背中に流したシエナだった。
「陛下に失望なんてしないわ。だって、生きて待っててくれたんでしょ」
もう目がろくに見えないのだろう。焦点が合わないイザクを見て、それでも生きていてくれたことにシエナは微笑み――――彼を貫く剣の太さに震えた。
「フェリエド、なんてことを……!」
「王位をかけた神聖な決闘じゃ!! 部外者が手を出すでない!!」
怒髪天をついたシエナに、コーデリアの扇が投げつけられる。それを手で弾いたシエナは、イザクへ駆け寄ろうとした。
「何が神聖な決闘よ!! 正々堂々って言葉を一億回書き取って反省してから言えっての!! 陛下!! 薬を――――……きゃあっ!?」
シエナの眼前に白刃が閃く。飛びのいたシエナが一瞬前までいた場所に、重い剣が突き刺さった。コーデリアの息がかかった重臣の剣だ。シエナの腰と同じ太さがある腕を振り上げ、重鎮はシエナに襲い掛かった。
「小娘が、コーデリア様の邪魔をするな!!」
丸腰のシエナに襲いかかってきた男は、あっという間にシエナの首をわし掴み持ち上げた。足が宙に浮いたシエナは、棒切れのように持ち上げてきた男の指をはがそうともがいた。
(こんっの馬鹿力……!!)
「シエナ!?」
イザクが叫んだ。額から瞼まで流れた血を、首を振って拭う。焦点のぼやけた瞳には、巨体がシエナと思しき姿を持ち上げているのが見えた。イザクの全身の炎が怒りで湧き上がる。貫かれた傷口から血が噴き出すのも構わず、イザクは残り少ない力を振り絞った。
「おい、シエナに傷をつけるなよ! ……っと、驚いた。虫の息でまだ動けるんですか、兄上」
イザクに掴まれた剣の柄から振動が伝わり、フェリエドが憎々しげに言う。イザクは自らを貫く剣を更にわし掴んだ。
「気が変わりました。せめてもの慈悲です。兄上が死ぬ瞬間を、僕がシエナに見せてあげますよ!!」
イザクの肩から剣を引き抜いてとどめを刺そうとするフェリエド。しかし、いくら剣を引いても柱から抜けないことに気づきフェリエドは唖然とした。イザクが手から出血するのも気にせず剣を握りしめているせいで、剣が抜けないのだ。
「な……っ。離せ!!」
「貴様が離れろ!!」
フェリエドの剣を押さえている左手とは逆の手で、イザクは自身の剣を振り上げた。驚いたフェリエドが後ろへ飛びのく。しかし、切っ先がフェリエドの服をかすめ、切り口に炎が舞った。
「うわあああっ」
やはり加工がしてあるのか、普通の服に比べてフェリエドの衣はひどくは燃え上がらない。それでもくすぶる炎がフェリエドを苛め、彼はロゼ色の瞳をこわばらせた。
「フェリエド!!」
コーデリアが一歩踏み出そうとする。シエナは首を絞めあげられたまま呻いた。
「手出しは……っ無用なんでしょう……!!」
「黙らぬか!! あのままでは可愛いフェリエドが殺されてしまう!! あの醜い化け物に!! またわらわの息子が――――……」
「まるで、陛下に宿る魔力に、フェリエドだけでなく『イザク』まで殺されてしまったような口ぶりですね」
狭まった気道に喘ぎながらシエナが言う。コーデリアは長い睫毛に縁どられた瞳を見開き、拳を震わせた。
「ち、がう、わらわは……」
「貴女は本当に陛下を殺したいほど憎んでいるのですか? 貴女が憎んでいるのは本当は――――……」
「黙れ!! その小娘を殺せアイザード!!」
コーデリアに悲鳴のような声で命令されたアイザードという臣下は、岩のような手でシエナの首を絞めにかかった。しかし、フェリエドから怒号が飛ぶ。
「シエナは僕のだ!! 殺すな!! 母上、何を言っているんですか!?」
アイザードの団子鼻に、思案による皺が寄った。どちらの命を聞けばいいのか分からないといった様子だ。
シエナはアイザードが油断した隙を見計らい、スカートの裾から注射器を取り出す。先ほど若い兵にちらつかせて脅した麻酔薬だ。人間には強すぎるだろうが、このゴリラのような巨体には丁度いい。シエナは今が使いどころだと、アイザードめがけて突き刺した。が……。
「ふんっ!!」
「うっそぉ!!」
シエナの意図に気づいたアイザードは、服がはち切れるくらい筋肉に力を入れた。アイザードの腕に刺さった針が、筋肉に押し出されて無残に折れる。
(い、いいプロレス選手になれるよ貴方……!!)
前世の趣味がビール片手にプロレス観戦だったシエナは、もしアイザードがプロレス選手だったら推すのに、と場違いなことを思った。
「チッ……きゃあっ!!」
今度は後頭部を掴まれ、冷たい地面へうつ伏せられた。すぐさま後ろ手で拘束され、シエナは芋虫のようにもがく羽目になった。
顎を強打したせいで口の中が切れたシエナは、口内に溜まった血を吐き捨てながらコーデリアを睨み上げる。コーデリアは射干玉の髪をくしけずりながら唸った。
「殺せ!! 殺すのじゃフェリエド!! その化け物を……!!」
「イザク逃げて!!」
「やめよ!! あの異形をイザクなどと呼ぶな!!」
血を吐くような声でコーデリアがシエナに怒鳴った。癇癪を起したように頭を抱えたコーデリアを、シエナは糾弾した。
「貴女が愛していた幼い『イザク』と違うから!?」
「黙れ!!」
もはや奇声だ。コーデリアは万感の憎しみがこもった切れ長の目でシエナを射抜いた。いつもは空恐ろしくなるほどの眼光が、シエナはこの時は怖くないと思った。
(――――ああ、やっぱりこの人は……)
「ネフィリカス!!」
シエナは地面に這いつくばったまま、イザクたちにも聞こえるよう声を張り上げた。イザクとフェリエドの視線がこちらへ向く。
「陛下に盛られた毒の解毒剤に必要な植物です! それが貴女の部屋にあったわ」
「それが何じゃ!」
「予感がしていました……。レアンレルタールの解毒薬にネフィリカスが必要だと考えた時から。その予感は、コーデリア様の部屋のテーブルの上にネフィリカスが置かれていたことで、余計に膨らんだわ。そして、なかなか陛下の名を『イザク』と呼ぼうとしないコーデリア様と接し、ここでの貴女の態度を見て今確信に変わりました……。貴女はイザクを殺せと言いながら――――本当は、イザクを憎みきれていないんでしょう?」




