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侯爵令嬢、推参する

(……私にネフィリカスを送ってきた王太后の部屋になら、同じようにネフィリカスがあるかもしれない……!)


 それはもはやシエナの願望だった。


 コーデリアは下々の者を使ってシエナに嫌がらせの品を送ってきていたので、彼女本人の部屋にそれがあるとは考えにくい。それでも、今一番ネフィリカスが手に入る可能性があるのはコーデリアの部屋だった。


(それに、さっきの予感は……)


「な、なに言ってるんですか! さすがにコーデリア様のお部屋へ許可もなくお通しするわけにはいきません!」


 シエナの花のかんばせにぼーっとうつつを抜かしていた兵は、ようやっと兵士らしいことを言った。しかし、シエナは食い下がった。


「お願い、早くしないと陛下が死んでしまうのよ! 部屋の場所を教えてくれるだけでいいから!」


「陛下がっ!?」


 あんぐりと口を開いた兵は、そばかすの散った顔でシエナをまじまじと見つめた。この麗しい侯爵令嬢が嘘をついていないか、両眼で見定めようとしているようだった。


「陛下は今、広間で各国の首脳陣と居られるはずです。し、死の危険なんて……」


「ああ、もう……!」


 シエナはその場で地団太を踏み、短いスカートに隠していた注射器を取り出した。瞬きする間に、それを兵の首に押し当てる。


「――――……ごめんなさい。こういった手は使いたくなかったけど、こっちも譲れないのよ。死にたくなかったら、案内して」


 シエナの気迫に押された兵は、針の押し当てられた首に視線を落とし、青ざめながら首をゴクリと上下させる。シエナは並びのよい歯をむき出して、最大限凶悪に見える笑みを作った。それがひどく凄絶なものとは気づかず。


 脅すように、シエナは注射器の押し子へ親指をかける。中身はケルベロスさえ眠るほど強力な麻酔薬だ。魔犬退治に向かうオルゲートのために作ったものの残りを仕込んできたのである。


「……こっち、です……」


 どちらかというと注射器の中身よりシエナの剣幕に気圧された兵は、震える足を叱咤してコーデリアの部屋へシエナを案内した。





「松明が……」


 途中、甲冑が両方の壁沿いに並ぶ廊下を通り抜ける際、シエナは松明の炎が弱弱しいことに目を止めた。兵は止まることなく、首を傾げた。


「おかしいな、陛下の灯してくれた火は、消えることはないんだけど……」


 風前の灯火のように弱弱しく爆ぜる炎は、イザクの命を表しているようだ。おそらく本当にそうなのだろう。イザクの命が尽きれば、王宮中の炎が消えてしまうに違いない。


 明かりが足りず薄暗い廊下は、心なしか肌寒い。シエナは両腕をさすりながら、こうしている間にも刻一刻とすり減っていくイザクの身を思った。


(今までは、己の命が潰えることが怖かった。でも、もし陛下が死んでしまったら私は……)


 愛する人がいない世界は、もはや死んでいることと変わりないのでは。


 足の底から冷えてくる感覚から、シエナはそっと意識をそらした。




 コーデリアの部屋へ侵入するために、シエナは兵を数人おねんねさせるはめになった。


「うりゃー!! シャイニングウィザード!!」


プロレス技を叫びながら短いドレスを羽根のように翻し大の男をのしていくシエナの姿に、兵がますます怯えたのは言うまでもない。フィンベリオーレの兵はツワモノぞろいだったが、シエナの容貌に一瞬油断してくれるのでやりやすかった。


 コーデリアの部屋につくなり、重たい樫の扉を押し開け、煌びやかな装飾品で彩られた部屋を見回す。マホガニーの丸テーブルの上に、探していたものは鎮座していた。


「ネフィリカス……!!」


 鉢から引っこ抜けば、土を被った大きな球根がシエナの眼前に姿を現した。まるで迷宮の奥底で宝を見つけたような様子のシエナに、案内してきた兵士は毒気を抜かれる。なんならその場で球根を潰し、調剤室から持ってきた試験管に液体を流しこんだシエナに兵士の理解は越えた。


 試験管には先ほど調剤室で精製した淡い黄緑色に輝く解毒剤が入っている。そこにネフィリカスの汁を垂らしこむと、試験管は一瞬眩い光を放ち琥珀色の液体に変化した。


「できた……!!」


 シエナは喜色に満ちた声を上げる。


「さあ、いつまで寝てるの! どうせ陛下とフェリエドの居場所を知ってるんでしょ、あの二人は今どこにいるの? 吐きなさい!!」」


 勇んだシエナはコーデリアの部屋の見張りを言い使っていた兵士……シエナに寝技をかけられ床に伏していた剛腕の兵士の胸元を掴み、乱暴に揺すり上げた。


「ここの見張りを命じられていたなら、どうせ王太后の息がかかっているんでしょう!?」


「しゅ、修練場だ……」


 脳みそを揺さぶられるくらいガクガクと揺らされた兵士は、息も絶え絶えに言った。


「で、でももう遅い……。今頃決着がついて、王位はフェリエド様のものに……ぐわっ」


 シエナは最後まで聞かず、掴んでいた胸倉を離した。高い鼻から床に叩きつけられた裏切り者の兵士がもんどりうつのを歯牙にもかけず、シエナはここまで案内してくれたそばかすの兵士に向き直った。ゆらりと立ったシエナはまるで幽鬼のようであり、兵士は一体誰が最初に悪鬼のようなオーラを放つ侯爵令嬢を水の精霊なんて可愛らしいものに例えたのだと縮み上がった。


「……修練場はどこかしら?」


「あ、案内します……」


 寿命がこの数十分で半分は縮んだことを感じながら、兵士は涙目で言った。






 全身の血が沸騰し干上がってしまうほどの熱を感じながら、イザクは辛うじて立っていた。一瞬でも気を抜けば意識を手放してしまう。そしてそれは、自ら王位が剥奪される瞬間を意味していた。


 天井まで三階分の高さがある修練場は寒々しい吹き抜けになっている。冷たい石畳で覆われた地面には、今は点々と深紅の血が散っていた。イザクの肩から流れ出て、手首を伝いおちたものだ。


 修練場の奥に大理石を削って作られた戦の女神像が、イザクと――――同じ血を分けた弟との闘いを見守っていた。そして修練場にはもう二人。コーデリアの息がかかった壮年の臣下と、無表情で闘いの行方を見据えるコーデリアがいる。


 紅の引かれた口元を扇で隠したコーデリアは、凍るような冷眼で息子たちの鍔迫り合いを見ていた。


 広い修練場に、イザクの荒い息がこだまする。大きな白亜の柱に身を預けたイザクは、噴き出す汗をそのままに眼前の弟を睨んだ。


「降参したらどうだい? 兄上」


 褐色のローブを脱いだフェリエドは、剣を一閃して血を薙ぎ払う。それはたった今、イザクの脇腹を切りつける際についた血だった。


 黒衣を身に着けているため分かりにくいが、イザクはあちこちから出血していた。五分ほど前から目も霞みだしている。固い石畳さえ、今は柔らかい砂を踏んでいるように足元が覚束なかった。


「……っだま、れ……っ!」


 間合いを詰めてきたフェリエドに、剣を横に払う。灼熱の炎が線を引くように噴き出し、フェリエドは身を翻した。


「ああ、忌々しいよ。毒に全身をおかされても尚その炎が僕の邪魔をするんだね」


「……っ貴様が負けを認めるまでな!!」


 イザクの全身から溢れ出た炎は、八尾の竜になってフェリエドへ襲い掛かる。そのいくつかは空を切り、一匹は柱を食いちぎり、もう一匹はフェリエドの喉元を狙った。


「全然狙いが定まってないな!」


 フェリエドは身をそらして避け、竜の首を刃で断つ。さらにもう一つの竜が口を開けたのを見たフェリエドは、その口へ剣を差し込み、イザクに向かってきた。


 フェリエドの服は炎に覆われたが、特殊な加工をしているのか、焼け切れることはなかった。

 そのまま竜の体を真っすぐに貫いて迫ってきたフェリエドの白刃が、憎しみを込めてイザクを捉える。


「この死にぞこないが……!!」


「……っ」


 イザクは石のように重い体をずらし、心臓を避ける。次の瞬間、左肩に激痛が走った。目がチカチカし、脂汗が噴き出す。全身の痛覚が左肩に集中し、叫び声を上げたくなった。


 奥歯を砕けるほど噛み締めたイザクは、息も絶え絶えに左肩へ視線を落とす。白んだ視界に、白刃が肩を貫いているのが辛うじて見えた。


「う……ぁ……」


 イザクを貫いた剣は柱にまで食い込んでいる。イザクは鉛のように重い手を上げたが、剣にかかった指に力はもはや入らなかった。


「……ぐ……」


「ああ、もう手に力が入らないんだね」


 苦悶するイザクを見たフェリエドは、舌なめずりして言った。


「こうして柱にくし刺しにしたまま、兄上が死ぬのを待とうか。罪人のように磔にされたまま事切れた兄上を見たら、シエナはどう思うかな。全身から血を流し、この醜い痕を見たシエナは――――」


 狂気に染まったフェリエドの指が、イザクの眼帯をむしり取る。変色した肉が盛り上がった部分にはもう、あるべき眼球はない。


「美しくも死ねない兄上に失望するんじゃない?」


 ヒルのような舌で唇を舐め、狂ったようにフェリエドは笑う。隻眼で睨んだイザクは、もうまともに見えない視界がふいに明るくなった気がした。


「全身めった刺しにされて美しく死ねなかった前世の私への地雷発言はやめてくれない」


 若い蕾のように張りのある声が、広い修練場に凛と響き渡る。重い鉄の扉を押し開け明るい日差しを背負ったシエナが、息を切らせて立っていた。


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