侯爵令嬢、調合する
同時刻、イザクは臣下によって寝室へと運ばれていた。
大きな寝台に寝かされたイザクの息は先ほどよりも荒く、こめかみからはしきりに汗が伝っている。運んだ臣下は衣服を通しても分かるイザクの体温の異常な熱さに怯えていた。
胸元を押さえてベッドの上で身悶えるイザクの様子は、灼熱の炎をまとわりつかせているようにも見える。
毒の成分を薄めるために大量に飲ませた水も、イザクの体内を巡る炎によってすべて蒸発してしまったのではないかと危ぶむ臣下をコーデリアは下がらせ、人払いをするように命じた。
室内に、イザクの浅い呼吸音だけがこだまする。寝台の端にかけたコーデリアは、息子と同じ鋭角的な美貌を持つ顔をイザクへ近づけた。
「たまげたのう……毒を食らってもまだ意識があるか……」
焦点が合わず混濁した瞳で、イザクはすぐそばにあるコーデリアを睨んだ。喉が焼けるように痛むのか、ゼーゼーとした息を吐きながら悪態をつく。
「……毒には耐性があるからな……」
「人には宿らぬその魔力が毒を相殺しようとしておるのじゃろう? 何故わらわが、侯爵令嬢に即効性の猛毒を盛らなかったか分かるか?」
イザクの尖った顎を撫で上げ、コーデリアはにっかりとほほ笑んだ。イザクの瞳が、傷ついた幼子のように歪んだ。
「そなたが飲むと思うたからじゃ。そして、じわじわ苦しめてやるつもりだった」
「……っはあ、…っう……」
「苦しいか? 忘れるな。そなたを愛する者などいない。そなたを必要とするものなどいない。その右目が闇しか映さぬのと同じように、この世にそなたの光などありはしない」
イザクの瞳が僅かに揺れる。彼の動揺を感じ取ったコーデリアは、気味が悪いほどの猫なで声で追い打ちをかけた。
「のう……? わらわが教えてやったであろう? そなたは愛されぬ。それが真実じゃ。そなたを唯一認めていた先王陛下もそなたを置いて御隠れになった。それは、そなたが愛されてはならぬ存在だからじゃ」
「……黙れ」
「黙らぬ。そなたのせいで先王陛下は亡くなったのじゃ。あの不吉な双子とて、そなたを慕っているのではない。『王』だから慕っておるだけじゃ。それを忘れてはおるまいな?」
「黙れ……!」
地獄から湧き出たような火炎が、寝台を包む。放たれた炎に鼻先をくすぐられても、コーデリアは嫌な笑みをやめなかった。
「それでも一人じゃない! そう教えてくれた女がいる! あいつは俺を否定しなかった! この醜い傷を受け入れてくれた!!」
乾ききり血の滲みそうな声でイザクが吠える。汗で滑る眼帯を押さえたイザクの脳裏には、シエナの姿がよぎっていた。しかし――――……。
「残念だけど兄上、シエナは僕の妻になる。兄上の居場所はもうないよ」
人払いしたはずの部屋の扉が開き、姿を現したのはフェリエドだった。その手には剣が二本下がっている。
「シエナに何をした……?」
イザクの遠のきそうな意識が、全身の血を沸騰させるような怒りでつなぎとめられる。憤怒の形相を浮かべたイザクは、とても毒を食らったようには見えない。気絶しそうなほどの覇気に押されながらもフェリエドは嫌な笑みを崩さなかった。
「僕の妻になると言ってくれたんだ」
「ほざけ。誰がそんな妄言を信じる」
「ひどいなあ」
「シエナをどうした!! 答えなければ貴様を殺す!!」
寝台から起き上がったイザクの背後に火柱が立ち、それは竜のような形を成してフェリエドへ襲い掛かった。炎の竜をフェリエドは叩き斬り、もう一本の剣をイザクの寝台へ投げてよこした。
「兄上、王位とシエナをかけて貴方に決闘を挑みます。断ればシエナの命はない」
「……」
イザクは汗に濡れた手で柄を握った。きらめく白刃には、毒に苛まれてひどい表情をした自身が映りこんでいる。全身を烈火のような熱が巡り内側から爛れていくような痛みを押して、イザクは寝台から立ち上がった。
「……受けてやる」
「そうこなくちゃ。ねえ兄上、そんなにシエナが心配?」
「ああ。でも」
イザクは剣を杖代わりにして歩きだすと、フェリエドへ挑発的にせせら笑った。
「あいつはお前ごときに押し込められるような女じゃないとも思ってる」
「……気に食わないなぁ」
フェリエドは笑い返そうとしたが、それは失敗に終わった。死の淵に立たされてなおも覇者としての威厳を失わない実の兄に、気圧されたのだ。
「はんっ! この私に開けられない鍵なんてないのよ!!」
回った鍵穴にニヤリと笑い、シエナは中指を立てて到底ヒロインとは思えぬ邪悪な笑みを浮かべる。
苛立ちから蹴り倒すような勢いでドアを開け人気のない廊下に躍り出たシエナは、はやる気持ちを押さえ調剤室を探した。
(早く、早く……一秒でも惜しい……!)
先ほど脱出を考えた際に見下ろした窓からは庭園の奥に温室が見えた。おそらく、薬草を摘みやすい温室の近くに調剤室はあるはずだ。シエナが歩を進めると、廊下の見回りをしていた兵がぎょっと目をむいた。
(ああ、いいところに……)
シエナは現世に生まれてこの方一日たりとも称賛されなかったことのない美貌を最大限生かした笑みを浮かべ、兵に駆け寄った。
「こ、これはネイフェリア侯爵令嬢!?」
「調剤室に案内してほしいのだけれど……お願いできますかしら?」
星を溶かした色の睫毛を伏せ、バラ色の小さな唇でそっと懇願する。仕上げに潤んだブルートパーズの瞳で上目づかいをしかければ、年若い兵はドギマギとした様子で「こ、こちらです!!」と道案内を始めた。
その背後でシエナが
「この憲兵ちょろいな」
と呆れていることにも気づかず。
案内された調剤室は案の定温室の近くにあった。
室内にいた薬師がことごとく倒れていることにシエナを案内してきた兵士は素っ頓狂な声を上げたが、シエナは倒れた薬師の口元に手をやり気絶しているだけだと分かると、泡を食う兵を無視して部屋の中央に足を踏み入れた。
調剤室の一番奥は薬品庫になっているのか、円形の部屋は一面がグルリと棚になっていた。高い天井までびっしりとクリスタルの薬瓶が並ぶさまは壮観だ。
ラベルが貼られ薬名順に並ぶ棚を梯子に上って調べたが、レアンレルタールの解毒薬はやはりなかった。
(既製品があれば一番よかったけど……ないか……)
気を落として手前の部屋に戻ったシエナは、部屋を見回す。
巨大な棚には引き出しが百もあり、ユクユク草とラベルの貼られた引き出しのつまみを引っ張れば、乾燥させた丸い草が顔を出した。磨き上げられた机にそれを置き、天秤と試験管、すり鉢、壁にかかっていた錫製の鍋も拝借する。
床に置かれた大きな籠から覗くフワフワした綿のようなものをもぎり、壁に下がったプリザーブドフラワーのような束から、小さな実を摘んでスプーンの背で潰し試験管に汁を落とし込む。火にかけた鍋に材料を落としこんで混ぜ、煮立つのを待つ間に不死鳥の涙を薬瓶から鍋へ垂らした。
まるで分身がいるかのように目まぐるしく動くシエナに、兵はグリーンアイズをゴシゴシとこすった。
「あ、貴女は何者ですか……。王宮の筆頭薬師だってこんな早い手さばき見たことない……そ、それに、この薬師たちはどうして倒れて……」
「ネフィリカスがない!! ちょっと、突っ立ってないで貴方も探してください!」
困惑する兵士の声を遮ってシエナが叫んだ。引き出しを全部開けそうな勢いのシエナは、薬草のしまわれた棚にそもそもネフィリカスの引き出しがないと分かるやいなや鬼のような形相を浮かべた。
「あの球根がどうしても必要なのよ!! 温室に行きます、あそこならあるかも……!!」
「えっ。お、お待ちください! 何をなさっておいでか分かりませんが、ネフィリカスは毒草です。温室にあるとはとても思えませんが……」
「何言ってるのよ! ネフィリカスの球根部分には幸運の液体って言われるくらい万能な解毒成分が……」
だがそれは世界中の薬草の文献を読み漁ったシエナだからこそ知り得る知識だ。兵の静止を聞かずに温室に探しに行ったが、ネフィリカスはどこにもなかった。
シエナは膝から崩れ落ちる。一体イザクが毒を呷ってから何十分経っただろうか。時は一刻を争うというのに、ネフィリカスが揃わなくては、薬は完成しない。
「館まで馬車を走らせる……!? いや、それより代用品を考えた方が……」
煮詰まる額を押さえながら、シエナは考えを巡らす。ネイフェリアの館にはコーデリアから送られたネフィリカスがあるが、取りに行くには時間がかかりすぎる。それでも他に方法はないかとシエナは調剤室のドアから出たが――――ふいに電流が走ったように気付いた。
「もしかして……」
「どうされました?」
奇妙な行動を繰り返す侯爵令嬢に、人のよさそうな兵はおそるおそる訪ねた。次の瞬間、砕かれそうな力でシエナに両肩を掴まれ、兵は女人のように高い悲鳴を上げた。
「ひっ!?」
「王太后……コーデリア様の部屋へ案内してください!!」
シエナは切羽詰まった様子で頼んだ。




