侯爵令嬢、監禁される
顎が外れるほど茫然としていたシエナは、閉じこめられたと分かるなり慌てて扉を叩いた。
「ちょっと、開けなさい!!」
「ごめんね、シエナ」
まるで悪びれた様子のない軽やかなフェリエドの声が、扉の向こうから響く。謀られたのだ。敵はコーデリアだけではない。フェリエドとコーデリアは組んでいたのだと、閉じこめられた事実がシエナに雄弁に語っていた。
「……っふざけないで!!」
渾身の力を込めてシエナは扉を殴りつけた。ドア枠がギシッと耳障りな音を立てたが、外れる様子は微塵もない。シエナは構わず扉を叩き続けた。
「ああ、よくないなシエナ。よくない。君の白魚のような手が傷ついてしまうだろう」
扉の向こうで、フェリエドが胡散臭い笑みを携えてたしなめているのが想像でき、シエナは奥歯を軋ませた。
「だったら開けなさい! 私を閉じこめるなんてどういうつもりよ!!」
吠えるシエナの問いに答えたのは臣下の男の方だった。
「侯爵令嬢よ。死にたくなければ、陛下が亡くなるまで大人しく此処にいろ」
「悪いけど、シエナの解毒薬で兄上に回復してもらっては困るんだ」
優しく説き伏せるように言ったフェリエドに、シエナは憤激した。
「陛下を殺す気なの!? 正気!? 陛下が貴方に何をしたっていうのよ!!」
「何も。何もしていないよ。母上の寵愛を一身に受ける僕を嫌いはしていたようだけど、何もしてはこなかった」
「だったら何で……!!」
「何もしてこないから、僕に狙われるのさ」
「……は……?」
実に単純明快だと言わんばかりに放たれた言葉に、シエナは耳を疑った。
「一つの玉座に二人は座れない。兄上は僕を早々に排除すべきだったんだ。そうすれば、僕に暗殺される心配もなかった」
「何……言って……」
自らが王の座につきたいからという理由で、フェリエドは理不尽にイザクの命を奪おうと言うのだ。そうだ、人が人を殺す理由は――――……。
「そうやって、理不尽よ……」
前世のシエナも、ただ自身の生を精一杯生きようとしていただけなのに呆気なく命を他人に奪われた。虐げられた。弄ばれた。相手の自己中心的な感情で。
「ねえシエナ。僕は君のことをとっても気に入っているんだ。君は素晴らしいよ。精霊と謳われる美貌だけの話じゃない。君は気高く、強く、賢い。そんな君が兄上の毒牙に引っかかってしまったことを残念に思うよ」
「引っかかってなんかないわよ! 憶測で好き勝手言わないで! 陛下は私を……っ」
極端に死に怯えるシエナを、イザクは救い上げてくれた。守ってくれたのだ。伝えたい言葉が舌で絡まり、上手く説明できないのがもどかしい。蹴とばしたいような感情を持て余すシエナに、フェリエドはいっとう甘い声で言った。
「じゃあ騙されているんだね、かわいそうなシエナ。僕が助けてあげるよ。兄上を殺して、僕が君の目を覚ましてあげる。あの醜く、禍々しい力を持ち、王位継承権の順位が高いだけで王になったずるい兄上から、君を取り戻してあげる。僕と一緒になろう?」
「……っ!!」
カッと怒りで胸が熱くなり、シエナは力任せに扉を叩いた。手の平から腕に痺れが伝ったが、それが気にならないほどイザクを馬鹿にされたことが屈辱だった。
「虫唾が走るようなこと言わないで!! 私は……ったとえ陛下がいなかったとしても貴方に靡いたりなんかしないわ。だって貴方は、他力本願で、欲しいものは手に入るのが当然だと思っている。傲慢で努力をしない。でも陛下は、私に好かれようと不器用ながらも考えてくれたし、花を贈ってくれたし、どうしたら喜ぶか考えてくれる!! 貴方とは違う!!」
いったい誰が、自分の代わりに毒を飲んでくれるというのだ。不器用でどこまでも優しいイザクに、シエナは心から惹かれたのだ。
「フェリエド、貴方なんかよりイザクに惹かれるのは当然でしょ」
分厚い扉の向こうから返事はない。シエナを閉じこめたままフェリエドが去ったのかと一瞬不安になったが、ややあってフェリエドが口火を切った。
「やっぱり、兄上はずるいや。醜い化け物のくせに僕の欲しいものすべてを奪っていくんだ」
「陛下は化け物じゃない!!」
焼けただれた片目や人に宿らぬ力だけで人扱いされずに育ったイザクを思うと、シエナは苦しくなった。
「ずるいのは、母親の力を借りて自分では何も手を下さないアンタの方じゃない!!」
「黙れ!!」
ドアを通してもビリビリと毛を逆立てるような怒声が、シエナを貫いた。ドア越しに、感情をむき出しにしたフェリエドの荒い息が響いた。
「勘違いしないで、シエナ。僕は母上の力を借りたんじゃない。利用しただけさ。使えるものを利用して何が悪いんだい? それに、兄上に致命傷を負わせるのは僕だ」
「な、に……?」
解毒薬が作れるシエナをここに閉じこめ、イザクの全身に毒が回って事切れるのを待っているだけではないのか。フェリエドの発言に、シエナは胸が騒いだ。
「フィンベリオーレにはしきたりがあってね。王は王位継承権のある者に一対一の戦いを挑まれたなら、どんな条件下でも受けねばならない。そしてその戦いに敗北した場合は、王位を退かねばならないのさ」
「それって……」
「僕はこれから兄上に勝負を挑むつもりだよ、シエナ。そして兄上に打ち勝ち、王位を手にする」
「……っこの……! 卑怯者!」
コーデリアから感じるものとは違う怯えをフェリエドから感じた理由が、シエナはようやく分かった。彼は、前世でシエナを刺殺した通り魔と一緒だ。卑怯なのだ。
自分より確実に弱いものを選び、打ち壊そうとする。己に歯向かえないものを。
「誰も認めないわ! そんな卑怯な手を使ったって!」
「卑怯? それを誰が知っているんだい? 兄上が毒を盛られたことを知っているのは、ほんの一握りの人間しかいない。母上と、反逆者として死刑を待つ身の双子と、僕の息のかかった臣下と、愚鈍な臣下が数人、そして今ここに閉じこめられて何もできない君だけじゃないか」
「……っ」
「待っててシエナ。すぐに兄上の息を止めてくるよ。そしたら僕を選んでくれるね?」
泣きじゃくる幼子に言って聞かせるような優しい声で、フェリエドが囁く。シエナは扉に取りすがった。
「……待って、やめて!! やめてフェリエド!! お願い!! フェリエド!!」
扉を乱暴に叩くがフェリエドからの返事はない。それどころか、大理石の床を踏みしめる足音が徐々に遠のいていった。
やがてドアを挟んだ通路に人気がなくなり、シエナはフラフラとバロック調の様式に似た室内を見回した。力なく手近のソファに腰掛けるが、頭の中はイザクのことでいっぱいだった。
事態は一刻を争うのだ。このままではイザクは確実に死んでしまう。
「~~~~っ」
シエナは苛立ちに任せ、繊細に結い上げられた銀髪をかきむしった。水のようにサラサラの髪は背中へ滑り落ち、髪留めが絨毯に落下する。カーテンの閉め切られた室内で鈍い輝きを放つ髪飾りを見下ろしたシエナは、弾かれたように立ち上がった。
「そうよ……!」
急いで観音開きの窓へ駆けよると鍵はかかっていなかったが、遥か下方に美しく区画された庭園が見える。とてもじゃないが自力で降りられる高さではない。
早々に窓から脱することを諦めたシエナは、絨毯から髪飾りを拾い上げた。髪留めの一部を小粒な歯に挟みこんで折り曲げる。すると細長い針金がひょっこり姿を現し、シエナはあくどい笑みを浮かべた。
「鍵をかけられたなら、解錠すればいいだけじゃない……! この私の手足を拘束しなかったのは失敗だったわねフェリエドこの野郎……!」
(落ちこんでいる暇なんてないわ。今すぐここから出て陛下を助けてやる……!)
「こちとら監禁されてなぶり殺されるシチュエーションから、縄をほどいてピッキングして抜けだすイメトレなんて何千回としてるんだからね! 国中の鍵を注文しては届いた物を片っ端からピッキングして鍛えた華麗な指さばきを披露してやるわ!」
シエナは指を鳴らしながら、鍵穴に向き合った。




