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侯爵令嬢、食らう

 無事に鎮魂の儀を終えた後にやることは、前世の日本の法事とさして変わらない。参列された客人へ、お礼の一環として食事を振る舞うのだ。


 ただ――――中流家庭でとり行う法事とは規模が天と地ほども違った。見渡す限り、著名な人、人、人で溢れている。


 世界史の資料集で似たような景色を見たことがある、というのが、シエナの最初に抱いた感想だった。ニフによって案内された回廊は、まるでヴェルサイユ宮殿の一室のよう。


 煌びやかな壁にそって丸テーブルが置かれ、会場は立食形式になっていた。足音を吸い込む上質な絨毯が回廊の中央に長く伸び、権力の象徴である金をふんだんにあしらった上座が奥に用意されている。


 しかし目に痛いということはなく、つる草模様の壁紙も、鏡のように美しい天井も、暗色の重たいカーテンも、すべてが個性を殺すことなく調和していた。


「お嬢、何か食べるなら取ってきやすぜ?」


 壁の花と化し周囲の様子を窺うシエナに向かってニフが訊いた。


「冗談でしょ……。こんな空間でお腹なんて空かないわよ……」


 目の前を通過したのは、隣国の宰相だ。視界の斜め先で談笑を楽しんでいるのは、友好協定を結んでいる国の第二王子。それから貿易相手国の女王だ。


(これ、前世だったらバラエティで大御所芸能人の中に若手芸人が放り込まれた並の悲惨さがあるわよ……)


 己を若手芸人に例えたシエナは、会場内の空気がピリリと研ぎ澄まされたことに気付く。皆の視線の先では、黒衣を翻らせたイザクが上座で立ち上がっていた。


「こたびは先王の為、遠方から足を運んでくれた皆に感謝する。大したもてなしは出来ぬが、ぜひゆるりと過ごされよ」


 肺腑にビリビリと響くような、尊大で威厳に満ちた声だった。大国の王らしく決してへりくだりはしないイザクの落ち着いた物腰に、参列者は皆息を飲む。その場に跪きたくなるような圧倒的な存在感が、今はシエナを安心させた。


「お嬢、行かねえと」


「え?」


 ぼうっと上座を眺めていたシエナをニフがせっつく。背中を押されたシエナが不満げな声を上げると、ニフは「鬼女からの杯を受けてくだせぇ。しきたりです」と呆れたように言った。


 見れば、弔問客が次々と上座へ向かいイザクとコーデリアに話しかけては、イザクの隣にかけるコーデリアからグラスに酒を注がれていた。客がその場で酒を呷るのを、イザクより一段低い椅子にかけたフェリエドが心地よい笑みを浮かべて眺めていた。


 参列者は次々に先王を悼む口上を述べ、注がれた酒を一気に呷ってはその場を辞していく。慣れたものだ。ニフの言うように、これがしきたりなのだろう。おそらく昨年はシエナの代わりにオルゲートが同じように杯を呷っていたに違いない。


 正直コーデリアには近寄りたくはないが、しきたりと言われれば従わぬわけにもいくまい。これで不興を買うのはごめんだ。シエナはニフに付き添われ、近付いてくる順番を待った。


(嫌味だけで済めばいいけど……)


 各国の重鎮が集まったこの場は、世界の縮図でもある。そんな場で辱められるのはごめんだ。


(でも、陛下に近付けるのは良かったかしら)


 もしコーデリアがイザクに害をなそうとするのなら、近い位置にいた方が止められる。まして今は側近のニフをシエナにあてがってくれているのなら、尚更イザクの近くにいた方が、ニフもイザクを守りやすいはずだ。


 剥き出しの肩にヒリヒリとした緊張を背負い、シエナはニフを連れだってコーデリアの目の前まで来た。途端に、肺に鉛を詰めこまれたような圧迫感がシエナを襲う。イザクと同じ色をした瞳は地獄の業火のようにまがまがしい色でシエナを貫いた。


 血の色の紅を引いた唇が、うっそりと動く。


「これはこれは……水の精霊ではないか。相も変わらず美しい奴よのう」


 にっかりと刻まれたコーデリアの笑みに、シエナは蛇に絡めとられたような気分になる。が、白磁の肌に鳥肌が立つのを抑えこみ、水の精霊という通り名にふさわしい清廉な表情を浮かべて頭を垂れた。


「父の名代で参りました。父が先王陛下の鎮魂の儀に馳せ参じられなかったことを、代わりにお詫び申し上げます」


「顔を上げよ。ネイフェリア侯の事情は聞いておる」


(そもそもアンタが仕組んだんでしょうが……!)


 そう毒づきたくなるのを、奥歯を噛んで堪え、シエナはついと尖った顎を上げる。ステムに天使の羽のような装飾が施されたグラスを受け取り、一礼してからコーデリアの前に差し出せば、彼女はシエナの緊張などいざ知らずといった様子で「おや」と声を上げた。


「葡萄酒が切れたようじゃな。これ、代わりを」


 そばに控えていた女の配膳係が、サッと代わりの瓶をコーデリアに差し出す。トプンと音を立てそうなほどたっぷり入った瓶から、シエナの杯へ真っ赤な葡萄酒が流しこまれる。


 手が震えないよう気をつけながらそれを見ていたシエナは、ふと鼻孔を掠めた匂いに眉間を険しくした。


(この綿あめみたいに甘い香りは……)


「どうしたというのだ?」


「え、あ……いえ……」


 一瞬、ほんの一瞬だった。しかし、鼻腔を過ぎった匂いは疑いとなってシエナの脳にしみこまれる。シャンデリアの光を反射して煌めくグラスの中、赤黒く波打つ葡萄酒が鉛のように重く感じられる。瞬きの数が増え、青白いこめかみに冷や汗が伝う。


 これは――――――毒だ。


(――――……そういう、こと……?)


 シエナはてっきり、コーデリアはイザクに暗殺をしかけてくるのではと危惧していた。その巻き添えを食らう可能性は心配していたが、まさか、コーデリアの手が直接自身に伸びるとは思っていなかった。


「お嬢?」


 シエナの半歩後ろに控えていたニフが、訝しげに小声を絞り出す。玉座にかけたイザクが、紅蓮の瞳を気遣わしげにシエナへ向けた。そしてその視線はそこから、葡萄酒へ。


 シエナはほぼ無意識に、イザクから見えないようグラスのボウル部分を指で隠すように握った。固く握りしめすぎたせいで、爪がグラスに当たって耳障りな音を立てる。


 血の色をしたコーデリアの薄い唇が、愉快そうにめくれ上がった。


「どうしたというのじゃ。水の精霊」


 まるでコーデリアは、慣れない父の名代として馳せ参じ緊張する侯爵令嬢の緊張を解きほぐすよう、優しく声をかけているように見える。


 しかし、それは嘘だ。シエナはどっと汗が噴き出すのを感じながら、万感の憎しみを込めてコーデリアを睨んだ。


(迂闊だった……! 王太后の狙いは陛下だとばかり……!)


 まさかイザクの求婚者である自分を狙ってくるとは。


 目的は何だ。シエナが死ぬことによりイザクが悲しむ姿を見るため? いや、目的など今はどうでもいい。問題は……。


 シエナはグルリと広間を見渡す。何百人もの視線が、シエナに注がれていた。


(この衆人環視の中、毒が入っていると訴えるというの?)


 国民しか参加しなかった聖火祭とはわけが違う。他国からの弔問客も訪れている場で、毒殺未遂を、しかもそれを実行しようというのがコーデリアだと糾弾すれば……この国、ひいてはイザクの威厳が地に落ちる……!


(もし飲まなければ侯爵令嬢如きが、王太后の杯を断るなんて非礼だとバッシングを浴びる……。死ぬ危険に比べればそんなこと屁でもないけど、王太后のことだから難癖をつけて私を断罪する理由とするかもしれない……それに、お父様の評価はどうなるの? それに、陛下は?)


 汗で滑りそうになるグラスを抱え込みながら、シエナは頭をフル回転させた。おそらく葡萄酒に混ざっている毒はレアンレルタールだ。喉を焼くような痛みが襲い、飲んだ瞬間から喋れなくなる者や窒息する者もいるという。が……。


(……っ。いいわ、飲んでやる! レアンレルタール製の毒は遅効性、服用して即死ぬレベルではないはず……!)


 大きく息を吸うと、シエナは意を決しイザクを見上げた。眼帯をつけたイザクの表情はシエナの様子を憂いていたので、シエナは安心させるように微笑みかけた。切れ長のイザクの目が、何かを悟ったように見開かれシエナのグラスを見やった。


(誰よりも生き残りたい。のに……私に命をかけさせる存在がいるなんてね……)


 心臓が耳の裏で破裂しそうなほど鳴っている。音を立てて震えそうになる身体を叱咤し、シエナは青ざめた唇をグラスに押しあてた。そのままグラスを傾けようとした時――――……。


 眼前に闇夜のような黒い影が過ぎった。と思うと、手中にあったグラスがさらわれる。シエナが目を白黒させていれば、イザクがシエナからグラスをふんだくっていた。


「陛下……!?」


「母上。私がかねてより求婚している侯爵令嬢は、酒にめっぽう弱い」


 広間が一斉にざわつく。他国の重鎮たちがサッとシエナに値踏みするような視線を送るのをシエナは痛いほど感じた。


「陛下!? 一体全体何を……」


 この場で言いだすのか。人形のように整った顔を歪ませたシエナに、今度はイザクが微笑んだ。途端に嫌な予感が、わく。喉がカラカラになり、唾さえ飲みこめなくなった。


「愛する彼女が酒に酔う姿はあまりに魅力的ゆえ、他の誰にも見せられない。――――なのでこの杯、私が代わりに飲みましょう」


「――――……っ!? 待って! 待っ……」


 シエナが絹を裂いたような声を上げる。


 しかしその声は、周囲の歓声に掻き消された。鎮魂の儀という暗い行事の中轟いた、フィンベリオーレの王に求婚相手がいるという明るいニュース。そして愛する者のために代わりに杯を呷ろうとするイザクの男気に拍手が巻き起こる。


 虚をつかれたようなニフとロア、そして――――……ほくそ笑むフェリエドと。真っ赤に紅の引かれた唇をこれでもかと引きのばして薄ら笑ったコーデリア。

 すべてが視界の端でぼやける中、シエナは一心にイザクを見つめて手を伸ばした。


「陛下、やめて……イザク!!」


 それは毒なのだ。貴方が口にすべきものじゃない!!


 その叫びを殺すかのように、シエナの伸ばした手をイザクが握り返す。グラスが傾き、イザクの浮き出た喉仏が上下する。まるで絶望を飲みくだしているようだと思った。


「い、や……やめて……やめてよ……」


 現世に転生してから、これほど恐ろしいと思ったことはない。冷たいナイフをちらつかせられた時よりも、もっとずっと恐ろしかった。足元が崩れていくような恐怖に、シエナは首を横に振った。


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