侯爵令嬢、嫌がらせを受ける
コーデリアに会ってから数日、シエナは警備が強化された館にこもっていたのだが、一つ変わったことがあった。
「シエナ様、今日もまた贈り物が届きましたわ」
「ありがとう。今日は何?」
シエナ宛てに、荷物が届くようになったのだ。イザクから。いや――――……正確にはイザクの名を騙る、偽者から。
若い娘が喜びそうな鮮やかな包装紙やリボンに包まれたプレゼントには必ずカードが添えてあり、そこには王の紋章が描かれた印が押されているのだが、それが偽造されたものだと気付いたのはオルゲートだった。
王の名を語り、贈り物を送ってくる人物の心当たりなど、一人しかいない。間違いなくコーデリアの差し金だろう。
先日の詫びのつもりなら、わざわざ差出人をイザクと偽る必要もない。ならば何故イザクからの贈り物と嘘をついて荷物を送ってくるのか――――……その理由は明白だった。
シエナに対する嫌がらせだ。それも非常に悪質な。
「オルオーラの花です。今日の贈り物は、大丈夫そうですね」
鉢植えごと送られてきた花を抱えたリリーナは、シエナの座るテーブルへとそれを下ろした。幾つもの小さな花をつけるそれを一瞥したシエナは、スッと目を細める。
「離れなさい、リリーナ」
「え……? どうしてです? まさか鉢の中に何か仕掛けでも……!?」
小動物のようにうろたえるリリーナを横目に、シエナは葉っぱを裏返し、筋の入り方を確認した。
「ああやっぱり。リリーナ、これはオルオーラじゃないわ。ネフィリカスよ。よく似ているけれど、ネフィリカスの花には毒性が強く含まれているわ」
「そんな……! 他の使用人とも確認したのに……!?」
「気付かなくても無理ないわよ。ネフィリカスとオルオーラは葉っぱの筋の入り方がわずかに違うだけだから」
「も、申し訳ありませんシエナ様……! 気付かずお部屋までお運びしてしまいました……! すぐに処分を……!」
「何言ってるのリリーナ!」
真っ青な顔で鉢を持ちあげ部屋から持ち出そうとしたリリーナの手から、シエナは鉢植えを取り上げた。それから、母親が最愛の幼子を見つめるかのごとく慈愛に満ちた視線をネフィリカスに向ける。十人が十人見惚れてしまいそうなシエナの笑みに、リリーナだけは疑問を抱いた。
「シエナ様……? そのお花、どうする気ですか?」
「何って、育てるのよ。ネフィリカス……確かに花の部分は毒だけど、球根部分をヘラで潰して出した中の汁には幸運の液体と呼ばれるほど万物に効く回復薬の作用があるのよ……! ああもう、初めて王太后に感謝だわ」
毒草に頬ずりしそうな勢いのシエナを見て、リリーナはずっこけそうになった。そして思った。シエナなら、殺したって死ななそうだと。
実は前世で一度殺された経験が有りのシエナだが、当然そんなことを知る由もないリリーナは、主人の図太さに呆れ半分、感心半分といったところだった。
「ですが……いよいよシエナ様のお命を狙っていると隠しもしない感じですね……」
暗い表情で目を伏せるリリーナに、シエナはそうね、と頷く。
そしてシエナへの嫌がらせを、イザクの名をかたって行うのだからタチが悪い。もしシエナが蝶よ花よと育てられ頭の中も可愛い令嬢だったなら、まんまとイザクの仕業と思いこみ、死んでいてもおかしくない。
「やっぱり自衛は大事だわ……」
先王の命日がすぎれば、コーデリアもフェリエドも王宮を去る予定だ。そうなれば、一先ずは嫌がらせも途絶えるだろうとシエナは予想しているのだが、事態はそう甘くもなかった。
翌日、館内はいつになく騒がしかった。
調剤室にこもってネフィリカスの球根を刻んでいたシエナは手を止め、窓辺に近寄る。どうやら騒々しいのは館の中だけではないらしい。館の門の前には、民が押し寄せていた。
「何事なの」
まさかコーデリアによるいやがらせかと思っていると、リリーナが慌ただしくノックをして扉を開いた。
「シエナ様、大変ですわ。ネイフェリア領の森に、魔犬が何匹も出たそうです。既に何人もの民が襲われているらしく、群衆がオルゲート様に討伐隊を率いて下さるよう押し掛けてきたそうです」
「何ですって? 魔犬が……!?」
魔犬は前世の野犬よりもずっと性質が悪い。こちらの世界の魔犬はケルベロスのように頭が三つもあり、大人の腕の長さほどもある獰猛な牙で人に襲いかかるのだ。
「それでお父様はなんて仰ってるの……?」
「討伐隊を組むことは了承した様子ですが、今はシエナ様の傍を離れるつもりはないと……」
「お父様の元へ行くわ」
シエナは薬を調合するためにかけていた鍋の火を止めると、材料をそのままにして部屋を出た。それから一人でオルゲートの執務室へ向かう。部屋の前まで来ると中から切羽詰まった様子の声が聞こえてきた。
「オルゲート様、お願いします。討伐隊を率いて下さい。ネイフェリア領の者は皆不安がっています。数々の武功がある貴方が先導してくだされば、民の不安も和らぎましょう」
「すでに殺された者もいるのです、どうか……どうか……!」
懇願する民たちに、オルゲートは返答を寄こさない。殺された者もいる、と聞いて、シエナは前世で刺された場所が痛む気がした。水の精霊と見紛うほど美しい顔で一つ息を吐いてから、重厚な扉をノックして執務室に入る。
中には、手を組んだまま険しい表情で執務机にかけたオルゲートと、彼を必死に説得しようとする人々の姿があった。
「お父様、行って下さい」
「シエナ!? いや、だが……」
のらりくらりと交わすのが常なオルゲートにしては歯切れが悪い。
どうやらオルゲートはコーデリアに目をつけられたシエナを心配して、今家を空けることに踏みきれないらしい。突如現れたシエナの美貌に魂を抜かれたような人々を一瞥してから、シエナは腰に手を当て、オルゲートを睨んだ。
「まさか侯爵ともあろう方が、民よりも娘を優先するおつもりですか。私ならご心配なく、魔犬に対峙するよりずっと安全な環境にいますわ。ここに居れば安全、そうでしょう?」
「シエナ、だがね――――……」
オルゲートは渋い顔をしてから、町の者たちに席を外すよう言った。ここまで悩んでいるオルゲートは珍しいな、とシエナが思っていると、二人になった執務室でオルゲートが切り出した。
「……今朝、私の元にこれが届いた」
オルゲートは執務机の引き出しから取り出した一通の封筒を、シエナに見えるよう机の上に置く。オルゲート宛ての手紙を手に取り、シエナは何気なく裏返して送り主を確かめた。
そこで一瞬、呼吸が止まりそうになる。送り主の名は書かれていなかったが――――その封筒は、王太后の紋章である睥睨する鷲のシーリングスタンプが押されたものだった。
つまり、これはコーデリアからオルゲート宛てに送られてきた文書というわけである。
シーリングスタンプは手紙を開けてしまうと封蝋の部分が割れてしまい、誰かが読んだと一発で分かる。割れている状態ということは、すでにオルゲートは目を通したあとなのだろう。
「これは……」
「中身は先王を偲ぶ鎮魂の儀への出席要請だ」
「ちんこんの、ぎ……」
鎮魂の儀とは、たしか元の世界でいう法事のようなものだったはずだ。先王の冥福を祈り、慰めるための公的行事のはず。シエナはオルゲートが毎年この時期『鎮魂の儀』に参列していたことを思い出した。
「この儀式のために、コーデリア様は一月以上前から王宮にこもり、地下の神殿で毎日祈りを捧げていた」
「それが、どうしたというのです……?」
「討伐に出るなら、魔犬の退治に時間がかかり鎮魂の儀までに戻れない可能性が高い。そうなると、私は欠席することになる」
「それは、仕方ないのでは?」
「仕方ないで済む話じゃありやせんぜ、お嬢」
人払いをしたはずの部屋に、シエナにとってはむかつく声がした。
バッと勢いよく振り返ったシエナの碧眼に、扉の前で腕を組むニフとロアの姿が映る。甘いマスクのニフは、らしくもなく若草色の目を難しそうに細めていた。
そしてその後ろには、双子に案内するようせがまれ折れてしまったのだろうリリーナが、ばつの悪そうな顔をして立っていた。
「毎度毎度、どうやって沸いてくるのよあんた達は……!」
わなわなと肩を震わせるシエナの言葉を無視し、ニフは言った。
「鎮魂の儀は爵位のある者なら全て出席するよう法で定められていやす。もしやむにやまれぬ事情がある場合は、名代を立てる必要があるんでさぁ」
「はあ? 名代を……?」
「通常なら奥方か御子息が代わりに出席しやすが……オルゲート様には奥方も御子息もいない……。つまり、オルゲート様が出席しないなら、代わりにお嬢が出席しなけりゃならないってことでさぁ」
今年はあまり更新できない年でしたが、来年は創作に割ける時間を増やしたいところです。皆様よいお年をお迎えください。




