表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/59

侯爵令嬢、嫉妬される

 イザクの赤くなった頬に冷たいタオルをあてるシエナの目はまだ吊りあがっている。イザクは「こうやって改めて向き直ると、本当に王宮へ乗りこんできたんだな」と感心したように、でも複雑そうに言った。


「どこかの誰かさんが一切連絡を寄こさないものですから」


 シエナは刺々しく言った。イザクは苦い顔をする。


「正直、お前には今王宮には来てほしくなかった。でも……」


 イザクはシエナの腰に手を回し、今度は優しく抱きしめた。


「会いにきてくれたのは、すごく嬉しい」


「……解せません。私、陛下は私に飽きて他の女性に走ったのかと思っていました」


 シエナが拗ねたように言うと、イザクは「そんな訳ないだろ」と即答した。


「シエナにはずっと会いたかった。だが――――……今の王宮は危険だから、連絡を取り合うわけにはいかなかった」


「……あの双子もそんなことを言っていました。理由、説明してくれますよね?」


 シエナが空色の瞳でイザクを見つめると、イザクは眩しそうに目をそらしてから、ロココ調に似た二人掛けのソファにかけた。シエナが隣にかけると、イザクは口火を切った。


「今、王宮にはある者たちが訪れている。一人はフェリエド、そしてもう一人は――――……王太后コーデリア。俺の母親だ」


「王太后様が……!?」


 思いがけない人物にシエナは吃驚してから――どうりでフェリエドが王宮にいるわけだと納得した。


「ああ。先王である父の御世に騎馬を率いて戦場へ現れたほどの勇猛さ、そして荒々しい性質から、鬼女きじょと恐れられる方だ」


「きじょ……鬼……?」


(じゃあ、ニフたちが言っていた『鬼』って、陛下の母親のことだったのね……!?)


 イザクは続ける。


「ここ一カ月ほど、あの人とフェリエドは王宮に滞在している。――――先王、俺の父上の命日が近いからだ。フィンベリオーレには、歴代の王を悼み毎年一月以上、先王の妃は王宮にこもるしきたりがあるからな。そうじゃなきゃ、あの女は来たりしねえだろうよ」


 最後の一言を、イザクは自嘲気味に言う。それからシエナの肩を掴み、深刻な口調で言った。


「……シエナ、今の此処は危険なんだ。お前が嫌う危険そのものだ」


「え……?」


「あの人――……王太后はフェリエドが俺を嫌う以上に俺のことを憎んでいる。俺を苦しめるためなら、あの女は手段を選ばないだろう」


「陛下……」


「お前との連絡を絶っていたのも、王宮への立ち入りを禁止したのも、フェリエドやあの人とシエナを会わせたくなかったからだ。特にあの人は、新聞の記事を見てシエナが俺にとって特別な存在だと感じとっている。もし王宮で会えば――――正妃にしたように、お前を自分の陣営に取りこもうとするかもしれない。それで済むならまだしも、もしあの女の不興を買ったら――……」


 たしか正妃はイザクの目を厭い、イザクの不興を買ったはず。イザクの口ぶりだと王太后に取り入られていたせいなのだろうかと、シエナは何となく察した。


 とはいえ、シエナはコーデリアと直接話したことはないので推測しかできない。しかしイザクが心に影を落とす原因となってしまった彼女に良い印象を抱けなかった。


「シエナには手紙の返信が出来ない理由を知らせたかった。だが、予定していた日より早く王宮へ現れたあの女と、あの女の息がかかった者たちに郵便から何から何まで見張られていて、それもままならなかったんだ」


「そう、だったんですか……」


 イザクはイザクなりにシエナを巻きこまないよう守ろうとしてくれていたのだろう。それなのに邪推してしまっていた自分がシエナは恥ずかしくなった。


「父の命日が過ぎれば、あの二人は王宮を去る。そうすればまた一年後まではあの人がくる心配もない。だからそれまではオルゲートの庇護下にいてほしかった。だが、どんな方法を使ってでもシエナには連絡が取れないことを伝えるべきだった。すまないな」


「いえ……私こそ、そんな事情があったのに、陛下のお心も知らず突然押し掛けてすみませんでした」


 神妙に謝るシエナに、イザクは「お前は悪くない」と言った。


「心のどこかで、俺の母親が王宮に来ていることを知ったら、シエナが怖がって離れていってしまうかもしれないと危ぶんで、黙っていた節も否定できないからな」


「離れていったりなんてしませんよ」


 あまりにもその言葉が口からすんなり出たことにシエナは驚いた。厄介ごとは嫌いなはずなのに、自分はイザクに関することなら平気なのかもしれない。それがシエナにとってイザクは特別なのだと再認識させられて、シエナは頬を紅潮させた。


 あの日、凶刃から守ってくれたあの日から、そして寝室で宥めてくれたあの時から、シエナの中でイザクは確実に特別な存在になってしまったのだ。こうやって王宮に押し掛けるほどに。


(こんなのもう、私……陛下のこと好きなんじゃない……!)


 赤くなって黙りこむシエナの隣で、イザクもまたむず痒そうに前髪をくしゃりとかき上げた。


「……お前が、たまに妙に俺を浮かれさせるのは、わざとなのか……?」


「……!」


「普通は、嫌がるだろ……。そうやってお前が受け入れてくれる度に、なんか……俺はお前が好きなんだって思い知らされる……」


 焦がれるように言われて、シエナは胸の辺りが疼くのを感じた。イザクはシエナが好きだと真っ直ぐに伝えてくれるけれど、それがシエナの心を大きく揺らしていると自覚がないのが怖いとシエナは思った。


(……そのうち自分の方が陛下にはまってしまうんじゃないかと怖くなるの……この人は知らないんでしょうね……)


 ますます気恥ずかしくなり、シエナは強引に話を変えた。


「あ、の……陛下の真意も聞けたことですし、早々にお暇いたします。陛下が王宮へ来るなとおっしゃるなら、先王陛下の命日が過ぎるまでは連絡も控えます。あの、でも……帰る前に一つよろしいですか?」


「何だ?」


「気がかりなことがあって、その、エドのことなんですが……。もし陛下の推測通り、闘技場で陛下へ刺客を送りこんだのがエドだとしたら、彼が王宮にいる今、陛下のお命は危なくはないのですか?」


「あいつの性格上、自分で直接俺に手を出したりはしないから心配はいらない。王宮ではあらゆる目が見ているしな。こちらも油断はしない。それよりシエナ」


 穏やかさを取り戻していたイザクの声が、一気にマイナスまで冷えこんだ。


「俺のことは名前で呼ばないくせに、どうしてあいつの名前は呼ぶんだ」


「え? あ――……な、なんとなく……?」


 そういえばそのせいでさっきもイザクを怒らせてしまったことをシエナは思い出す。シエナからすればたかが名前だが、イザクにとってはそうではないらしい。イザクは明らかにムスッとし、不機嫌をあらわにした。


「妬ける」


「え」


「あまり妬かせるな。お前のことになると、気が狂いそうになる」


「……陛下は、ご自分こそ発言一つで私の感情を揺さぶっている自覚を持ってください」


 前世の記憶を合わせても、こんな風にストレートにシエナを好きだと伝えてくる相手はいなかったのだから。恥ずかしさでそろそろ茹だってしまいそうだ。


 扇子で火照った顔を仰ごうとするが、その手をイザクに掴まれる。隣にかけたままズイと距離を詰められシエナがドキドキしていると、イザクは子供のように言い放った。


「……シエナ、俺のことを名前で呼べ」


「ええっ」


 以前にもこんな会話があったなあと思いながら、シエナはううんと唸る。別に嫌なわけじゃない。ただ、陛下と呼ぶ方がシエナの中で節度も保てるし、しっくりくるのだ。


「フェリエドのことは呼べるのに俺のことは名前で呼べないのか……?」


 またしても嫉妬の炎を揺らめかせるイザクに、本当に炎を出されても困ると思い、シエナは小さく呼んだ。


「……イザク様」


「様はいらない」


「ええー……」


「シエナ」


 イザクに両頬を掴まれて視線を合わされる。シエナは一度大きな溜息をついてから、意を決して言った。


「……イザク?」


「…………」


「でも、やっぱり陛下は陛下って呼ぶ方が馴染みます。イザクって呼ぶのはたまにで良いです……か……きゃっ」


 シエナがそう言っている途中で、ボスッとシエナの首元にイザクが顔を埋めた。目を白黒させてイザクを見つめると、彼の艶やかな黒髪から、赤い耳が覗いていた。


「……照れるなら、言わせないでくださいよ……」


 シエナも赤くなりながら恨みがましく言うと、イザクは「お前が悪い」とくぐもった声で言った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ