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侯爵令嬢、暗躍される

久しぶりの更新になってすみません><

 角を曲がり視界から消えていく侯爵令嬢を見送ってから、フェリエドは手のひらに視線を落とした。芳しい花の香りがする彼女を、願わくばもう少し抱いていたかったと名残惜しく思いながら。


「さすが兄上を夢中にさせる女だ。強くて、靡かない。第二王子である僕に『黙れ』とまで言うなんて」


 それを少し面白くないと思う自分と、最高に楽しいと考える自分がいることにフェリエドは気付いていた。聖火祭で会った時から、彼女は自分を飽きさせない。


 イザクが夜伽に招いた侯爵令嬢に懸想し、それを突っぱねられたという話を知ってから、フェリエドは興味本位でシエナに近付いた。


 仮面をしていても溢れんばかりの美しさですぐに分かった。馬鹿な女なら口説きおとして、兄を気落ちさせるためだけに利用しようと思ったが、シエナは少しも自分に心を揺らさなかった。それどころか隙あらば撒こうとしている様子にフェリエドは笑いを堪えるのが必死だった。


 極めつけは闘技場への乱入だ。あれは傑作だった。そして今日も、せっかくフェリエドが挑発したというのに、シエナはイザクに剣をおさめさせた。どこまでも予想の上を行く面白い女だ。


 唯一フェリエドがシエナに関して気に食わないことがあるとすれば、あの瞳が自分を捉えていないことだ。


「彼女の瞳が僕に向けばいいのになぁ……」


 あの気の強い瞳が自分だけを見つめてくれたら、背筋を駆けあがるほどの快感が得られそうだとフェリエドは思う。


 兄が想いを寄せる相手が自分のものになったら、一体どれほどの愉悦を味わえるだろうか。先ほどの様子を見るに、兄は自分を殺そうとするかもしれない。


「欲しいなぁ……シエナ」


 水の精霊のように美しい侯爵令嬢へ、フェリエドはうっとりと想いを馳せる。しかし、侯爵令嬢の名残を楽しむ時間はフェリエドにはなかった。シエナたちが去っていった方向とは逆の廊下から、侍女を従え、ある女性が姿を現したからだ。


 水面に波紋が描かれるように、凛とした空気が辺り一帯に広がる。この世のものとは思えぬ女性の美貌に、フェリエドの姿勢が自然と伸びた。


 引きつれている侍女たちも大輪の花のように麗しいが、そんな彼女たちが霞むほど、中心にいる女性は美しい。


 風に遊ばせた黒真珠のような髪からのぞく顔は、透き通るように白い。細く筋の通った鼻と、引き結ばれた薄い唇は理知的な印象を抱かせ、燃えるように赤い瞳が意志の強さを感じさせる。


シエナとはまた違った気の強い瞳――――周りを従わせることを当然とした、高圧的な瞳の持ち主である女性は、回廊に佇むフェリエドを見つけると口を開いた。


「……フェリエドか?」


「何ですか? 母上」


 羽衣を纏った天女のように美しい女性に向かってフェリエドは言った。


 王太后のコーデリアは新芽のように瑞々しい少女というわけではない。今を盛りと咲き綻ぶ若々しい女性というわけでもない。けれど、成熟の時を迎えた真っ赤な果実のような魅力がある。実の息子であるフェリエドさえ、毒々しいまでの母の存在感にあてられることがあった。


 人々はシエナの美貌を氷のように冴えわたるだとか冷たい美しさだと評すが、コーデリアと比べればシエナは薄い皮膚の下に温かい血を通わせた立派な人間そのものだとフェリエドは思う。それほどまでに、コーデリアの瞳は激情を灯していても暗く冷たい。


「ここら一帯に、かすかにけがらわしい熱気が残っておる……」


 コーデリアは扇で整った顔を隠しながら、疎ましそうに言った。


「あの忌々しい者の魔力の名残が一帯に漂っておるわ……フェリエド、お主先ほどまであれと居たのか?」


 コーデリアの繊手がフェリエドの頬へと伸びる。その瞳は、今にもフェリエドが血を噴き出して倒れるのではないかと言わんばかりに憂えていた。


「あの化け物に何もされなかったか? 火で脅されたりは? そなたに何かあればわらわは……」


「大丈夫ですよ、母上」


 フェリエドが答えると、コーデリアはイザクに似た切れ長の瞳を和らげ、息子の胸に身を寄せた。


「ああ、愛しい子。可愛い子。母上をあまり心配させないでおくれ。あれは化け物じゃ。近付いてはならん」


「……あれとは、兄上のことですか」


 口にすれば穢れてしまうと思っているのか、コーデリアは一切イザクの名を出さない。なのでフェリエドがわざと尋ねると、コーデリアはイザクに似た苛烈な瞳で息子を睨んだ。


「兄じゃと……? あれはそなたの兄などではない! 化け物じゃ! 自らの業火でその身を焼き、目玉を燃やした化け物じゃ……! あれがそなたの兄であるはずが……わらわの子であるはずがない……! わらわの子で……っあるはずが……っ」


 修羅のように怒っている途中で、コーデリアは息を切らした。すかさず侍女が背中を支えると、コーデリアは煩わしそうに侍女を突き飛ばした。羽織っていたショールを身体に巻きつけ直し、コーデリアは愛しい息子を見上げる。


「フェリエド、約束しておくれ。あれには近付かぬと。そなたがあやつの業火に焼かれれば、わらわはもう正気を保てぬ」


 すでに狂気に支配されているではないかと内心で呟きながら、フェリエドは母の肩をなでた。烈火のごとき激しい気性から鬼女きじょと呼ばれる彼女だが、イザクを産んでから体調を崩すようになったらしい。それもまた、コーデリアがイザクを疎む原因の一つだった。


 昔は聡明な人だったらしいが、先王が亡くなってからというもの塞ぎこむことが増え、鬱々としていることが多いコーデリア。そんな彼女を見て、フェリエドは妙案を思いついた。


「……母上、僕は兄上に嫌われているようです」


「あれには人の血が通っておらん。そなたを嫌うのはそのせいじゃろう」


「このままではいずれ、僕は兄上に殺されてしまうかもしれない。……母上、どうしよう?」


 フェリエドが目を伏せ心もとなげに言うと、コーデリアは発作でも起こしそうな顔をした。実際に息が浅くなっている。コーデリアの頭には、イザクの炎によって身を焼かれるフェリエドが浮かんでいるに違いない。


「そんなことさせるものか……!」


 コーデリアは火がついたように怒った。


「わらわが、わらわがあの悪鬼からそなたを守ってみせる! だから大丈夫じゃフェリエド……! わらわが……あやつを手にかけてでも……殺してでも――……」


 その言葉を聞いて、フェリエドは心中でほくそ笑んだ。しかしそんな様子はおくびにも出さずに言う。


「そんなことを言わないで、母上。誰が聞いているか分からないんだ。兄上に密告されて母上の身に何かあったら、僕はどうすればいいんだい?」


「ああ、そうじゃな……。あの化け物ならやりかねん。すまぬフェリエド、可愛い子、わらわはそなたを一人にはせぬから安心するがよい」


「そうさ、『母上』が殺すなんていけないよ」


「ああ……しかしそなたがあの異形に殺されることがあればわらわは……」


「そうだね、僕は兄上が不慮の『事故』や『病気』にでもならない限りいつか殺されてしまうかもしれない」


「――――事故や、病気……?」


 言葉の意味をよく噛みしめるようにコーデリアが繰り返した。それから何かを閃いたように扇を口元にあてた。


「そうじゃ……わらわが堂々と手をかけずとも、あの化け物が死ねば問題ない……」


 憑かれたような表情でコーデリアが呟く。フェリエドは聞こえない振りをしながらも、内心で兄を嘲笑った。


 コーデリアが直情的な人間であることを息子のフェリエドはよく知っている。異常なまでにフェリエドを溺愛していることも。そのフェリエドが「兄に殺されるかもしれない」と泣きつけば、コーデリアが取る行動もフェリエドには推測出来るし、誘導も出来る。鬼女と名高い王太后が可愛い息子のために、イザクへ何かをしでかすことを。


 自分は何もやる必要はないのだ。ただ兄を嫌う母を言葉巧みに操ってやればいい。


 フェリエドは先ほどの光景を思い返す。立っているのがやっとなくらいの威圧感を持った兄、そしてその炎。自分が欲しくても絶対に手に入らない魔力や権力を兄は持っている。その上、シエナまで隣に侍らせようとしている。それがフェリエドは気に食わなかった。


「――――……ずるいよ、兄上。シエナは僕にちょうだい」


 フェリエドはワガママだった。イザクを憎んだ反動からくる盲目的な母の愛で砂糖漬けにされて育てられたせいだ。周りの誰もフェリエドを叱ることはなかった。父である先王と、イザク以外は。


 フェリエドは嫌われ者の兄より、自分の方がずっと王にふさわしいと思っていた。頭も悪くないし、剣の腕だって立つ。それでも、先王である父は次期王にイザクを据えた。他者より少しばかり秀でたフェリエドより、右目がなくとも王としての圧倒的な資質を持つイザクの方を選んだのだ。


 諸外国をねじ伏せるほどの魔力で国の平穏を保ち、自らの炎をエネルギーとして供給することで石炭が産出できずとも国が燃料に困ることはない。身分は問わず有能なものを登用して新しい改革案を次々に打ち出し、五年、十年先を見越した政策を進め市街地の整備にも努めたため、イザクは民からの信頼も厚い。


 そのせいか――……母から溺愛されていた第二王子フェリエドは、やがて臣下や民からこう呼ばれるようになった。王太后の人形、鬼女の傀儡かいらいと。


 兄よりも愛されていたはずの自分は、蔑んでいた兄より下に見られ、つまらないもののように扱われるようになった。自分は何もしていないのに。兄が偉大すぎるせいで凡庸であるかのように噂されるのがフェリエドには耐えられなかった。


 母が自分に構いすぎるのだって、イザクが自分の魔力を制御出来ず醜い見た目になったせいだ。フェリエドはそう苦々しく思っていた。


 フェリエドは自分より劣っていると思っていたイザクが祭り上げられるのが気に食わない。だから聖火祭でも人を雇って民衆の前でイザクに恥をかかせようとしたのだ。


「兄上、僕は力では貴方に勝てない。けれど――……貴方から奪って見せますよ、何もかも」


 そうだ。魔力も権力も、自分が努力したって手に入らないものなら、いっそイザクから奪ってしまえばいいとフェリエドは思った。そして自分の手を汚す必要もない――……自分は何もせず、兄から全てを奪い、そしてシエナを手に入れようと。


 そのためにはイザクと関わりを持ったシエナに多少危険な目に遭ってもらうはめになるかもしれないが、何故かあの少女ならそれを乗り越える気がした。


 フェリエドは笑う。そしてコーデリアに告げ口するのだ。


「……そういえば、母上、今兄上の元に噂の侯爵令嬢が――……」



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