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侯爵令嬢、驚愕する

 忍んで行動した方がいいと言われると、どこまでも慎重になってしまうのがシエナである。


 敵がもしかしたら天井から降ってくる可能性や、背後から突然襲ってくる可能性を想像しながら、数歩進んでは振り返り、視界に誰もいないことを確認してまた進むという不審な行動を繰り返していた。


「……いやまあ、不審者が王宮にいたらそれこそ大問題だけどね、というか、この場合私が不審者か……」


 鉄壁の守りを誇る王宮で襲われる心配はまずないだろうと思うが、他者に見つからないように行動するとなると、どうしてもシエナの頭は危険な目に遭うという被害妄想で捗ってしまう。


 大理石のホールを抜けると数人の侍女が歩いてくるのが見えたので、シエナはブロンズ像の影に隠れる。それから甲冑がずらりと並ぶ廊下を抜け、鏡の間の近くで兵を見つけたので迂回する。何しろ人が多い王宮内、中々イザクの執務室まで辿りつけそうになかった。


 ただでさえイザクの執務室へ足を運んだ回数は少ないので、シエナは脳内に王宮の地図を思い描きながら進む。


 やがて空中庭園が臨める回廊へ出たところで、シエナは足を止めた。この回廊を抜け通路を曲がれば、イザクの執務室は目と鼻の先だ。思わずシエナの表情も緩む。


「さて、陛下に何て言おうかしらね……」


 そうしてシエナが一瞬気を緩めた瞬間――……。


「!?」


 突如、何者かの気配を感じたかと思うと、隠れていた誰かにグイと手を引かれた。そのまま太い柱の影に引きずりこまれる。


「……っもが!?」


 突然のことに動転している間に、大きな手のひらによって口を塞がれ、後ろから抱きすくめられる。抵抗しようと身をよじると、耳元へ声が吹きこまれた。


「……静かに。忍んで行動しているように見えたけど、誰かに見つかってもいいのかい?」


「……!?」


 イザクによく似た声に反応し、シエナは動きを止める。でも違う。イザクはこんな甘ったるい口調では話さない。この口調、そしてこの声は――――……。


「……大人しくしてくれる?」


 シエナが頷いて暴れるのを止めると、拘束が緩くなる。シエナは振り向いて声の主を見上げた。


(私、この声を知ってる。この声は――……)


「エド……?」


 シエナが振り返った先には、鳶色の髪を揺らして微笑む美青年が立っていた。


 聖火祭では仮面を装着していたので、ついぞ顔を拝むことは出来なかったが、シエナは本能的に分かった。眼前の男は聖火祭で会ったエドだと。


「ああ」


 藤色の衣装に身を包んだ彼は、名を呼ばれると作り物のように綺麗な顔で笑う。第一印象でイザクに似ていると感じたせいか、素顔の彼は切れ長の瞳といい、唇の形といい、顔の造形までイザクに似ている気がした。


 ただ纏う雰囲気はエドの方が柔和で、物腰も柔らかい。イザクの抜き身の刀のように研ぎ澄まされた鋭さや、他者を射抜くような眼力もエドにはない。


 戸惑うシエナの頬を包みこみ、エドは甘ったるく微笑んだ。


「久しぶりだね」


 人懐っこい笑顔に気が緩みかけて――しかしシエナは我に返った。しまった、誰にも見つかってはいけないのだった。それに、何故エドが王宮にいるのか。


(高貴な身分と踏んではいたけど、まさかこんなところで会うなんて――――……一体何の用で王宮に? 陛下に呼ばれたのかしら……?)


 それに、気配に敏感なシエナの反応が遅れるほど気配を消すのが上手いなんて、やはりただ者ではない。


「リリーナ?」


 返事をしないシエナを、エドは聖火祭で教わった偽名で呼ぶ。


「あ……っ。えーっと、ごめんなさい。あまりに驚いたものだから……」


(そうだった。もう二度と会わないと思ってリリーナの名前を教えてたんだった……!)


 いよいよ厄介だ。シエナの中でその場からダッシュして逃げるか、はぐらかすかの選択肢が浮かぶ。どちらも成功するイメージが湧かなかったが、はぐらかす方に天秤がわずかに傾いたので、シエナは言い訳を捻りだそうとした。


「ええっと……よく分かったわね、私が聖火祭で会った彼女だって」


『エド』と呼んでしまった以上、初対面の振りをするのは無理があるだろうとシエナは聖火祭で会った『リリーナ』は自分であると認めた。嘘をついたところで、エドが騙されてくれるほど鈍いとも思えなかった。


 案の定、エドは白い歯を輝かせて「そりゃあ分かるさ」と言った。


「聖火祭で、君の美貌は仮面をつけていても隠し切れていなかった。今素顔の君を見て、あの時と同じ魅力を感じた。想像していた通りの美しさ……いや想像以上の美貌に驚いているよ」


 相変わらず口のよく回る男だ。歯の浮くような台詞にシエナは苦笑しながらも、活路を見いだそうと必死だった。


(エドは私が陛下に王宮内への出入り禁止を食らっていると知らないのかしら……? とりあえずこの場をやり過ごすのがベストね……出来ればエドが何者かも知りたいところだけど……)


 シエナの腹の内を知らないエドは、シエナへ快活に笑いかける。


「あれからずっと君のことを考えていたんだ。また会えて嬉しいよ。エドと呼んでくれて本当に嬉しい」


「え、ええ……私もまた会えて嬉しいわ。聖火祭では挨拶も出来ずに別れてしまってごめんなさい。それで、ええと、私、実は用があって此処へ参ったの。もう行かなくてはいけないから、また後日ゆっくり――……」


「まだいいじゃないか」


「きゃっ!?」


 ドレスの裾を持ち上げ、先へ進もうとしたシエナの腰にするりとエドの腕が回った。滑るような手つきだったが、途端にシエナの全身が粟立つ。


(あれ……?)


 路地裏で襲われたトラウマだろうか。イザクの時は平気だったのに、エドにつめ寄られるとシエナは圧迫感に襲われ、喉がつまった。


 エドのことは好きでも嫌いでもないはずなのに、離れてほしいと思ってしまう。


(これは、トラウマ……? いや、違うわ……私の身体が、無意識にエドを警戒してる……)


 どうしてだろう。混乱するシエナだったが、理由はすぐに分かった。仮面を外したエドはとても気さくで、爽やかに笑いかけてくるけれど、目がちっとも笑っていないのだ。


 そのことに気付いてしまうと、先日会ったフェミニストが胡散臭く見え、シエナは若干の薄ら寒さを覚えた。


「……エド」


「顔色が悪いね」


 シエナの発言を遮るようにエドが言った。


「そのドレスの色のせいかな。まるで夜空に星を散りばめたみたいな……イザク陛下に包まれているようなそのドレスが、君の顔色に合ってないのかもしれない」


「……そう、かしら……」


 額に汗が滲むのを感じながら、シエナはフレアスリーブのドレスへ視線を落とす。星屑のようなビジューがきらきらと瞬く群青色のドレスは、聖火祭でイザクに貰ったバレッタとよく合っていると、行きの馬車でリリーナは褒めてくれたのに。


 シエナは耳の横で留めたバレッタに、おまじないのように触れた。見上げたエドはやはり朗らかに微笑んではいるが、ロゼ色の瞳は底が見えないほど冷たい。


「……エド、私急いでるの。話すのはまたの機会にしましょ」


「せっかく再会出来たばかりなのに、『またの機会』なんて曖昧な約束で煙に巻くのはやめてほしいな。だって僕は君が何者か知らないのに、この次はどうやって再会しろと言うんだい?」


「それは……」


「それに、この前はあんなにハキハキと話していたのに、今日はおたおたしているね――らしくないじゃないか、リリーナ。…………いや……本当の名はシエナ、かな?」


「――――っ!?」


 たっぷりと含みを持たせて放たれたエドの言葉に、シエナは狼狽する。明るいブルートパーズの瞳を見開くシエナに、エドは依然として笑みを絶やさなかった。


「どうしてその名を……」


「ははっ。やだな、知らないはずがないだろう? 闘技場に乱入した君の写真が新聞に載っていたじゃないか。君の素性もね。シエナ。良い名前だ、気品溢れる君にピッタリだよ。リリーナという名前は可愛いけど、君のイメージには合わないと思っていたんだ」


「……嘘を言ってごめんなさいね、まさか貴方と此処で再会するとは思わなかったものだから」


「いやいや、謝ることなんてないよ。本名を伝えなかったのは僕も同じだ」


 たしかにシエナの顔と名は新聞で一気に知れ渡ったし、それ以前に、闘技場で仮面を外したシエナをきっとエドは見ていた。とっくにリリーナが偽名だとこの男は気付いていたに違いない。


 それなのに、エドはシエナに再会しても今の今までリリーナと呼び続けた。何もかも見透かしたような瞳で。その理由は、シエナを動揺させたかったからに違いない。


(爽やかな見た目に反して、性格は悪そうじゃない……)


 シエナのこめかみがヒクリと動いた。エドをあしらうのは無理そうだ。なら、真正面からぶつかるしかない。


 シエナは細く息を吐き出すと、警戒心をむき出しにして言った。


「私だけが素性を知られているなんてフェアじゃないわね。エド、貴方の本当の名前は?それに貴方――どうして王宮にいるの?」


 シエナの尖った声を意に介した様子もなく、エドはますます笑みを深めた。


「聞きたい?」


「……ええ」


「そうだね。シエナになら、教えてあげてもいいかなぁ。君は聖火祭で、僕をとても楽しませてくれたから」


 コツリ、とエドの革靴が一歩シエナへと近付く。二人の影がより重なり、シエナには蛇に絡めとられているように見えた。遠くで雷鳴が聞こえる。


「ねえシエナ」


 エドがシエナの頬を撫でて囁く。唇同士が触れ合いそうなほど距離を詰められたが、シエナは毅然とエドを見つめ返した。


「僕の本当の名前はね、フェリエドっていうんだ。フェリエド・フィンベリオーレ……」


「フィンベリオーレって……」


「そうだよ」


 エド――……フェリエドは心地よい笑みを浮かべて言った。


「僕は王位継承権第一位の、フィンベリオーレ王国第二王子だ」


(それって、つまり……)


「……イザク陛下の……おとう……と……?」


 掠れた声で言ったシエナに、フェリエドは口の端を吊り上げて満足げに頷く。その仕草があまりにもイザクと似ていて、ああ、本当に兄弟なのだとシエナは痛感した。


最近は「彼が私をダメにします」という新連載を始めたので、二週間に一度の更新というペースが定着しつつあり申し訳ないのですが、のんびり楽しんでいただけると嬉しいです><

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