侯爵令嬢、退路をふさがれる
ロアはマカロンを頬張っており、ニフの方はまばたきした次の瞬間に門兵の傍まで歩み寄り、彼の肩へ腕を回していた。門の周りが一斉にざわついたが、ロアが一瞥を送ると、皆緊張した面持ちで黙った。
「いけねぇお人だ、お嬢」
ニフは嘆息まじりに言いながら、門兵に向き直った。
「アンタも、王の命に背こうなんざ、思わない方が身のためですぜ」
「は、はい。申し訳ございませんでしたニフ様……!」
心中を看破されたことに、ニフよりずっと体格のいい門兵は恥入った様子で謝った。ロアはその口にマカロンを突っこんでいる。シエナは邪魔が入ったことに舌打ちしたいのを堪えた。
「感動ですねぃ。まさかお嬢が耐えかねてイザク様を訪ねてくれるなんて」
会話の聞き取れない距離まで門兵を追い払ってから、ニフが切り出した。
「でも『今』の王宮に来るのは不味いや。お嬢、大人しくご自分の家に戻ってくだせぇ」
「何で私があんた達の言うことを聞かなきゃいけないのよ」
シエナは不満をあらわにして言った。
「俺らの言うことは聞かなくても構いやせんけど、残念ながらこれはイザク様の命なんでね。お嬢とは連絡を取るな、もし来ても追い返すように、と」
ニフは肩をすくめて言う。イザクの側近であるニフから改めて言われると、シエナの胸がちくりと痛んだ。
(やっぱり、私、陛下に避けられてるのね……)
「どうして陛下は私を避けているの」
「避けてるって訳じゃあねぇと思いやすけど」
ニフにしては歯切れが悪い。シエナはカツンとヒールを鳴らし、仁王立ちになった。
「避けていない? よく言うわね白々しい。あんた達の口ぶりだと陛下が王宮にいるのは明白。陛下が今忙しいなら、手があくまで待つわ。そしたら会えるかしら? それに、視察じゃないなら、どうして音沙汰がなかったの。理由を教えてもらえるまで、私、ここを動かないわよ」
「それ、ダメ。ここにいたら、目立つ、から」
ロアはシエナの肩を掴み、王宮の前に立ち塞がった。
「何よ。目立ったら不都合なことでもあるわけ?」
シエナが挑発的に言うと、双子は目を見合わせた。ニフはやれやれと両手を上げる。
「不都合があるから言ってるに決まってるじゃねえですか。折角イザク様がお嬢を王宮から遠ざけているっていうのに、その配慮を無碍にするもんじゃねえですぜ」
訳知り顔で言うニフに、シエナのイライラは募っていく。
「だからどうして私を遠ざけているのよ。その理由を陛下に直接聞きたいの。例えそれがどんな理由でもね」
「イザク様がお嬢を遠ざけている理由は――……」
「陛下に直接聞きたいって言ったでしょ、チャラ男。どいて」
シエナは双子の胸をぐいと押す。シエナよりずっと背の高い二人は押したくらいじゃびくともしなかった。
「イザク様がお嬢を遠ざけている理由は、多分お嬢が邪推しているもんとは違うと思いやすぜ」
「……邪推って何よ」
シエナが新雪のような頬を膨らませると、ニフはおや、と意外そうに笑った。
「違うんですかい? だってお嬢、今恋する乙女みたいな顔してるから」
「……! まだそんなことないわよ! ねえロア!?」
「なんでそこで俺に、加勢求める……」
ロアはどんぐりのような目をしばたいてから、シエナにフランボワーズのマカロンを押しつけた。食べろと言っているらしい。シエナが渋々口をつけると、ロアは犬でも愛でるようにシエナを撫でた。
「主は意味もなく、令嬢を遠ざけたり、しない、から。そこは、安心して」
「……安心して、今は帰れって言うの?」
普段口数の少ないロアが慰めのような言葉を吐いたので、シエナは少し熱くなりすぎたかと反省した。たしかにイザクはこれまで、悪戯にシエナを傷つけることはなかった。懐の中へ招いた人には優しいことをシエナは知っている。だからこそ、突如素っ気なくなったことにショックを受けているのだ。
その理由が知りたい。
「……やっぱり引き返す気にはならないわ。陛下に会わせて。会わせないと言うなら、あんた達をはり倒してでも此処を通るつもりよ」
「お嬢のそういう剛毅なとこは好きですけどねぇ……」
ニフは天を仰ぎながら「ううん」と眉根を寄せた。いつもへらへらした彼らしくない仕草に、いよいよシエナも不穏な気配を感じとる。
(病気でも怪我でも、遠征でもない、チャラ男の口ぶりからすると、女性問題でもないかもしれない……? それ以外で陛下が私に会えない理由って何……?)
もしかしたら自分が預かり知らぬところで、何か大きな歯車が回り始めたのかもしれない。不穏な気配を象徴するように、空に分厚い雲が横たわり太陽を遮った。
「――――……しゃーねえや」
ややあってから、ニフが観念したように言った。
「門は俺らが通したことにしてあげやす。けどお嬢、知りやせんぜ。ここで何か見ても、いや――――何か見ちまったら、もうお嬢は戻れやせんぜ」
ニフが牽制する。引き返すなら今だと言われている気がした。シエナはイザクが音信不通な理由を聞きに来ただけだというのに、随分脅しめいた口ぶりではないか。そんな厄介事にイザクは足を突っ込んでいるというのか。
「それでも行くんで?」
「……行く。行くわよ」
シエナは挑むように言った。ニフは完全に折れたようだった。
「ならもう俺たちはお嬢を止めはしやせん。ただ、お嬢、この門の先からは、俺らはついては行けやせんぜ」
「俺らが出来るの、ここまで」
ロアが言った。構いたがりの二人がここから先は一人で行けと放りだしたことに、シエナはやはりいつもと違う何かを感じとってしまう。
「この先は、自力でイザク様の元に辿りついてくだせぇ。本当は門を通すならいっそ最後までついて行ってあげたいですけど、俺らはどうも目立つんでねぇ。正直、こうして喋っている今も『鬼』に見つからないか戦々恐々でさぁ」
「鬼……?」
シエナが訊き返す。ペガサスやユニコーンなら当然のようにいるこの世界だが、鬼も平然と存在しているのだろうか。シエナの疑問にニフとロアは「隠語みたいなものだ」と返した。
「主、執務室にいる」
ロアはもう一つシエナにマカロンを押しつけながら言った。成り行きを見守っていたリリーナが遠慮がちに言う。
「シエナ様、私は……」
「悪いけど、侍女を連れて歩くのもアウトでさぁ」
ニフはリリーナに待機するよう言った。
「お嬢、なるべく目立たず、誰も会わずに行動することをお勧めしやすぜ。じゃなきゃ、『今』のここでは何が起こるか分からねえ。今王宮で何が起こっているのかは、お嬢が言うとおり、お嬢が直接イザク様に聞いてくだせぇ」
「……分かったわ」
一体全体、この王宮で何が起こっているのか、イザクの身に何が起きているというのか――それがきっと、イザクがシエナを遠ざけた理由だろう。
今更気後れしてしまうシエナだが、発言を撤回する気にはならなかった。自分はイザクに会いにきたのだから、イザクに会って、理由を聞くまでは帰れないし、帰る気もない。
ニフ達に会ってもいまいち要領を得ないシエナだが、とりあえず忍んで行動した方が身のためだということは肝に銘じておこうと思った。
覚悟を決めると、シエナは顎を引き、王宮をスッと見据える。それから群青のドレスの裾をついと持ち上げ、滑るように歩きだした。しかし。
「あ、お嬢、ドレスの下に隠し持っている薬品類や銃、短刀は預からせていただきやすぜ」
「…………何で出鼻をくじくのよチャラ男」
「お嬢こそ、何でイザク様に会うためにそんな武装してるんでい」
呆れた様子のニフへ、シエナは渋々護身グッズを預けたのだった。
小さくなっていくシエナを見送りながら、ロアは静かに呟く。
「ニフ、令嬢、行かせて本当によかった? 鬼に遭遇したら、どうするつもり……」
「お嬢はただでは済まないだろうねぃ。でも、イザク様の命令は絶対だけど、きっとイザク様はお嬢が訪ねてきたこと、内心では喜ぶはずだからどうしようもねぇだろい」
そう言ってから、ニフは眼差しを鋭くさせた。
「……それに、選んだのはお嬢だ。イザク様に関わった時点で、遅かれ早かれこうなる運命だったと俺は思うぜ。仮に今日避けて通れたとしても、いつかはきっと対峙するはめになる――……『鬼女』と呼ばれ恐れられるあの女――――――コーデリア王太后に。遅いか早いかの違いだけだ」
遠くで雷が鳴る。一雨きそうだと零しながら、双子はそれぞれの持ち場へ戻った。




