侯爵令嬢、夜伽を頼まれる
「何が『ということ』なのか一ミリたりとも分かりませんでしたわ、お父様」
満面の笑みでぶっ飛んだ発言をかました父を、シエナは一刀両断した。
(嫁ぐってなんだ。結婚? 私が? 王様と? あれ? 恋愛に寛容な世界だった前世でも結婚についてはもっと締まりがあった気が……いやでもサ○エさんはマス○さんとお見合いしてその場で結婚決めていたっけ……?)
困惑を極めるシエナの口元が引きつった。
「そうだね、嫁ぐは性急すぎるね。言い改めるよ」
オルゲートは顎鬚を撫でながら重々しく頷いた。
「とりあえず陛下の夜伽の相手をしてくれないかな。シーナ」
「お父様ったら、お茶に砂糖を入れすぎてとうとう脳みそが砂糖漬けになったのではないですか」
「えっ。まだ九杯しか入れていないのに」
「それだけ入れればやりすぎよ!」
違う。父親が極度の甘党ということなど今はどうでもいい。今は――……時折思いもよらない爆弾発言を落とす父だが、今回は今までの比ではなかった。
(嫁ぐって、夜伽ってなに、一晩陛下と寝ろって!? ――――冗談じゃないわよ!)
声を荒げそうになるのを抑え、シエナは深呼吸してから噛みしめるように言った。新雪のように白い頬に赤みがさしてくる。
「お父様、順を追って説明してください。私に分かるように」
立ち話では済みそうにないので、シエナもリリーナに紅茶を入れてもらい、シエナとオルゲートはソファにかけた。
「そもそも国王陛下には確か王妃様がいらっしゃいますよね。では私を側妃に、というお話ですか」
フィンベリオーレの王族に一夫多妻が認められていることはシエナも知っている。まだ十九歳のイザク陛下は隣国の王女を正妃として迎えていたはずだ。結婚してはや三年、お世継ぎが生まれたという話は聞かないが。
「その王妃様とイザク陛下は折り合いが悪くてね、王妃様は一年前から実家へ戻っている始末だ。世継ぎなど到底望めそうもない」
オルゲートは深い花の香りがする紅茶を一口飲みながら言った。もっとも砂糖だらけで芳醇な味が舌に広がっているとは思えないが。
「だがイザク陛下は男盛りだ。王妃様との間に世継ぎが生まれていないのをいいことに、貴族や役人たちはこぞって娘や街で買った女を陛下の元へ送りこんだ。もしこれで娘たちを陛下が囲い、さらには陛下の子を身ごもれば、王族の親類になれるわけだからね」
「……それで、結果は。イザク陛下はその娘たちをどうしたのです」
「一晩共に過ごしてポイだよ」
シエナは盛大に顔をしかめた。だいたい話が読めてきた。貴族たちが娘を王の元へ送りこんだと言う話だが、それを言うならオルゲートだってシエナという娘がいる貴族だ。
「それでお父様は他の貴族に倣い、今度は自分が、娘である私を陛下の元へ送ろうと考えた訳ですか。それで陛下がもし私を気に入って妃に迎え、世継ぎをもうければ次期王の祖父になれるとお考えですか」
言葉がどうしても冷やかになる。出世や権力といった類に興味があるようには見えない父だが、それでも王族の親類というのは魅力的なのかもしれない。
「おっと、勘違いしないでおくれマイエンジェル! 私は権力のために可愛い娘を売ったりしないよ!」
オルゲートは心外だと言わんばかりに手を横に振った。シエナは眉を寄せる。
「だって陛下に嫁ぐようにとおっしゃったじゃないですか」
「それは言葉のアヤというか……ああ、半眼で睨まないでおくれ! 私はね、陛下に女遊びをやめさせたいんだ!」
「女遊びをやめさせるために、何故私が陛下の元へ送りこまれることになるのですか」
「それは、シエナが前に話してくれた異国の昔話を思い出したからさ。たしか――アラビアンナイトだっけ?」
そういえば昔、口を滑らせてオルゲートにアラビアンナイトの内容を語ったことがある。さすがに前世でのお話とは言えないので、異国のお伽噺だと偽ったが。
アラビアンナイトは、妻の不貞によって女性不信になった王が国の娘たちと一晩を過ごしては処刑していたのをやめさせるため、大臣の娘シェヘラザードが王の元へ自ら嫁ぎ、毎晩物語を語って聞かせ、ついには処刑をやめさせるのが主軸の話だ。その中にはシンドバッドの冒険やら色々……ん?
「アラビアンナイトの王と、今の陛下の現状は少し似ているだろう?」
「つまりお父様は、私にシェヘラザードの役割をせよとおっしゃるのですか」
こめかみ辺りが痛くなってきた。シエナは頭を抱えるが、オルゲートは察しのよい娘に嬉しそうに頷いた。
「話が早くて助かるよシエ――」
「申し訳ありませんがお父様、謹んでお断りいたします」
オルゲートが話し終える前に、被せるようにしてシエナは言った。
「え? 何で? よくない? アラビアンナイト大作戦」
「何が大作戦ですか……そんな物語のように上手くいくわけありません! そもそも陛下に女遊びをやめさせたいなら、お父様がご自分で説得なさればいいじゃないですか!」
「だって陛下に女遊びをやめるよう進言したら、『俺が納得するような女を連れてきたら考える』って言われたから、シエナを連れてくって答えちゃったんだもーん」
だもーん、って何だ。だもーんって。中年のおじさんにそんな語尾が許されると思っているのか。
「ならば陛下の好きにさせればよいのです! そのうち夜遊びで気に入った令嬢を側妃になさるでしょうよ」
「そう思って一年が過ぎたが、陛下はそんな素振りをちらとも見せない。このまま貴族の娘たちを捨てて、もし身ごもった子まで認知しないことになれば、やがて陛下は色に狂った王として臣下や民の信頼を失うことになる。それは避けたいんだよ。嫁ぐ云々は置いておいて、とりあえず陛下と一晩だけ会ってくれないか」
オルゲートは先ほどより真剣味を帯びた表情で言う。シエナは父のこの表情に弱いのだが、自分の不安は伝えておこうと声を発した。
「でもお父様。もし、もし私が、陛下の不興を買ってアラビアンナイトで処刑された娘たちのように陛下に殺されたらどうするのですか……!」
そう、シエナにとって問題はそこだった。
(そうよ、この際結婚なんて問題じゃないわ。大事なのは貞操でもない。命よ! 誰より長生きするために転生してから護身術や剣術、薬学や医術にも精を出したし健康的な食事も心がけたし、危険なことには近寄らないようにしていたのに、こんなところで死に直面してたまるもんですか……!)
「さすがシエナ。とことん生にしがみつこうとするね」
愛娘から出てきた言葉が「愛する人と結ばれたいから結婚反対」なら可愛らしかったのだが、生にどこまでも貪欲な様子にさすがのオルゲートも苦笑がこぼれた。
「当たり前です。人として一番大事な権利を他人に奪われるわけにはいきませんもの」
「陛下はむやみに臣民の命を奪ったりはしないさ」
「そんなの分かんないじゃん!」
むきになって敬語がついはがれ落ちてしまうシエナ。オルゲートはソファに深く腰掛け直し、腕を組んで冷静に言った。
「頼むよ。シエナにしか頼めないことなんだ」
「それが分かりません……私以外に適任者なんていくらでも……」
「確かに女遊びをやめ側妃を娶るよう進言するだけなら、他に適任者はいくらでもいる。だが、それだけでは私が望む『根本的な問題の解決』にはならない。陛下の心をお救い出来ない。お前でなければ」
「――――……どういう――?」
父の言葉の意図が分からなくて、詳しく聞こうと前のめりになるシエナ。しかしオルゲートは得意の笑顔を振りまいて煙に巻いた。
「夜伽を断ればどのみち陛下の不興を買うことになる。そうなると私もシエナも立場が危うくなるよ。それは結果的に、シエナを危険にさらしてしまうかもしれないね」
「……がってむ……!」
八方ふさがりではないか。シエナがいくら安全に気を配っていても限界がある。こうして父親と豪邸で茶をしばきながら安全にケンカしていられるのも、侯爵令嬢として生活していられるからだ。
(陛下の不興を買えば、警備の行き届いたこの生活もなくなる……!)
何より、自分の命も大切だが――シエナはオルゲートに深く感謝していた。前世では父親と疎遠で親の愛に飢えていたシエナに、オルゲートは惜しみない愛情を注ぎ育ててくれた。それこそ、自分の命を危険にさらしても報いたいと思う程度に感謝しているのだ。シエナの腹を読んでいるリリーナからはファザコンと言われそうなくらいに。
(腹をくくるべきね……)
「分かりました……」
シエナはすでに冷めきった紅茶を一気に呷って飲み干すと、カップをソーサーになかば叩きつけて言った。
「いいわ。カチカチ山だろうが、白雪姫だろうが鶴の恩返しだろうが……この私が寝物語を語りつくして放蕩なイザク陛下を改心させてあげます……!」
肩を怒らせて立ち上がったシエナに、オルゲートはパチパチと拍手を送る。それからどこか楽しむような雰囲気で言った。
「シエナは酔狂な王だと思っているかもしれないけどね、私はなかなか見込みのある王だと思っているよ。こうして恭順に仕えるくらいにはね」
「そうですね。私に指一本触れず改心してくれたら、そう認めてあげてもいいです」
(オーケー、やってやろうじゃない。王を改心させて、ついでに恩でも売って私に何人か腕の立つ用心棒をくれるようねだってやる……!)
拳を固く握り、シエナは決然とした足取りで退室していった。その後ろ姿を見守りながら、オルゲートはやはり楽しげに言った。
「お前はきっと陛下のお気に入りの妃になると思うよ、シエナ」