侯爵令嬢、揺れる
更新の間があいてしまいすみません><
「へい……!? なん、起きて……!?」
泡を食うシエナ。目を覚ましたイザクの眼光は鋭く、とても寝起きには見えなかったので、もしかするとずっと目を閉じていただけなのかもしれないと思った。
「その様子ならいつもの調子に戻ったみたいだな、だが――……おい、シエナ。お前は何をしてるんだ」
「土下座です」
残像が見えるほどの速さでイザクから離れると、シエナはベッドシーツに額をこすりつけて土下座した。
「し、しがない侯爵令嬢のために、陛下が身を張るなんて、あってはならないことです。……すみませんでした。陛下から逃げたのに、わざわざ追いかけて助けていただいて、ホントに何て言ったらいいか――……」
「顔を上げろ」
呆れたような声で、イザクにグイと腕を引かれる。再び顔を上げると、不機嫌なイザクと目が合った。
「お前だって聖火祭で俺を守っただろう」
「あれは身体が勝手に……それに、聖火祭ではそうだったかもしれませんが、これからもそうとは誓えないんです。見たでしょう? 私の無様な姿を――……あれほど生きたいとのたまいながら、襲ってくる男に抵抗も出来ずただ死に怯えて……。私なんかじゃ、陛下を守れないんです」
「俺を守る必要なんてない。お前はニフやロアとは立場が違う。お前の役目は俺を守ることではないだろ?」
イザクは頑ななシエナへ言い聞かせる。しかし、シエナは目が覚めるほどの美しい顔をくしゃりと歪めた。
「陛下の御身のことだけではありません。……私、本当に守れないんです。陛下の――……貴方の……心を……」
シエナは皺になったシーツを固く握りしめる。包帯の巻かれた指がズキズキ痛んで、シエナは爪がはがれたことを思い出した。強くなってくる痛みに気を取られていると、イザクは逃がすまいとシエナの腰を引き寄せた。
「きゃっ……?」
「――――た」
「え?」
イザクが何事か呟いた。が、声が小さすぎて聞きとれず、シエナは疑問を漏らした。シエナの腰に回ったイザクの手の力が増す。背骨が悲鳴を上げた。
「だから……だから誰が、守ってほしいと言った。俺がいつ、お前に俺を守れと望んだ」
声色から、イザクが怒っていることは容易に分かった。ただ初めて会った時のような突き放す怒りとは違い、苦しさを孕んだ怒りのようだった。
「勘違いするな」
イザクは相手を射竦めさせるほどの強い眼光でシエナを貫いた。
「誰が――……俺は自分のことで精一杯のお前に惚れたんだ。以前にも言っただろう。生に貪欲なくせに、自分の命を危険に晒してでも誰かを咄嗟に守ってしまうお前に惚れたんだ。恐怖に怯えても自分の心に正直で、行動に移してしまう。そうやって周りを動かして行くお前を好いてる」
好きと言われ、シエナはイザクの腕の中で小さく肩を揺らした。
「そんなお前を守りたいと思って妃になってほしいと言った。俺は、お前に守られたいんじゃない、お前を守りたいんだ、シエナ」
「…………っ!」
「自分の身すら守れないなら、俺がお前を守ってやる。自分の命にしか心を割けないなら、その分俺がお前のことを考えよう。だがなシエナ、お前は、自分で思っている以上に、俺に心を割いてくれている。自分のことしか考えられないと言いながら、俺のことを愛してくれる人と結ばれてほしいと言ったお前は、他人にも十分優しい」
「…………」
「……お前が、他に好きな男がいるだとかそんな理由なら、俺も引きさがったかもしれない。諦めはしないだろうがな。でもお前が」
イザクに肩を掴まれ目を合わせられる。彼の瞳の中、シエナはまるで自分が溺れているように見えた。
「お前が俺を拒む理由を、俺を守れないからだと言うなら、強引にでも攫っていくぞ」
あまりにも切実な瞳で言われ、シエナは怯み、目をそらしたくなる。しかし、彼の瞳の引力がそうさせるのか、彼から一瞬も目が離せず、シエナは瞳を震わせるばかりだった。だんだん目頭が熱くなってくる。悲しくもないのに、鼻の頭がつんとした。
「お前に幸せにしてほしいなんざ思っちゃいねえよ。俺はお前を幸せにしたいんだ」
奥歯を噛みしめて無言を貫くシエナ。イザクは愛しそうに微笑むと、壊れ物を扱うような手つきでシエナの頬を挟んだ。
「なあシエナ、完璧じゃないと、恋も出来ないのか?」
「……!」
シエナの視界に映るイザクが、涙の膜で歪んだ。上下の奥歯をギチッと音を鳴るほど強く噛みしめていたシエナの口が、うっすら開く。今口を開いたら、本音がすべて零れ出そうだと思ったが、せり上がってきた想いは内側から決壊を待ち望んでいた。
「そんなこと、言わないでよ……」
喉が熱い。言葉がフワフワと浮いて、自分の声じゃないみたいだ。
「なんでそんな揺らぐようなこと言うの。分かんないわよ、だって私……だって、ずっと……ずっと一人で生きなきゃって思ってた……!」
一人ぼっちで誰にも知られず死んだあの時からずっと。神の慈悲も希望もないなら、自分で――――。
「誰も助けてはくれないから、自分で自分を守らなきゃいけないって…………守ってもらえるなんて発想、なかったんだもの……!」
だから迷う。戸惑う。イザクから惜しみなく注がれる言葉と愛に躊躇ってしまう。自分は一人だと思っていたから、急にそうではないと気付かされても、どうしたらいいのか分からない。飛び方の分からぬ雛のようにただうろたえるだけだ。
言葉に詰まってとぎれとぎれになりながら、シエナは切々と訴える。
「生きてたいの……っただそれだけなのに……! 守ってもらえるって言われたら嬉しくて、どうしたらいいか分かんない……そこから先が分かんないよ……っ」
守ると言われると、実際に守られると、心の奥底に眠っていた前世の自分がむせび泣いて喜ぶのだ。孤独に死んでいった詩絵菜が、もう自分は虚勢を張らなくて大丈夫なんだと安心して泣く。
とうとう瞳から涙が溢れ出し、頬を伝っていく。一度流れてしまうと、次から次へと溢れ、顎で透明な珠を結んだ。
自分にも守ってくれる誰かがいるのだと思うと、こんな自分でも好きだと言ってもらえると……弱さをさらけ出してしまう。
「う~……っ」
むずかるように呻き、シエナは目元をごしごしと擦る。氾濫でも起こしたような涙に難儀していると、細い手首をイザクに掴まれた。
涙で歪んだ視界にイザクを認めると、イザクは日差しのように穏やかな表情を浮かべていた。
「こするな、目が傷つく」
「だって、止まらないんですもん……」
「止めてやろうか?」
「え……?」
シエナが首を傾げると、また一つ、花弁のように涙がはらりと舞う。イザクは一つ優しい苦笑を浮かべ、そのままシエナを引き寄せて瞼にキスを落とした。
「……初めて会った時と逆だな」
そう言って笑うイザクに、シエナはかぁっと頬を赤らめる。イザクの言うとおり、驚いて涙が引っ込んでしまった。
今までの余裕がある雰囲気や、聖火祭でキスされた時の困惑した表情とは違い、確実にイザクを男として意識しているシエナの態度に、イザクは満足げな表情を浮かべた。
「初めて会った時、世の中にはこんな奇特な女がいるのかと驚いた。でも、シエナはシエナで心に闇を抱えていて、それと葛藤していたから、俺の右目を受け入れてくれたんだな。お前の心に抱えている弱さを見せてくれたことが、すごく嬉しい。いつか、どうしてそこまで死に怯えるのか、その理由も知っていけたらと思う」
「何なんですか……。逃げ出した私を追いかけてきてくれたり、助けてくれたり……陛下は、変です……」
「お互い様だろ。それに、好きな女を助けるのは当たり前だ」
喉を震わせて笑うイザクが、朝日に照らされて眩しく見える。とろりと弦月のように細められた目がシエナに愛しいと伝えていて、シエナは胸が大きく高鳴るのを感じた。
――――この胸に灯りがともったような、この感情は、何?
「完璧じゃないと、恋も出来ないのか?」その台詞をイザクに言わせたかったので、今話でやっと彼の口からその言葉を出せてひとまず満足です。最新話までお付き合い下さりありがとうございます。




