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侯爵令嬢、救われる

 イザクの手には炎を纏った剣が握られていた。


(うそ……助けに、きてくれたの……?)


 フードの男はナイフを握っていた手を押さえ呻いていた。

 どうやらイザクに腕を切られたらしい――……地面に鮮血が滴り、傷口は燃えたままだ。男は熱さからその場を転げまわる。ナイフは手から離れ、遠くに転がっていた。


「ぐああ……っ! 熱い、痛いぃぃ!!」


 蛇のように巻きつく炎に悶絶する男を氷のように冷たい目で見下ろし、イザクは再び切っ先を男へと向ける。眼光だけで容易く人を殺せそうだった。


「俺の愛する女を手にかけようとした報いだ。地獄で紅蓮の炎に焼かれろ」


 冷酷に吐き捨て、男に剣を振り下ろそうとするイザク。しかしシエナが縋るようにギュッとイザクの服の胸元を握ると、驚いたようにシエナを見下ろした。


 イザクの凍てついた炎のような瞳が、シエナを捉え元の色を取り戻した。


「シエナ……?」


 打って変わってシエナを呼ぶイザクの声の温かさに、シエナはやっと酸素を取り込めたような気がした。


「大丈夫か、シエナ」


「や……」


 イザクのあやすような声に促され、シエナは震える口を開く。それから何日も水を口にしていないような掠れた声で訴えた。


「殺すの、やめて……」


 別に男が死ぬのが嫌なのではない、むしろ死ねばいいとさえ思っている。ただ、今目の前で『死』という存在を突きつけられるのが怖かった。


「怖いの……やだ……」


「――――……」


 だがお前を殺そうとした男だぞ、などと反論し、イザクは男を斬ってしまいたかった。


 しかし幼子のようにいやいやと繰り返し泣くシエナに、イザクは何かを感じ取ったのだろう。一度開いて何か紡ごうとした口を閉じると、冷えきったシエナの背中を宥めるように摩った。


「……分かった。殺さないから大丈夫だ、もう大丈夫だからな」


「……私、死にたくない……」


「死なせるかよ。お前は俺が守るから死なない、大丈夫だ」


「守る……?」


 涙で溺れた瞳で見上げながら、シエナが問う。イザクはひどい庇護欲をかきたてられながら、力強く頷き、先ほどより強くシエナを抱き寄せた。


「ああ、俺が守ってやるから大丈夫だ」


「……うん……」


 弱弱しく頷くシエナの瞳から、また一つ白露のような涙が零れる。頭上でイザクが痛ましそうな表情をしているのを見て、何故かシエナは安心感を得た。


「約束ね……詩絵菜しえなのこと、守ってね。約束破ったら針千本飲ませるからね……」


「随分物騒な約束だな」


 イザクは苦笑しながら「お前も、約束も守るから安心しろ」と優しい声で言った。


 シエナは指きりげんまんはこちらの世界では通じないのだな、とぼんやりした頭で考えながら、前世のシエナ――詩絵菜のことを思った。耳をイザクの胸元へ寄せ、力強い心音を聞いて安心する。自分は助かったのだと。


 きっとこの人が助けてくれるから大丈夫だと思った。


「シエナ……?」


 腕の中に収まる存在が脱力してもたれかかってきたので、イザクはシエナの顔を覗きこむ。と、シエナは涙を頬に伝わせたまま気を失っていた。その手はしっかりとイザクの胸元を握りしめたままだ。


 シエナのボロボロになった爪を見て、イザクの中で男への殺意が再び首をもたげたが、泣き顔で訴えられた言葉を思い出し留まった。


 本音を言うなら、あの男に生まれたことを後悔するくらい惨い殺し方をしてやりたかった。だが、あの場面で最優先すべきは自分の怒りではなく、怯える彼女を癒すことだとイザクは弁えたのだ。


「ひいー……っひいーっ」


 断末魔のような喘ぎ声を上げて地面に転がったままの男に向き直り、イザクは再び瞳を凍てつかせた。相手の五感を奪ってしまうような冷たさだ。


 イザクは侮蔑的な笑みで男を見下ろすと、男の顔の横に剣を突き立てる。男は「ひっ」と痙攣したように跳ねた。


「……侯爵令嬢に感謝しろ。シエナの一言がなければお前をなぶり殺しているところだ」


「ひえ……っ! 何だよお前、炎を使う化け物か……っ! ひぎぃ!」


 イザクは凍える表情のまま男の腕の腱を斬った。男は痛みに悲鳴を上げもんどり打つ。


「この国の王の名を知らないのか? またシエナを狙ってみろ。次は一瞬で消し炭にしてやる」


「ひいっ」


 腕を爛れさせた男がイザクから命からがら逃げ出す。イザクは男を追わず、剣の血を振り払ってから腰に下げている鞘へ収めた。


「……俺が斬った方が楽に地獄を味わえただろうな」


 そう呟くイザクには一縷の憐れみもない。


 イザクがそんなことを呟いているなど知りもしない男は、負傷した傷を庇いながら、イザクが追いかけてこないか背後を振り返りつつ走る。開けたところまでやってくると助かったとばかりに頬を緩めたが、男を待ちうけていたのは、悪魔のように無邪気な笑顔の双子だった。


「イザク様の不興を買ったのは、だーれだ?」


 ニフとロアがそう言って鞘から剣を抜いたのと、男がこの世の終わりのような顔を浮かべたのは、どちらが先だっただろうか。




 数分後、表通りの方で上がった男の悲鳴を耳にしながらイザクはシエナの膝裏に手を通し、横向きに抱え上げた。


 さらりと髪が流れてあらわになった横顔は蒼白で、ぐったりと動かない。瞼を落とした彼女は精巧な人形のようで、イザクは一抹の不安に駆られたが、上下する胸は彼女が生きていることを確かに知らせていた。


「……シエナ……」


 男に襲われかけているシエナを見た時、イザクは心臓が凍る思いだった。やっと見つけた自分を受け入れてくれる存在を、自らが大切にしたいと思う存在をあと少しで失うところだったのかと思うと、今更ながら肝が縮む。


 それからふつふつと湧いてくるのは形容しがたいほどの怒りだった。好いている女を手にかけようとした男への怒りと、彼女が逃げ出すほど追いつめてしまった自分への憤り。


「……シエナ。お前が斬られていたら、俺は……」


 イザクが最悪の事態を想像したところで、シエナの長いまつ毛に引っかかっていた涙が一粒零れた。


 正直、あのいつも気丈な少女がこれほど取り乱し弱弱しい姿を見せるとはイザクは夢にも思わなかった。


 よほど怖い思いをしたのだろうと思うと、痛々しく感じる。もっと早く駆けつければよかったと後悔が滲んだ。シエナが温室から逃げ出した際に、すぐ引きとめていれば、あんな下賤な男の視界にシエナを入れなくて済んだのに。シエナに怖い思いをさせなくて済んだのに。


 せめて夢の世界では穏やかに笑っていてくれるといいと思いながら、イザクはシエナの瞼に一つキスを落とした。



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