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侯爵令嬢、噂される

 リリーナが用意してくれた濡れタオルを額に載せ、シエナがベッドに沈んでから数時間。夜明け前の暗さに乗じ、オルゲートを訪ねてきた者がいた。イザクだ。


 常ならばオルゲートが王宮へ赴くのだが、急に時間を作れ、しかも内密にと言われて、こんな時間に対応するはめになった。


 欠伸を噛み殺し、使用人に用意させた眠気覚ましのコーヒーをすすりながらオルゲートは尋ねる。


「それで? 陛下、こんな時間になんの御用ですかな?」


 オルゲートがカップへ十一杯もの砂糖を入れるのを渋い顔で見ていたイザクは、温厚な侯爵へ答える。


「シエナに、正式に側妃になってくれと告白した。父親であるお前には伝えておくのが礼儀だと思ってな」


 扉の前に控えるニフとロアが動揺で肩を揺らすのを横目に見ながら、オルゲートは「そうですか」と落ちつき払った声で言う。


 イザクは不機嫌に顔をしかめた。


「驚かないんだな」


「そりゃあ、私の娘は世界一可愛いですから。出会ってしまった以上陛下がシエナに心奪われるのは必然ってものです」


「…………」


 苦い顔をするイザクへ、オルゲートはしたり顔で笑う。


「どうでした? 接してみたシエナの印象は。陛下が女遊びをやめるほど良い女だったでしょう」


 キツネのような侯爵へ素直に頷くのは癪だったが、イザクは眼帯を触りながら答えた。


「奇特な女……おかしくて、でも優しい女だ。俺の右目を見ても怖がらなかった。むしろ、俺の傷で、フィンベリオーレの栄華が保たれていると……あいつは言った」


 イザクは隻眼で窓の外を見据える。ガス灯に照らされた広大な街が遠くに見えた。


「俺の傷痕を見ても変わらぬ態度で接し、今日は俺の身を守ってまでみせた。俺が疎んでいた炎を、あいつは好きだと言ってくれた。あれは……そうだな、オルゲート、お前の娘とは思えないくらい上等な女だ」


「思わず惚れてしまうほどに?」


 国王を茶化してみせるオルゲートに、ニフとロアは驚く。肝の据わった侯爵に、さすがあのシエナの父だとニフは思った。


 イザクが切れ長の目をすがめると、オルゲートは怒りに触れるのはごめんとばかりに両手を上げた。


「――――陛下を守った点については私も驚いていますよ」


 今までの声色とは違うオルゲートに、イザクも表情を引き締めた。オルゲートはイザクをちらりと見てから、カップの口を指で弄んで言った。


「あの子はちょっと特殊でしてね。陛下の傷を見てもけろりとしているのは簡単に想像がつくのですが、自分の身を危険に晒してまで誰かの身を守ろうとするとは思わなかった」


 それについてはイザクも思い当たることがあった。あの侯爵令嬢が誰よりも生きることに執着している節があるのは、彼女の発言の端々から感じられたからだ。


「そう言えば……何故シエナがあんなにも生きることに執着するのか俺は知らないな。何か理由があるのか?」


 イザクが純粋な疑問を口にすると、オルゲートは「うーん」と唸りながら空を仰いだ。


「生まれてからずっとそうでした。むしろ子供の頃の方が酷かった気がしますねぇ……」


「何かトラウマでもあるのか? 貴族の令嬢だ。よからぬ輩に命を狙われたことがあったんじゃないのか?」


「いえいえ。むしろそんな目に遭わないよう細心の注意を払っていましたよ。私も目を光らせていましたが、何よりあの子自身がね。中に大人が入っているのではと思うくらい用心深い子で、侍女の誰にも心を許してはいなかった。子供の頃から一緒にいて共に育ったリリーナだけは別でしたが」


「随分と気を張った子供だったんだな」


 イザクが呆れ半分、苦笑半分に言うと、オルゲートは「貴方も大概殺伐としていましたけどね」と笑った。


「元気に育ってくれて安心しました。昔はよく『襲われる夢を見た』と飛び起きては取り乱して泣きましてね、あ、自慢なんですけどね、私の胸に飛び込んで泣くちっさなシーナ、それはもう可愛かったなぁ」


 思い出したのか親ばか全開でだらしない笑みを浮かべるオルゲートに、イザクのこめかみが引きつる。


「……だから号外を見て驚きましたよ。あの子がまさか自分の身を危険に晒して陛下をお守りするとは。案外娘の方もまんざらではないのかもしれませんね」


「…………」


 イザクは別れる前のシエナの様子を思い出し黙りこくる。あれは明らかに困惑だった。拒絶ではなかったように思うが(少なくともイザクはそう思いたい)アクアマリンを彷彿とさせる瞳は動揺で大きく揺れ、花弁のような唇をキュッと噛んでいた。


 シエナは嫌だった、だろうか。イザクは憂悶する。あの様子では色よい返事は期待できそうにないなと。


 でも諦める気にもなれないとイザクは思った。あの開けば気の強い言葉が出てくるもののしとやかにしていればどこまでも可憐さが漂う唇に口付けた感触を思い出すと熱が上がるのだ。


 理性を突き崩されそうな柔らかさと甘さだった。戸惑いでうるんだ瞳は、情事を思わせるように艶やかでもあった。イザクは無意識に親指で自身の薄い唇をなぞる。


 突如閉口してしまったイザクへ、オルゲートは若干黒いオーラを放つ。


「何ですか? その沈黙。やだなぁ、私不安になってしまいますなぁ。陛下、まさか私の真珠よりも輝く可愛い娘に何かしていないでしょうね?」


「……」


「陛下っ!?」


「シエナにプロポーズの返事はまだいいと伝えてある。無理矢理娶る気も今はまだない。ただ……」


 イザクは初めて傷痕に触れ唇を寄せてくれたシエナを思い浮かべる。思えばあの瞬間からすでに、シエナは自分にとって特別だったのかもしれない。


 ただ、自分が愛という感情に疎く、他人を愛せるわけはないと思っていたから、毛色の変わったシエナを気に入っただけだと勘違いしていたのだ。


 シエナへ抱く気持ちの名が恋だと気付いてしまったら、なんてことはない。イザクは十分誰かに恋焦がれることが出来る男だった。


「俺はあいつが首を縦に振ってくれるまで、諦めるつもりはない。それを父親であるお前に伝えに来た」


 炎王にふさわしい、燃えるような瞳でオルゲートを見据え、イザクは宣言する。オルゲートは驚嘆した様子でイザクを見返したが、ややあってからふっと皺の入った目元を和らげた。


「どうやら私の予想は当たりそうですね」


「? 予想?」


「こちらの話です」



『お前はきっと陛下のお気に入りの妃になるよ、シエナ』



 イザクが本気でシエナを好いているのなら、自身のこの言葉が現実になるのは遠くないのかもしれないと思い、オルゲートは機嫌よく甘い茶で舌を湿らせた。




イザクたちが帰ったあと、お茶のお代わりを用意したリリーナは、物言いたげな様子でオルゲートを見た。


「どうした? 不満そうだ。陛下との会話が聞こえていたかな」


「……盗み聞きするつもりはありませんでしたが……」


 リリーナは控えめに切り出した。


「……でも、恐れながらオルゲート様、リリーナはシエナ様が陛下の側妃になるのは賛成しかねるのです。オルゲート様はご存じないでしょうが、王宮へ初めて出向いた時、従者の方にシエナ様は刃を向けられたのですよ」


「ああ、双子くんたちにあとから聞いたよ。直接謝罪しにきたからね」


「怒らないのですか……!?」


「もちろん怒ったさ。当然だろう? まあ双子くんの立場なら、陛下のために剣を抜くのは当然の行為だから、シエナもそれを理解しているからこそ私に双子くんに何をされたのか報告しなかったんだろうけどね。それでも腹立たしいから、双子くんの下げた頭に葉巻の火でも押しつけてやろうかと思ったくらいだ」


「……では、なぜ側妃になんて……」


 リリーナは少し恥入ったような顔をしながら食い下がった。


「私をひどい父親だと思うかい、リリーナ。亡くなった妻が愛した国を守るため、娘より陛下の幸せを優先させている薄情な男だと」


「……」


 リリーナは暗い顔で押し黙った。オルゲートは返事を寄こさないリリーナに優しく微笑んだ。


「リリーナ。私はね、陛下にシエナのような人間が必要だと思うのと同じくらいに、シエナには陛下のような人間が必要だと思ってる」


「どういうことですか……?」


「あの子は、シエナは『生きるためだけに生きている』から。生きることだけを目的に生きているのは寂しいことだから、もっと普通の女の子のように恋をしたり、思い悩んだり、愛されたりしてほしいんだ」


「陛下に嫁げばそれが叶うとお思いですか……?」


「普通の恋とはいかないかもしれないが、陛下は他者からの愛に慣れていない分、自分が愛した相手は、きっと誰より大切にしてくれると思うんだ。それに、陛下は王でありながら横暴ではない。シエナが妃になるのを断ったというのに、咎めもしないどころか無理矢理娶る気もないときた」


「たしかに、陛下はシエナ様のお心を尊重しておられる様子……」


「ああ、そんなあの方なら、頑ななシエナの心を溶かしてくれるかもしれない。分かってくれるかい?」


 いっかいの侍女にそう尋ねてくるオルゲートを、リリーナは盆で口元を隠しながら見つめ返した。


「……すみません。オルゲート様はちゃらんぽらんに見えて、実はシエナ様のことを考えていらっしゃったのですね」


「ちゃらんぽらんて……本当に時々毒舌だよね君って」


「私、少し寂しかったのかもしれません。陛下に見初められ、シエナ様が遠くなってしまうのが……」


 子リスのように愛らしい侍女を、オルゲートは撫でてやる。しかしオルゲートは分かっていなかった。実の娘が、思った以上にとある事柄を『こじらせて』いることを。



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