侯爵令嬢、告白される
「………」
何か言わなきゃ。そう思った。何か口に出さなきゃ――……。
イザクがシエナからゆっくりと離れていく。水面には鏡のようにランタンの光が映し出され、水底に沢山のクリスタルが散っているようにも見える。まるで空想の世界に入り込んだような光景だった。
けれど、今のシエナには何一つ見えない。眼前のイザク以外は。
「……お前を」
イザクの手が伸びてくる。シエナが細い肩を震わせると、イザクは困ったような顔でシエナの頬に手を当て、唇を親指でなぞった。
「俺がもう一度、お前を妃に迎えたいと言ったら、どうする?」
「……っ!」
シエナはキュッと胸の前で両手を握った。一陣の風が吹き、水面に映ったシエナが揺れた。
「陛下、それは……」
一度は断った。あれからそう日は経っていない。シエナはちょっと迷ってから、掠れた声で言った。
「私は、陛下に友人から始めようと言うつもりでした……」
シエナは俯く。イザクの真摯な瞳を真正面から受け止める自信がなくなってしまったからだ。一回目の求婚からそう日は経っていない。けれど、イザクの瞳に宿る色が、以前とは明らかに違うことにシエナは気付いてしまった。
「陛下は、拒絶しない相手なら誰でもいいと思っている様子でしたから……だから、自分でなくてもいいと思って。それなら陛下が本当に愛する人を見つけてほしいと……」
シエナの言葉がどんどん小さく頼りなくなっていく。しかしイザクの耳にはしっかりと届いたようだった。
「たしかに、初めて会った時は俺を拒絶しない相手が珍しくて、嬉しくて、傍に置いておきたいから側妃になってくれと言った。でも今は――――」
くいと顎を持ちあげられて、視線を合わせられる。イザクはこんなにも人を真っ直ぐに見つめる男だったのか。シエナの胸が上下する。ランタンを包みこむ夜空よりもずっと、イザクの紅い瞳の方が吸いこまれそうな力がある。
「お前だから、傍にいてほしい」
「……っ」
胸の前で握った手に力がこもる。つい皮膚に爪を立ててしまうと、それをイザクに見咎められ、手を取られた。柔らかい皮膚にくっきりと残った爪痕を一瞥すると、イザクはそこへ優しく口付ける。甘い痛みがシエナに走った。
「……俺を拒絶しない相手なら誰でもいいんじゃない。俺はお前がいい。シエナ」
熱っぽく呼ばれて、シエナの目が潤む。困惑混じりにイザクを見つめると、イザクは愛しそうにシエナを見下ろしていて、シエナはどうしたらよいのか分からず黙ってしまった。
「初めて会った時も、昼間の闘技場でも、お前は誰より長生きしたいと言いながら、死への恐怖に打ち克って俺を救ってくれた。そんな女は、お前が初めてだ」
「……わた、し……」
告白は前世でもされたことがある。だけどプロポーズは初めてだ。経験した告白だって、親指で事足りるメールや、バイトの帰り道に軽いノリで「付き合う?」と言われ何となく頷いたようなムードに欠けるものばかりだった。
それなのに今、出会ってそれほど経っていない人から、こんなにも切望されている。嫌いじゃない人。憎くは思ってない人。
「私……は……」
沈黙がつらい。何か言葉を形作らなきゃと捻りだした声は、イザクによって遮られた。
「答えはまだいい。……ただ、考えておいてくれ」
瞳を揺らすシエナにもう一度微笑んでから、イザクはまた顔を近付けてくる。シエナが身を固くすると、耳元でイザクの声がした。
「おやすみ」
シエナの髪にそっと口付けを落とし、イザクは去っていく。シエナは離れたところにいた護衛の者に声をかけられるまで、その場から動けなかった。
(どうしよう……)
夜空にはランタンが踊る。大きく息を吐いてからそれを見上げると、ランタンが心なしかぼやけて見えた。
「おかえりなさいませシエナ様! シエナ様……?」
深夜にも関わらず、祭から戻ったシエナをきっちりと着こなしたメイド服姿で迎えたリリーナ。館を出た時とは違う格好の主人に驚いた様子のリリーナの肩へ、シエナは顔を埋めた。
「知恵熱出そう……」
「ええっ!? 大丈夫ですか!?」
「ううー」と呻くシエナへ、リリーナは気遣わしげな目を向ける。
護衛たちには先ほどのプロポーズを見られていただろうか、オルゲートにはもう連絡がいっただろうかとシエナは気を揉む。が、とりあえず色々考え過ぎて頭が沸騰しそうなので、早くベッドで休みたかった。
「これお土産」
シエナはピンクの包みでくるまれた土産をリリーナに手渡す。リリーナは小動物のような顔を輝かせたが、礼を言ってそれを小脇に抱えると、すぐにシエナの背に手を添え、部屋へといざなった。逆の手には、くたびれた号外を握りしめながら。
くしゃくしゃになった見出しには『聖火祭の悪夢、陛下毒殺未遂事件――噂のネイフェリア侯爵令嬢お手柄か――』と書かれている。
が、リリーナは疲れた様子の主人に事の真相を聞くのも記事のことを教えるのもはばかられ、シエナが眠るまであれこれと世話を焼いた。
とうとうイザクは恋心を自覚しました。




