侯爵令嬢、誰よりも生き残りたい
もし生まれ変わったなら、誰より健康に、誰より賢く、誰より安全にこの生を全うしてやるわ。誰よりも幸せに長生きしてやる。
そんなことを思うのは、私が死の淵に立たされているから。
現世に生まれて二十九年、思えばハズレくじばかり引く人生だった。
両親は不仲で幼い頃に離婚したし、付き合った男はDV男にヒモ男。挙げ句不景気で固く門を閉ざした企業ばかりの時期――いわゆる氷河期に内定とれれば何でもいいわとヤケクソになって、大量採用していた飲食チェーンに就職し、一年目にして過労とストレスで体調を壊す始末。
その後は仕事を変え、さえない派遣業務の日々。周りは結婚して順調に幸せな家庭を築いていく中、薄給に喘ぎそろそろ本当に人生どうしたものかと行き詰っていた。いたけど。
まさか通り魔に刺されて死ぬなんて思ってもみなかった。
馬乗りになられてナイフで刺される恐怖と痛み。それも薄れてきた頃、ああ、本格的に死ぬんだなって思った。恨むわよ神様、いやそれより、私を殺した通り魔を呪い殺してやる――――……。
そんな万感の憎しみがこもった想いを最後に、私は最初の生を終えた。そして。
「シエナ様、シエナ様ー!」
フィンベリオーレ王国ネイフェリア侯爵家の館では、メイドのリリーナが主である侯爵令嬢のシエナを探して館中を走り回っていた。主の部屋はもちろん、色とりどりの花々が咲き乱れる広い庭園や広間も探し、暗室の前を通りかかったところで、主人から声がかかった。
「ここよ」
「シエナ様! こんな所におられたのですか」
年若いリリーナが呆れたように言うと、シエナは細い肩をすくめてみせた。
「チョウシヅルの花は暗いところでしか咲かないから。咲いたばかりの花をすぐ摘みとって煎じないと、解毒剤としての効果がないし」
「侯爵令嬢ともあろう方が、解毒薬をご自分で作られる必要があるでしょうか」
もっともな発言をするリリーナに対し、シエナは珍獣を見るような目を向けた。
「なに言ってるのリリーナ。このご時世、どんな危険があるか分からないもの。薬くらい自分で調合出来ないと困るわよ」
至極まともな表情で言ってのけたシエナへ、リリーナは「はぁ……?」と納得のいってなさそうな声を出した。
それもそのはず、リリーナが仕えるシエナは、大国フィンベリオーレの侯爵令嬢というだけでなく、悪人でさえ彼女に危害を加えるのは躊躇うほどの美貌の持ち主なのだ。
月の光を浴びたような白銀が毛先に向かうにつれて水色に染まっているという美しい髪。加えて長いまつ毛に縁どられた瞳は暗闇さえ照らしだしそうな明るいブルートパーズの色をしており、肌は陶器のように滑らかで白い。
そんな一見人形と見まがう程の冴えわたる美貌は、リリーナからすると、邪な考えを持つ者の狂気さえ洗い流してしまいそうだと思う。
そう。通常ならば、シエナは危険から程遠い位置に存在する高貴な令嬢なのだ。言うならば棘一本刺さることのないよう大事に育てられた深窓の姫君。
しかし、リリーナは知らない。シエナが前世で刺殺された過去を持ち、ついでにその記憶を持ったままこの世界に転生したことを。そのせいで誰よりも生に執着していることを。
シエナは転生してから今日まで、今生では長生き出来るようにありとあらゆる知識を詰めこみ、護身に余念がなかった。
だからこそリリーナへ語る言葉にも熱がこもる。
「私は誰より安寧に、平穏に長生きしたいの。そのために全力を注いではいるけど、不幸っていうのはいきなりボディブローをかましてくるのよ。それが避けられない場合は、せめて致命傷を食らわないための努力をしなきゃ。そのためにあらゆる知識は必要よ」
「ぼ、ぼでぃーぶろー? 異国の言葉ですか?」
前世の言葉は度々侍女に通じないことがある。訝しそうな表情を浮かべるリリーナにシエナは適当な笑みを返しておいた。
(あら、ボクシング用語だったかしら。この世界では通じないのね。気をつけないと。前世と共通して存在する物もあれば、ない物も……ああもう、ややこしい)
「それで? リリーナ、私に用があったんじゃないの?」
軽く咳払いし、シエナは侍女に促す。
「あ、そうでございました……! シエナ様、オルゲート様がお呼びでございます!」
「お父様が?」
オルゲートとは、シエナの現世での父であるネイフェリア侯爵のことだ。柔和な笑みを絶やさない父親の姿を思い浮かべ、何の用だろうかとシエナは執務室へ向かう。質の高い調度品に囲まれた執務室で娘を待っていたオルゲートは、シエナの姿を見るなり大仰に両手を広げた。
「お待たせしました。お父様」
「シーナ! 待っていたよ。今日も超絶可愛いね! さすがわが娘!」
長身痩躯に煌びやかな刺繍の施された衣装を身につけたオルゲートは、ニコニコとシエナを愛称で呼び、抱きしめる。深く刻まれた頬のしわが思慮深さを感じさせるオルゲートだが、いかんせん彼はいい年して親ばかだ。
(そう思うのは、私が前世と現世での年齢を合わせるとお父様と同年代だからかしら……)
年齢のことを思い出すと乾いた笑みがこぼれる。思考が向こうへ逃避しかけていると、オルゲートがタイムリーな話題を振ってきた。
「時にシーナ、お前は今年で十七だったね」
「……ええ」
現世ではね、とシエナは心の中で付け加える。オルゲートはシエナの背中へ流れる絹糸のような髪を一房掴み、感慨深げに言った。
「本当に美しく育ったものだ。お前より見目の良い娘はこの国にはいないだろう」
自分の容姿が優れていることについてはシエナも自覚している。前世では顔も体型も平平凡凡だったから尚更だ。
形のよい桜色の唇も、鼻筋の通った横顔もまるで絵画のようで、前世で恵まれなかった分この世では得をしているのかもとシエナは常々思っていた。
(私が思春期真っただ中の時に前世で死んでいたなら、転生して得たこの容姿に狂喜乱舞していたかもしれないけど)
あまり容姿に恵まれていると、ストーカーやいらぬトラブルに巻き込まれそうで嫌だと思ってしまうあたり、シエナはとことん死に怯えていた。だから公的な行事や夜会ではよく扇で顔を隠しているのだが、それがまた貴公子たちの興味をそそっていることをシエナは知らない。
「……お前のこの容姿なら、あの国王陛下も気に入ってくださるかもしれない」
「はあ……? 国王様……?」
何でこのタイミングで国王陛下? と首を傾げるシエナの両肩に、オルゲートは手を置いて微笑む。そして爆弾発言を投下した。
「ということで可愛いシーナ、陛下に嫁いでくれるね」
転生ものを書くのは初めてですが、のんびり書いていきたいと思います。ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。