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侯爵令嬢、参戦する

「……っ」


 イザクが息を呑んだのが、離れていてもシエナには聞こえた気がした。咄嗟に片手で右目を隠すイザク。無防備なイザクの状態に客席はどよめき、イザクの顔を指さす者もいる。


(陛下……!)


 こんな衆人環視の中、傷痕を見られてしまう。イザクを何より苦しめている傷痕を。


 それに動揺したイザクはかっこうの的だ。このままではイザクが殺されてしまう……!?


(何とかしなきゃ……! 陛下の右目を隠して、あの男から陛下を守らなきゃ――……!)


 シエナは焦りから頬へと爪を立てる。指先に仮面の冷たさが伝わり、はっと閃いた。


(そうよ、この仮面を陛下に……!)


「陛下!」


 イザクへ呼びかけるが、シエナの声は喧騒にかき消される。誰もが陛下と呼んでいるからだ。


「投げ渡すのは無理か……なら」


 直接渡すしかない。でも、あそこには毒を塗った剣を手にした男がいる。


 シエナは身が竦むのを感じた。危ないことは嫌いだ――――死は何よりも怖い。今生では出来る限り回避してきたものに、相対するのは膝が笑うほどの恐怖だ。


(でも……! あの不器用で悲しい陛下が死ぬのも怖いのよ……!)


 シエナは自身を奮い立たせると、てすりへ足をかけ、リングへと飛び降りた。


「何だ? 乱入か?」


 観客の声に反応して大男がこちらを向いたので、シエナの身体が強張った。震える体を叱咤し奥歯を噛みしめると、シエナは今度こそざわめきに消されないよう大声で叫んだ。


「チャラ男! ロア! 陛下と私を守りなさい! あの大男が持っている剣には毒が塗られてるわ!」


「毒だって!?」


「彼女は何者だ?」


「陛下に毒を? 暗殺か?」


 第三者であるシエナの登場と不穏な発言に、またしても客席にどよめきが起こり、さざ波のように広がる。一陣の風が巻き起こったと思うと、ニフとロアがいつの間にかイザクの前に立っていた。


「ちゃっかり自分を守れとのたまうあたりがお嬢らしいでさぁ」


 ニフは一瞬だけニヤッと笑ってそう言うと、仮面をかなぐり捨て、氷のように冷たい表情で告げた。


「国王暗殺未遂でそこの剣士を捕えよ!」


 その言葉を合図に、警備兵たちを引き連れ一斉に大男へ飛びかかる。その隙を縫い、シエナはイザクの元へ駆けよった。


「陛下!」


「見るな……っ!」


 血を吐くような声でイザクは呻いた。五万人もの観衆にコンプレックスの傷痕を見られたかもしれない、その恐怖にイザクは慄いている。手負いの獣のようなイザクの雰囲気に、初対面で怒らせた時の記憶が蘇るが、シエナはぐっと腹に力を入れた。


「陛下。私です」


「……っ」


「私です、シエナです」


「シ、エナ……?」


 イザクの左目が、縋るような色を湛えてシエナを見つめる。シエナは自分がつけていた仮面を外した。そしてそれを素早くイザクへとつけてやり、頬を挟んで目を合わせると、安心させるように微笑んだ。


「大丈夫ですよ。誰も貴方の右目を見てはいません」


 シエナが「毒」と叫んだせいで、観客の興味は大男へと向いている。虐げられた獣のようなイザクが「本当か……?」と消え入りそうな声で言った。


「本当ですとも」


「……そうか」


「そうです、へい――……」


 そこまで言ったところで、シエナはぎゅっとイザクの片腕に抱き寄せられる。逞しい腕が震えていた。


「……助けにきてくれたのか」


「い……え……まあ……」


 抱きしめられて、砂埃と汗、それからイザクの香水の香りがぐっと近くなり、シエナの心臓が跳ねた。顔が赤くなるのを感じながらも、シエナはイザクが落ち着くように背中を優しく叩いてやる。


「また、お前だ……」


「え?」


 イザクの蚊の鳴くような声にシエナは耳を澄ませる。


「俺を掬いあげてくれるのは、いつもお前だな……」


「へいか……」


 ぎゅっと一層強く抱きしめられ、シエナの息が詰まる。全身で必要と言われている気がして、シエナは状況が状況だというのに胸が甘く痛んだ気がした。


(なに……? 今の気持ち……)


 少ししてイザクが離れる気配がし、シエナは首をめぐらして周囲に目を向けることが出来た。そこで前列に座っている観客の一人と目が合った。と思うと、その客は「あ」と声を漏らす。


 怪訝に思いながら首を傾げるシエナ。客は金魚のように口をパクパクさせると、場内に轟くような大声で言った。


「あーっ!! くだんの侯爵令嬢だー!!」


 観客の目が一気にシエナとイザクへ向く。シエナはさーっと血の気が引いていく気がした。


「げ……っ!!」


(そうだった! 仮面外したんだったー!)


「ネイフェリア侯爵の令嬢だ! イザク様と抱き合っていたぞー!」


「陛下とやっぱり出来てるのか?」


(ひいーっ)


 飛び交う声にシエナが真っ青になっていると、イザクがシエナを庇うように前に立つ。そこへ、大柄の剣士が叫び、観客の興味がシエナから再び暗殺へと向いた。


「暗殺なんてするつもりはなかった!」


 ロアとニフによって縛りあげられ地に伏しながら、大男は切羽詰まった様子で弁明する。


「俺は俺を雇った奴に、黒衣の戦士の仮面を壊して恥をかかせろと言われただけだ! 相手が隻眼とは聞いていたが、陛下だなんて知らなかった。たしかに毒の塗った剣を使いはしたが、仮面を狙うには隙を作る必要があると言われて――……ひっ!」


 すらりと腰に帯びた剣を抜いたロアに首元へ切っ先をつきつけられて、暗殺者は竦み上がる。


「見苦しい言い訳は、いい。殺す」


「いいねぇロア、みじん切りにするか? それともすりおろすか?」


 目は本気のニフが悪乗りする。


「ロア、やめろ。ニフもだ」


 イザクが静かに制止の声をかけた。イザクがいつもの調子に戻ったのでシエナはほっとした。


「そこの男は『雇われてやった』と言った。もしそれが本当なら、雇い主が誰か吐き出させろ。民が見ていないところでだ」


 此処で拷問を始めそうな勢いの二人に、イザクが最後の一言を付け加えた。

 楽しい祭のはずが、とんでもない事件が起きてしまったとシエナは思う。イザクにも、自分にも。


 イザクには会うつもりだったが、こんな形で再会するつもりはなかったし、イザクだってそうだろう。


(おかげでエドをまく必要はなくなったけどね……)


 そういえば、エドはシエナの正体が侯爵令嬢と分かり、驚いているのではないだろうか。シエナは舞台上から、自分が座っていた客席の辺りを見上げる。目を凝らしてエドの姿を探したが、あの愛想がいい青年は、煙のように消えてしまっていた。






 混乱でざわめく闘技場を軽やかな足取りで後にする者が一人。その男の影に路地裏から出てきた者の影が重なった。


「フェリエド様、イザク陛下の仮面を壊すよう命じお雇いになったあの剣士はどういたしますか」


 機嫌よく闊歩する主人の三歩後ろを歩きながら、従者は声を落として伺う。


 主人――さきほどまで水の精霊と謳われる侯爵令嬢に気安く『エド』と呼ばれていたフェリエドは、事もなげに言った。


「事故を装って始末してよ。口を割られて『僕』が噛んでいると知られたらまずいだろ」


「は……」


「まあ、仮面で隠した僕の正体なんてあの大男は知らないだろうけどね。でも万が一……」


 フェリエドは仮面を外しながらあくまで穏やかに言う。仮面を取ったことで陽の光に晒された両眼は、イザクと同じ美しいロゼ色をしていた。


「フィンベリオーレ第二王子の僕が、実の兄上に恥をかかせようとしたなんて、そのために毒物まで用意したなんて、ばれたら不味いだろう?」


 道端に仮面を放り投げ、フェリエドは兄に似た秀麗な顔で微笑む。先ほどまで一緒にいた侯爵令嬢のことを思い浮かべながら。


「しかし、あの侯爵令嬢を試すつもりで毒を仕込んだはいいものの……見事に見抜くなんて流石だよね。一体どんな育てられ方をしたんだろうね。貴族の令嬢が普通毒に気付くかい? 君なら気付く? どう?」


 疑問を投げかけられ、従者は控えめに首を振る。フェリエドは見もしなかった。


「リリーナか……。随分愛らしい名前を口に出したものだよね。あの令嬢にはもっと気位の高そうな名前の方が似合っているよ。そうだな例えば……シエナのような」


 愛しそうに呟いてから、フェリエドは闘技場でのシエナとイザクのやり取りを思い返す。


「炎王と水の精霊か……絵になる組み合わせではありませんか、兄上。壊しがいがありそうだ」


「フェリエド様……」


 新しい玩具を見つけたような様子の主人へ、従者は控えめに声をかける。フェリエドは指をパチンと鳴らした。


「帰ろう。『母上』に報告しなくては。……名残惜しいけどね。また会えるといいな、可愛い水の精霊シエナ」 



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