侯爵令嬢、ナンパされる
聖火祭編スタートになります。
聖火祭当日、切り裂いたような青空には色とりどりの紙吹雪が舞っていた。
街には軽快な音楽が溢れ、露店からは異国の菓子の甘い香りが漂い、優雅に舞う踊り子を肴に観客は昼間から酒をあおって盛り上がっている。
「結局、来ちゃった……」
目元が隠れる仮面をつけ、シエナは呟いた。仮面は昨晩遅くにニフたちから届けられたものだ。一体二人はどうやってシエナとイザクを会わせるつもりなのか。
行くのを躊躇いぐずぐずと朝食をとっていたシエナだが、リリーナに見咎められ、淡い白地に水色と金のラインが入った丈の短いワンピースを着せられた。裾はパニエのようにふんわりと広がり、ちょっと背伸びした町娘にも、お忍びで遊びに来た令嬢にも見える。
目立つ銀髪は一つに結いあげられ、アクセントに金色のリーフのカチューシャをつけられた。
「私がずるずる深みにはまっていくと毒舌かますくせに、こういう所は手を抜かないんだから……」
完璧に仕上げて満足げな様子の侍女を思い出しながら、シエナは嘆息した。
「綺麗に着飾ったところで、お忍びなのよ?」
側妃になるのを断ったことはどうやら一日で街中、いや国中に知れ渡ってしまったらしく、シエナはこのところ、忍んで行動することを強いられていた。
離れたところで何人か護衛が見張っているが、お忍びのため大々的にガードしてもらえないのでシエナとしては心もとない。
もちろんスカートの内側に自作の催涙ガスや煙幕を隠し持っているあたり抜かりはないのだが、祭で高揚し暴れだす者も前世ではいたし、ケンカや騒ぎには巻き込まれないよう十分注意しようとシエナは気を引きしめた。
(安全第一安全第一……)
お守りのように脳内でその言葉を繰り返していると、広場でわぁっと歓声が上がった。祭の雰囲気を楽しみながら石畳をのんびり歩いていた者たちも、湧き立って広場へと走る。その人たちが「陛下がいらした!」と口ぐちに言うので、シエナは遠くから広場の中央にあるステージを見つめた。
「陛下……」
祭のせいか明るい白のマントに、襟元に植物の模様が金糸で描かれた衣装を身に纏ったイザクが、ニフとロアを従え、広場に佇む巨大な女神のモニュメントの前にいた。三人とも仮面はしていない。
歓声が一際大きくなったと思うと、水を掬うような仕草をした女神像の手に、イザクの魔法によって炎が煌々と灯される。本格的に祭の始まりだ。
しかし広場に集まった民は、祭の開始よりイザクの登場に感激し、しきりに拍手をしたり手を振っていた。
「……こうやって見てると、陛下って人望は厚いし、雲の上のような存在よねぇ……」
侯爵令嬢だというのに、前世での記憶の方が長いせいか、どうしても庶民の気分が抜けないシエナ。シエナが眺めていると、ふと舞台上のイザクと目が合った気がした。
(え……っ!?)
思わず目をそらしてから、そういえば仮面をしているからそらす必要なんてないのだと気づき、怖々イザクへ視線を戻す。イザクの目はまだ驚いたようにシエナの姿を捉えており、正体がバレた気がしたシエナは急いでその場を後にした。
「……って、避けてどうすんのよ私!」
露店の真ん前で叫んだせいで、冷やかしと疑われ店員に睨まれる。が、シエナにそれを気にする余裕はなかった。
「陛下に会いに行くつもりで祭に来たっていうのに……いやでもまだ心の準備が……」
そもそも会って何を話せばいいのか。
「今度こそお友だちになりましょう……とか?」
「あの」
「うー」
「あの」
「ぐぬぬ……」
「あの」
「何っ!? 今悩み中なんですけど! いだっ」
機嫌を悪くしながらシエナが振り向く。だが、走ったせいで乱れた髪の毛が、声をかけてきた男の上着のボタンに絡まっていた。
「ああ、じっとしていて。今ほどくから」
そう言って、声をかけてきた男はシエナの髪に手をかける。糸のようにこんがらがった髪を淀みなくすいすいとほどく手に剣ダコがあるのをシエナは見つけた。
「はい、ほどけましたよ」
「あ、ありがとうございます……。すみません、絡まっていたのを教えようとしてくれたんですよね? それなのに私ったら……」
「いえ、貴女の美しい髪が千切れたりしなくて良かった」
(フェミニスト……!)
ここ一週間ほど、能天気な父親や不器用な王、それから無神経な従者という異性にしか会っていなかったためシエナは感動して顔を上げる。そこで既視感を覚えた。
「え……? へい……か……?」
仮面で目元を隠しているが、眼前の年若い男はイザクに雰囲気が似ていた。
しかしよく見ると衣装はライトグレーでイザクの纏っていたものとは違うし、髪は鳶色で身長もイザクより五センチほど低い。
仮面の向こうで、男が目を丸くする気配がした。
「あ、すみません。先ほど遠目で拝見したイザク陛下に似ていたものですから」
「陛下に間違われるとは光栄ですね。今日は仮面で顔を隠せるし、見栄を張って陛下の真似をする民たちも多いので、間違えても無理はありませんよ。でも」
シエナのおくれ毛をさっと直しながら、男は口角を上げる。
「貴女は見惚れてしまうほど美しいその銀髪といい……月の光のような輝きを隠せていない。きっと仮面の下は、国中の女が誰も真似できないほど美しいのでしょうね」
「…………」
(何この人……!? 童話の王子様なの!? シンデレラとかに出てくる王子様なの!?)
「い、いえいえ、私なんて、平凡を地で行くような娘です」
「そんなことはない。十分魅力的ですよ。ぜひ祭を一緒に見て回りたいな」
そう言いながら手を差し出されて、シエナはナンパされているのだと気付く。なんてこった。こんな紳士でもナンパはするのか……。
「お、お誘いは嬉しいのですけれど、私、連れと来ておりまして……」
「連れというのは、先ほどから客に紛れて貴女をちらちらと見守ってらっしゃる方たちのことかな?」
シエナは驚倒して男を見つめる。
男は人好きのする笑みを浮かべていたが、マスクの下はただものではないのかもしれないとシエナは構えた。
(この人ごみの中、私の護衛に気付いたっていうの……?)
「ガードが堅いのですね。もしかして貴族の方ですか? ああ、今話題の侯爵令嬢とか」
「ま……っさか! そんなわけないじゃないですか。一緒に祭を見て回る? いいですわね。ぜひご一緒したいですわ! あ……」
(やっちまったー!!)
正体を見破られる恐怖から、ついオーケーしてしまった。自分の安直さに泣きたくなってくると、男は「決まりだね」とニコニコとエスコートを始めた。
こうなったら頃合いを見計らって、男をまくしかない。というか、真っすぐ歩けないほど人が多いし、祭になんて来なければ良かったとシエナは後悔し始める。
悶々としていると、男に「名前は?」と尋ねられた。
「えーと、折角顔を隠しているのに、名前を教えてしまっては意味がないのでは?」
「でもそれでは僕は貴女を何とお呼びすればいいのかな?」
(何にも呼ばないでいいです。『あれ』とか『おい』で十分です)
とは言いだせず、シエナは苦し紛れの名を口にする。
「ではリリーナとお呼び下さい」
「リリーナ、可愛らしい名前だ。僕のことはエドって呼んで。同年代とお見受けするけど、敬語はなしでも構わない?」
「ええ。大丈夫」
そう答えながら、シエナは侍女の名前を勝手に使ったお詫びに、サテンのリボンか七色のマシュマロでも土産に買って帰ろうと思った。




