侯爵令嬢、双子に誘われる
リリーナが用意してくれたお茶菓子はフィナンシェだった。金塊の形に似た焼き菓子は黄金色に輝き、香ばしいアーモンドと焦がしバターの香りが鼻孔をくすぐる。
普段なら機嫌よく食べるところだが、テーブルを挟んで向かいにニフとロアが座っていては食欲も減退するというものだ。もちろん場所が、壁一面の棚にシエナが調合した薬が所狭しと並んでいる調剤室というせいもあるだろうが。
部屋の中にはぐつぐつと煮えたぎる大鍋から発せられた異臭が充満し、試験管やフラスコ、珍しい種や干物、すり鉢、薬学書が散らかっている。
「いやあ、侯爵令嬢らしくない良い趣味をお持ちで」
ニフが揶揄するように言ったが、シエナは無視をきめこんだ。
一秒でも早く帰ってくれることをシエナが天に祈っていると、ニフはニコニコしながら単刀直入に用件を言った。
「お嬢。イザク様の側妃になってくだせぇ」
ぶっと口に含んだアールグレイを噴きださなかった自分を盛大に褒め称えたい。シエナは動揺を悟られないように努めながら言った。
「私は貴方たちが嫌う貴族の娘ですよ。なのに何故側妃になれだなんておっしゃるの。先日刃を向けた時とはえらい手のひらの返しようね」
「主が、令嬢のこと、気に入っているみたい、だから」
「陛下が……?」
珍しくロアの方が喋ったと思ってシエナが彼の方を見ると、フィナンシェを口いっぱいに頬張ってリスのようになっていた。
(…………。だめよシエナ、突っこんだら負けよ。話がそれるわ)
珍獣のようなロアに突っこみたい衝動に駆られるが、シエナは頭を振って耐える。俯いてお代わりのお茶を注いでいるリリーナの手がぷるぷる震えているのを見つけて、彼女も我慢していると察し、「同志よ……!」とシエナは勝手に思った。
「申し訳ないけど、それは勘違いです。陛下は私のことを気に入っているわけではありません」
シエナははっきりした口調で言った。
「ただ拒絶しない人間を傍に置いておきたいだけよ」
「それでもいいんでさぁ。ようはイザク様のお傍に、イザク様の求める人が妃として収まってくれりゃ俺らは安心なわけで」
ニフの発言にシエナは眉をぴくりと動かす。
「だから私は、従者に命を狙われるような場所へは嫁がないと言ったはずです」
「もう刃は向けないって約束したから問題ねえじゃねぇですか」
晴れやかなニフの表情とは対照的に、シエナは短時間で消耗してきた。背後からリリーナの同情的な視線を感じる。シエナは疲れた顔で言った。
「……私、疑問なんだけど、陛下も貴方たちも、愛する人と結ばれたいっていう気持ちはないのですか? 陛下に心から愛する人と結ばれてほしいと思わない? 私は思うわよ」
(政略結婚の多い上流階級では、その感覚は薄いのかしらね……)
「思う。でも主に、それを望むの、酷」
口の中の物を丸飲みしてから、ロアが言った。
「主、愛、知らない。王太后様も、王妃様も、主を拒絶した、から」
「……愛を知らない陛下の隣に、せめて陛下を拒絶しない女を置きたいわけね」
「さっすがお嬢。察しがよくて助かりまさぁ」
ニフはパチンと指を鳴らす。
「本当は正妃に求めたかったけど、あんな女は王妃と呼ぶにも値しないんで」
ニフの王妃を蔑む発言にシエナは目をむく。正妃はイザクを拒んで出ていったという話だが、そこまでひどい妻だったのだろうか。
気になるシエナだが、深みにはまってしまいそうなので言及はやめておいた。
「あれ、イザク様からの贈り物ですよね」
ニフは可愛げのかけらもない部屋に彩りを添えるように置かれた花を指さした。
「愛を知らずに育ったイザク様が、お嬢が王宮を訪れてから毎日、かかさず花を送っている。恋情じゃないかもしれやせんが、お嬢がイザク様にとって特別なのは明白でさぁ」
シエナは逃げるように立ち上がり、火にかけたままの鍋を覗きこむ。薬は煮詰まってどろりとジェル状になっている。そろそろ仕上げに、粉末状にしたグリフォンの爪を入れる頃合いだ。
「お嬢」
「……貴方たち、随分と献身的なのね、陛下には貴方たちが居れば十分だと思いますけど」
言いながら、それでは不十分だったからイザクは毎夜貴族の令嬢を招いていたのだろうと察しはついた。案の定そこをニフに突かれる。
「女につけられた心の傷は、女にしか癒せないと思いまさぁ。ただ……献身的になるとしたらそいつぁ、俺もロアも、陛下には恩を感じてるからでさぁ。双子で不吉だとつまはじきにされていた俺らを、陛下は実力さえあれば気にしないと言って傍に置いてくださった」
「…………」
「どうですかい? 今のエピソードで、イザク様に惚れちゃったりしやした?」
「今の貴方の発言で陛下の良い話の余韻が台無しよ」
「ええー。壁は高いなぁ……」
ニフはがっくりと肩を落としたが、次の瞬間には瞳を爛欄と輝かせて顔を上げた。
「そうだ! じゃあせめて『聖火祭』に来てイザク様と会ってくだせぇよ。その祭りには陛下も参加しやすんで。お嬢が来てくれたら、イザク様きっと喜びますぜ」
「聖火祭って……あの?」
聖火祭とは、『炎王』イザクにあやかり、年に一度王都で開かれる大きな祭りだ。当日は広場の中央にあるモニュメントに、王によって夜中まで火が灯され、街には火を模したデザインの仮面をつけた人々が溢れ返る。広場には世界中の珍しい料理や菓子を売る露店が連なり、行商人は珍しい骨董品や布、宝石や雑貨を並べる。
しかし聖火祭の目玉は、騎士団の精鋭たちや街の力自慢が顔を隠して望む決闘だ。貴族たちはそれを好んで観に行くらしいが、シエナは人ごみに行くと絡まれそうなので祭に参加したことはない。
「……あまり思い出したくはないんだけど、私、陛下をこっぴどく振ってるんですよ。そんな私が人目が多いところで陛下と会っているところを見られたら、非難ごうごうじゃない」
「仮面してれば、ばれないから、平気」
ロアに言われて、シエナは返答に詰まる。思案していたせいで鍋をかきまぜるタイミングを誤ってしまった。
「そ、そろそろ戻られた方がいいんじゃないですか?」
苦し紛れにシエナが言うと、ロアは懐から国の紋章が入った銀の懐中時計を取りだし時間を確認した。
「ニフ、時間切れ……この後、主の護衛」
「もうかよ。お嬢、絶対来てくだせぇよ」
ニフはお茶を一気飲みし(ロアはフィナンシェを口に詰めこめるだけ詰めこみ)立ち上がった。
「来てくれねぇとまた明日も訪ねますぜ」
「それは勘弁して……あ、待って」
聞かん坊の三歳児を長時間相手にしたような疲れを感じながら、シエナは棚の引き出しからガラス瓶を一つ取りだし、ニフの手のひらに載せた。
「あの、陛下に会われるなら、お花のお礼にこれを渡してくれませんか」
「何ですかい?」
「私が調合した塗り薬です。陛下、ユリランカの棘で手のひらを怪我しておられましたので。あとこれは」
シエナは鍋に入った薬を掬って瓶に詰める。
「右目の傷痕用の薬です。古い傷だから効果は薄いかもしれないけど、根気よく続けて塗れば、もしかしたら傷痕が薄くなるかも……」
「……喜びますぜ、イザク様」
ぽつりと落とすように言ったニフの表情は、この日一番穏やかだった。
「……お人よしですね、シエナ様」
ニフたちを見送った後、それまで沈黙を守っていたリリーナにちくりと言われ、シエナは眉間を押さえた。
「来る?」
小さくなっていくシエナの館を振り返り、ロアが双子の片割れに訊いた。
「お嬢が来るかって? 絶対来るぜ。あの人、流れる水のように冷たい美貌だけど、表情がくるくる変わって、情に厚いのを隠せてねぇ。側妃を断る理由が、イザク様に愛する人と結ばれてほしいから、なんて。死にたくないと言う割に、他人を優先してばかりじゃねぇか」
ニフは鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌よく言った。
「それに、根気よく続けてればって渡したこの薬、この瓶に入った分だけじゃ治りゃしねぇよ」
「……令嬢、また主に会って薬渡す気、ある……?」
「そういうこと。面白い人だねぃ。イザク様が気に入ってなきゃ、俺が嫁に貰いたいくらいでさぁ。イザク様の傷を見ても平気なのに、国一番の権力者の妃になるのを断る女なんて、面白くてたまんねぇや」
「…………」
「ロア? 暗い顔してどうしたんでい?」
「祭に混じって、何か、やな予感、する」
ロアのこういう予感が当たることをニフはよく知っているので、緩んでいた表情を引き締めた。




