恐怖の女体化劇場 その4 スリップ注意
彼は車を運転していた。
人気のない山道。曲がりくねった山道を一人ドライブするのは何とも言えない味わいがあるものだ。
電波状況が悪いのでラジオも入らない。
カーステレオに仕込まれた音楽CDを適当に操作する。
…さっきからすれ違う車も無いな…。
晴れ渡る青空に車がやっとすれ違えるほどの狭い道が延々と続く。
そう言えばさっき何か交通標識があった気がするが…まあそれこそ「落石注意」とかそんなんだろ。「動物注意」だったりしてな。
その時だった。
…?何か身体に違和感がある。
「ああっ!」
信じられない光景があった。
ムググ…と身体が変形していくのである。
見えている手足がみるみる細くなり、肩幅が狭まって行く…。同時にウェストが引き締まって行き、対照的にお尻と…そして胸が大きくなって行く。
思わずブレーキを踏み込んだ。
急激に停止した車は一瞬滑るも、どうにか停止できた。
わさわさと生き物のように動いた髪の毛が長く垂れ下がる。
目の前に翳した指が、細く長く美しく変貌していく。
「そ…そんな…」
きゅうっ!と両脚が内側に曲がり、艶かしいラインを浮き上がらせる。
「うっ!」
着ている服に違和感を感じる。
何だ!?…何だこれ…は!?!?
服の内側…下着の領域がおかしい。
何の変哲もないTシャツはグニグニと変形し、材質を変えて行った。
柔らかくてすべすべする素材になったかと思うと、肩ひも一本ずつを残して胸をカバーするように変形し、胴回りを包み込んで下半身にまで到達しそうだった。
彼…今は彼女…は思わず外を振り仰いだ。
「ああっ!!」
自分のものとも思えない甲高い声が飛び出る。
そこにあった交通標識にはこうあった。
『スリップ注意』
ま…まさか…この標識って…車のタイヤが滑る(スリップする)ことに対する注意じゃなくて、『この辺を通る時に「突発的に着ているものがスリップになってしまう」こと』に対する注意だったのかぁ!?
身体をきゅ…きゅ…と動かし、ひねったりしてみる。
官能的な女物の下着の肌触りが全身を襲う。こ…これは…す、スリップを着せられてる…。
でも何で身体まで女に!?
…もしかして、「スリップをしてるのに男の身体のままだと社会的に通りが悪いから、折角ならスリップに合わせて身体も女にしてやった」ってことなのかぁ!?!?!
すると、変化は更に続いた。
「うわあああっ!!」
ズボンがグニグニと変形し、両脚の素材がお互いに溶け合って一つの塊となり“しゅぽんっ!”と一つの筒になってしまった。
こ…これは…スカートだあ!
ドライバーズシートに座ったまま脚を左右に動かしてみる。
いつの間にかズボンの別れ際のところでせき止められていたスリップの裾が綺麗にお尻の下を回り込んで太もも以下まで伸び、スカート状になっている。
人肌に温まったスカートの裏地とスリップの感触が生まれたばかりの乙女の柔肌を嬲った。
な…何だぁ!?これは…これが…これがスカート…なのかぁ!?
動かす内、思わず両の素脚がスカートの中でふれあい、するりとこすれあった。
「あっ…」
背筋がぞくりとした。何なんだこれは…。
も、もしかして…スリップをしてるってことはスカートじゃないとおかしいから、着てた服をスカートにしてくれたってのかぁ!?!?!
な、何という大きなお世話…なんだ…。
「うぐっ!」
また身体に変化が訪れる。いや、身体じゃない。
大振りのバストをキツく抱き留めるこれは…ま、まさか…ブラジャー!?
バックミラーを思わず見てみると、全身の服が女物に変化していく。
もしかして、スカートまで履いてる女なのに他の衣類も女物じゃないのは辻褄が合わないから…ってどういうことなんだよ!
思わず荷物を漁ってみる。
「あ…」
いつの間にか所持品を入れていた肩掛けリュックは女物のバッグになっていた。
綺麗な指先に違和感を覚えながら化粧品などをかき分けつつ必死に漁ると、品のいい女物の長財布が顔を出す。
見覚えの無いポイントカードの束に紛れてそこにあったのは…免許証だった。
それも、完全に女の写真で写り込んでいる。名前も自分の名前を巧妙に違和感なく女風にアレンジしたものだ。
そんな…まさか…う、運命までオレが完全に女だったことにねじ曲がってるっていうのか!?
そんな馬鹿な…でも確かにいつの間にかオレにはOLとして働いてる記憶が植えつけられてる!?
し、しかもこの間までの女子大生や女子高生だったころの思い出…女として生きてきた記憶までがぁ!?!?
月曜日には会社に行かないと…ってな、何だ…思考まで…女に…女になってしまうっていうの!?えええっ!?
落ち着け!落ち着いて!落ち着くのよ!って違う!
何でよ!どうして脳内の思考まで女言葉になってんのよ!
自然と手が伸びて長い髪を撫でる。
まさか…まさか気ままなドライブがこんなことになる…なんて…。
といっても「スリップ注意」にそんな意味があるなんてことが分かる訳が無いし、ましてやこんなデタラメな現象に襲われるなんて想像できる訳が無い。
とにかく!とにかくまずは人気のあるところまで帰らないと!きっとこれは何かの間違い!そうに決まってる。誰かに見てもらえばたちどころに錯覚から覚めるに違いないわ。
今、自分の部屋がどうなってしまっているのかを想像するのは恐ろしかった。
気ままな一人暮らしのアパートは、食いカスを散らかす習慣こそないが、決して片付いているとは言えない。
着る服は、社会人として最低限あるだけなんだが…もしかして部屋まで綺麗に片付いた女物満載の「女の部屋」に運命がねじ曲がってしまってる…のか!?そんな馬鹿な!
「…!?」
可憐な指先で必死に回しても何故かエンジンが掛からない。
「何で?何でよ!?」
聞き慣れぬ女声が頭蓋に響くことも厭わずに悪態をついてしまう。
すると視界に何やら見えるものがある。
それは別の車だった。
いつの間に停まっていたのか分からないその車から、すらりと背の高い二枚目が降りてこちらに向かってくるところだった。
何故か背筋に冷たい物が流れ落ちる。
冷や汗が背中を伝い、ブラジャーで止まり、スリップに吸い込まれた。
いや…車が動かない…逃げられない…。
男に…こんな絶体絶命のシチュエーションで、女一人動かない車の中で立ち往生してるところに男が迫って…。
バックミラーに映る余りにも美しい自らの変わり果てた美女ぶりも全く救いにはならなかった。
「どうしました?」
低く魅力的な声だった。その胸の動悸は生命の危機に際してのものか…別のものを根拠としているのかこの時は判断が付かなかった。
…これが数か月前の記憶である。
あれから色んなことがあった…。
視線を上げると、そこには全身鏡がある。
そこには今の自分自身の姿が映し出されている。
「時間です」
スタッフの声が掛かった。
ざざあ~っという音と共にスカートを波打たせ、鏡の中の純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁が式場に向かって動き出す。
それが今の自分自身であることは言うまでもない。
もう「彼」ではなかったが、今は幸せだった。
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