42話 レイジと那由他
「ありゃりゃ、気付かれてしまいましたかー。あともー少しで後ろから抱きつけたんですがねー」
レイジが声をかけて振り向くと、そこには口元を手で押さえ残念がる那由他の姿が。
「――はぁ……、いい加減気配を消して近づくのはやめろ。また初めて会った時のようなことが起こっても知らないぞ」
「えー、嫌ですってばー。レイジをビックリさせるのが、今のわたしのひそかなマイブームなんです! それにたとえそうなったとしても、那由他ちゃんの華麗な銃さばきで返り討ちにしてあげますから問題なし!」
那由他は小型拳銃をバッとかまえ、得意げにウィンクしてくる。
ちなみにあの小型拳銃は、相手をひるませるために作られた特別製。殺傷性はなく撃たれても激痛が襲う程度らしい。
「クッ、一つ言っておくがあの時、相討ち覚悟なら引き分けてたからな。あと、武器が刀なら確実に勝ってたはずだ」
さすがにそこまで言われると、だまっていられない。
あの時はいろいろと分が悪かったため、手を引いたのだ。もし被弾覚悟で突っ込めば、ぎりぎりレイジのナイフが届いていたはず。使い慣れていないナイフでそうだったのだから、レイジの得物の刀であればそのリーチ分もあいまって拳銃をはじき、無傷で取り押さえられたといってよかった。
「あはは、そういうことにしといてあげますよー。レイジは強いですからねー」
那由他は小型拳銃をしまい、レイジの顔をのぞき込みながらほほえましそうに笑う。
「あー、もういい。――で、なにしに来たんだ? というかどうやってこの場所がわかったんだよ。まさかずっと尾行してたとかじゃ……」
この堤防沿いの道は、レイジの帰り道でも那由他の帰り道でもない。もちろん彼女に今の居場所など教えていないので、こっそり尾行してきたぐらいしかありえなかった。
「ムムム、失礼な! いくらわたしでもそんなストーカーまがいなこと、するはずありません! どうせやるならもっとスマートに、発信器と盗聴器、あとレイジのアパートや行きそうな場所に監視カメラを仕掛けて、常に監視をですね!」
ほおに指をポンポン当てながら、不敵な笑みを浮かべ恐ろしいことを主張する那由他。
思わず距離を取り、疑惑の視線を向けるしかない。
「怖!? マジでやってないだろうな! 那由他が言ったらまったく冗談に聞こえないぞ」
「ふっふっふっ……、レイジはこの那由他ちゃんのモノ……。ゆえにあなたのことをすべて知っておかないと、安心できないんですよー……。もう、いっその事、レイジを監禁してお世話してあげようかなー、なんて……、あはは……」
那由他は口元に手を当てながら、クスクスと不気味な笑みを浮かべる。しかもレイジを見詰める彼女の瞳はどこかうつろであり、光が灯っていなかった。
そのにじみ出る病んだオーラに、身の危険を感じ背筋が寒くなってしまう。
「やばい、今すぐ警察に突き出さないと、身の危険が……。いや、でも、那由他なら裏の権力とか使って出てくるかも……」
「あはは、冗談ですよ、冗談! どうでしたかー? わたしのヤンデレっ子演技は? 最後は永遠の愛のため包丁を持ってしまう、ヤンデレ那由他ちゃん! キャー! なんて健気なんでしょう!」
身の危険を感じていると、那由他がいつもの調子で明るくさわぎだす。
どうやらただの演技だったようで、安堵の息をもらすしかない。
「――な、那由他、頼むからヤンデレにはならないでくれよ。あんたはオレがどこに逃げても見つけだしてきそうだから、ほんと怖いんだよ」
「――それはレイジの今後の態度しだいですかねー……、あはは……」
またもやうつろな瞳をしながら、レイジの耳元で意味ありげにささやいてくる那由他。
「――さて、それでわたしがここにたどり着いた理由でしたね! 実を言いますと、なにもタネや仕掛けがないんです! そう、ズバリ! すべては恋する乙女の勘だったのだー!」
それから那由他は手のひらをどどーんと前に出し、なにやら豪語しだした。
「いや、もうそういう冗談はいいから」
「あー、その反応、信じてませんねー。確かにそう思うのも無理はないですが、ほんとのことなんで仕方ないじゃないですかー。自分でもよくわからないんですけど、レイジがここにいるって気がしたんですよ! 虫の知らせといいますか、レイジが助けを求めてる。だから行かなきゃって感じで!」
那由他はほおを膨らませて抗議してくる。そしてレイジに詰め寄り、腕を胸元近くでブンブン振りながら訴えかけてきた。
「――まさかとうとうマジもんのストーカーの女神として、目覚めたというのか……。ストーカーの勘恐るべし……」
これにはあとずさりしながら、恐れおののくしかない。
「幸運の女神ですってばー! 幸運の女神! それとそんな物騒なものじゃなくて、純粋な愛のなせる技なんですからー。 那由他ちゃんのレイジを想う気持ちが、奇跡を生んだというね!」
すると彼女は祈るように手を組みながら、うわーんっと涙目で主張してくる。
このままだとまた話が長くなりそうなので、軽く流す方向へと。
「わかった、わかった……。口をはさんだオレがわるかったから、話を進めてくれ」
「むー、ものすごく大事なところを、軽く流すなんてこの人は……。仕方ありません。では、気を取り直して。――ゴホン! レイジのピンチに、あなたの幸運の女神! 柊那由他ちゃんが助けに来てあげました! さあ、どうぞ遠慮なさらず、思いの丈をぶちまけちゃってください!」
那由他は両腕をレイジへと差し出し、声高らかに伝えてくる。優しく包み込んでくれるような、陽だまりのほほえみを向けて。
「――別に那由他の力を借りなくても一人で……」
「えー、さっきまで深刻そうに、途方に暮れてたのはどこのだれですかねー?」
ほおに指を当て、わざとらしく首をかしげてくる那由他。
「――あ、あれはだな……」
「――ねえ、レイジ。わたしはあなたの力になってあげたいんです。アイギスの仲間として、パートナーとして……。だからお話だけでも聞かせてくれませんか? 話すことで、少しでも気が楽になるかもしれませんよ?」
誤魔化す言葉を探していると、那由他は慈愛に満ちた瞳を向けさとしてくる。
「――言っとくけど、これはただの葛藤だ。那由他にとって、面白くもなにもない話だけどいいのか?」
「それはレイジにとって大切なことのはず! ならばいくらでもお付き合いしましょう!」
那由他はどんっと胸をたたきウィンクを。
そんな彼女に、レイジは無意識のうちに話すべきだと結論付けてしまった。こんなにも力になってくれようとしているのだから、少しぐらい頼ってもいいのかもしれないと。
レイジはその場に腰を下ろすと、那由他もそれに続いて座ってくれる。そして月の光に照らされる川を二人で眺めながら、話を切り出した。
「――オレはこれからもアイギスで戦い続けるつもりだ。ここにいれば欲しかった答えに近づける気がするからな……。それに那由他たちがいるこの日々も、案外悪くないしさ」
「ふっふっふっ! やはりこのかわいい、かわいい那由他ちゃんがいるから、そうなっちゃいますよねー。それにしてもまさかわたし目当てで、アイギスに残ってくれるだなんて……、キャー!」
那由他は両ほおに手を当て、なにやら悶えだす。
「おい、ちゃんと人の話を聞く気があるのか? ないならおわりにするぞ」
「あはは、すいません、つい。ですが今悩んでいるのは、レイヴンに戻るかどうかなのかなって思っていたんですが違ったんですね」
「一応、戻ろうとは思ってない。やるべきことがアイギスにある以上、あそこに戻るわけにはいかないからな」
現状久遠レイジが一番やらないといけないことは、カノンと再会すること。そうしないといつまでも迷い続け、前に進むことができないのだから。そのためレイジはレイヴンに戻るわけにはいかなかった。たとえ今アリスのもとに帰ったとしても昔の自分に戻るだけで、彼女との誓いを最後まで果たせないゆえに。
「ではレイジの悩みとは?」
「それはオレの戦友であるあいつの手を、振りほどく覚悟があるかどうかだ」
「――レイジの戦友……。ということは黒い双翼の刃の一人、アリス・レイゼンベルトですね」
「そうだ。オレはもうアイギスで答えを探すと決めてる。たとえうちのボスや後輩の光、他のメンバーからいくら説得されても、この意志は揺るぎはしないだろう。――だけどあいつだけは違うんだ。レイヴンや黒い双翼の刃なんて関係なく、アリス・レイゼンベルトという女の子に手を引かれたら、オレは……、きっとその手を振りほどけない……」
アリスと会ってからの九年間、ずっとそうだったように。自分でもうまく説明できないが、彼女を見捨てることだけはどうしてもできないのだ。久遠レイジはアリス・レイゼンベルトから手を離したらいけない。もし手放せば、一人でどこまでも狂気の道に堕ちていってしまう。だから人としてつなぎとめるためにも、そばにいてあげないとダメだと本能に似たなにかが心の奥底で叫ぶのであった。
「そしたらアイギスで答えを探すという決心が、心の奥底で揺らいでしまうはずだ。アリスの手を放したままで、いられるのかって……」
「――なんかその人に妬いちゃいますね……。レイジにここまで想われて、ずるいですよ……」
するとレイジの上着の袖をぎゅっとつかみながら、むっとした表情をする那由他。
「ははは、九年間ずっと一緒にいた家族同然の関係であり、背中を預け合ってきた戦友でもあるからな……。それにアリスはなんというか、それ以外でも特別なんだよ……、――那由他と同じでな……」
ふと自然に出た言葉。内心自分でも驚くが、どうやらこれがレイジの本音らしい。いつの間にか柊那由他という女の子も、アリス・レイゼンベルトと同じくらい特別になっていたようだ。
「あれ!? レイジ! 今なにかものすごいことを言いませんでしたか!? 那由他ちゃんルートのフラグになるようなことを、口にしたような!」
すると那由他がぐいっと身を寄せ、レイジの肩を揺さぶりながら必死にたずねてくる。
「――ははは、さあな。――まっ、まとめると、オレは自分の選択した答えが正しいのかわからないんだ。どうしても心の中で矛盾してしまうから……」
カノンを追うことは正しいはず。でないと先になにひとつ進めない。でもそのためとはいえ、アリスの手を離し続けていいのだろうか。レイジのいない間に、彼女はもう決して手が届かないところに堕ちていってしまわないか。そういった不安が、レイジの選んだ選択をあいまいなものにしてしまう。この選択は間違がっているのではないかと。
「……なるほど、今のレイジの状況はわかりました……。――これでようやく、幸運の女神である柊那由他ちゃんが、レイジの力になってあげられますね……」
そんなレイジの告白に、那由他は瞳をそっと閉じて噛みしめるようにつぶやいた。
次回 幸運の女神




