171話 カノンの答え
冬華と別れ、時刻はすでに十七時ごろ。レイジは白神コンシェルン本部の、高層ビルの屋上に来ていた。
空は目を奪われるほどのきれいな昏色に染まり、心地よいすずしげな風が吹き抜けている。そして静寂に包まれる屋上の手すりの方では、カノンの後ろ姿が。風でなびく透き通るような銀色の髪は、オレンジ色の光をキラキラ反射してとても神秘的に見えてしまう。
あれから彼女は一人で考えたいと、部屋にこもってしまっていたのだ。だが話たいことがあると、今さっきこの場所に呼ばれたのである。なのでレイジは話を聞くため、カノンのもとへ。
「――レージくん、少し昔話をさせてもらうんだよ。キミが知らない、カノン・アルスレインという少女の物語を」
カノンはレイジに気付き、黄昏色の空を見つめながらかたり始めた。
「私は小さいころから、次のアポルオンの巫女として育てられてきた。その関係上いろいろ教育を受けたり、セフィロトとつながり世界のシステムに干渉したり、多くのことを学んできたんだよ。そして知っての通り、アポルオンの世界のあり方に疑問を持ち、変えたいという理想を抱くまでになった」
これはレイジも知っているカノンの過去。彼女は次のアポルオンの巫女として育てられていくうちに、この世界に疑問を持った。そして変えてみせるという理想を抱き、実現するため今も頑張っているのだ。
「でも九年前は、それが本当に正しいことなのかわからなかったんだ。だっていくらきれいに見えても、この考えは私の主観だもん。だから理想をかなえる気でいたけど、もしかしたら間違ってるのかもっていう迷いはあったんだよね」
カノンが望む世界は人々が自由に生きられるという、輝かしいもの。だが彼女が不信感を抱いたアポルオンの世界にも、人類存続という大きなメリットがある。そう、結局なにが正しく、なにが間違っているのかなんて明確な答えは誰にもわからないのだ。だからこそ彼女が迷うのも無理はない。
「たぶんあのまま答えを得てなかったら、いつか挫折してたかもしれない。ただでさえ無謀な試みなんだもん。信じる根本がない以上、数々の現実に信念が揺らぎすべては私の独りよがりだったんだって、考えを改めてたはず」
屋上の手すりをぎゅっとにぎりしめるカノン。
アポルオンの秩序の世界ができあがりつつある中だと、変革するのがどれほど困難か。それは周りがすべて敵であり、自分一人で立ち向かわなければならないまさに孤軍奮闘状態。そんな中、みずからの信念を果たしてどれだけ貫けられるだろうか。もはや少しの迷いが、理想の崩壊を意味するといっても過言ではないはず。そう、人は大事を成し遂げるのに、自分の行動が正しいと信じる根底がなければならないのだ。自身が迷わず納得できる答えを。
「――でもね、そんなとき幸運にもレージくんと出会い、この理想が間違ってないと確信したんだ」
カノンはレイジの方へとくるりと振り向き、にっこりほほえんだ。
「オレ?」
「うん、レージくんが私の理想を肯定してくれた。力になってくれるって、しかも騎士になって支えてくれる誓いまで立ててくれた。もう、その時点で迷いは晴れたといっていいね。なんたってこんなにも心強い賛同者が、できたんだもん。私と共に歩み、理想をかなえようとしてくれるステキな人が……」
カノンは祈るように手を組み、満ち足りたような笑顔で告白を。
彼女が自身の理想を貫き通す覚悟を持てた答え。それはなんとあの九年前のレイジとの一件。理想に賛同し、一緒に叶えようと。あの肯定こそ、カノンが正しいと信じられる根底だったのだ。まさかレイジのあの時の誓いが、これほどまでに影響を与えていたとは。
「だからこそ六年前のおばあさまとの約束も、胸を張ってできた……」
そっと目を閉じ、胸に手を当てて思い返すカノン。その雰囲気から彼女にとってどれだけ大切な出来事だったのか、容易にわかった。
「約束?」
「うん、私のあこがれである先代のアポルオン巫女との約束……。あれはおばあさまが亡くなる少し前、現実で会いに行った時。おばあさまは最後に、本音をかたられたんだ。このアポルオンが支配する世界は、あまり好きじゃなかったって。こんな世界を未来に、カノンに託すことになるなんて心苦しいと……。だから私は今のアポルオンを変えてみせるって宣言したんだよ。レージくんにかたったように私の理想のすべてを……。おばあさまの表情があまりにも悲しげだったから、いてもたってもいられなくて」
カノンは黄昏色の空へ手のひらを伸ばし、遠い目で答える。
「――そんなことがあったのか……。それで先代の巫女はなんて?」
「えへへ、すごく喜んでくれたんだよ。これで心残りがなくなったって。自分はかつての仲間たちの件であまり動けず、ここまで来てしまった。でもカノンが自分の代わりに変革をなしてくれるなら、安心して逝けると。満ちたりた笑顔で……」
まるで自分のことのように、幸せそうな笑みを浮かべるカノン。
「これもすべてはレージくんのおかげ。キミと出会って答えを得てなかったら、あの宣言はできなかった。おかげですごくお世話になったおばあさまの心残りを、最後に取り除けてあげれた……。だからね、レージくんは私の恩人なんだよ」
カノンは万感の思いを込めて、感謝の言葉を伝えてくる。
先代のことをかたる口調から、その人にすごくなついていたのがよくわかった。彼女にとってよほど大切な人物なのだろう。そんな先代を最後に救えたのだから、レイジに感謝してもしきれないようだ。
「そんなキミだからこそ、巻き込みたくなかった。大切な幼馴染であり、かけがえのない恩人であるレージくんを……」
そしてカノンはレイジの胸板に手を当て、これまで遠ざけていた本当の理由を口に。
なんと彼女にとってレイジは、大切な幼馴染だけではなかったのだ。自分の理想に対する芯をくれ、大切な先代の巫女を最後に笑わせるきっかけをくれた恩人。もはやカノン・アルスレインの人生において、久遠レイジは切っては切り離せないものといっても過言ではないのだろう。だからこそ今起こっているアポルオンの内乱や、今後彼女が進むであろう茨の道に巻き込みたくないのだ。かけがえのないレイジの幸せを、心から願っているために。
「――でも私は理想をかなえるために……」
レイジの上着をぎゅっと両手でにぎりしめ、心苦しそうにみずからの決断を告げようとするカノン。
そこにどれほどの葛藤があったのかはすぐにわかった。自分の信念を曲げるか、理想をあきらめるかという最大の二択に。
「それでいいんだ。カノンの力になるのは、オレが決めたこと。だからキミが気にする必要はない」
カノンが決断したならば、レイジのやることは決まっていた。
彼女の頭をやさしくなで、これ以上思い悩まないようさとしてあげる。
「ほんとにいいのかな? 力を貸してくれるなら私の計画はもちろん、アポルオンの内乱まで首を突っ込むことになる。結果、どれだけの危険が付きまとうか、わかったもんじゃないんだよ?」
「ははは、望むところだよ。これまでカノンの力になれたかった分を取り返すには、もってこいってもんだ。どこまでもついて行くさ」
彼女の不安を笑い飛ばし、どんとこいと宣言する。
「甘えていいのかな? ほんとに力を貸してもらっても……」
するとカノンはレイジの胸板に顔をうずめ、ぎゅっと抱き着いてきた。
「カノンはオレのことを想ってくれてるんだろ? それと同じぐらい、オレもカノンのことを想ってるんだ。だからぜひ手伝わせてくれ。がんばってる幼馴染を放ってなんておけない」
久遠レイジの想いを精一杯伝える。
まさかこれほどまでに想われていたとは驚きだったが、レイジとてカノンを想う気持ちは負けていない。これまでずっと彼女の力になることを、願ってきたのだから。
「――レージくん……。――わかったんだよ。どうかキミの力を貸してほしい。私の理想を叶えるために、ついてきてくれないかな?」
カノンは覚悟を決めたらしく、そっとレイジから離れる。そして手を差し出し、アポルオンの巫女としてはじない凛としたおもむきで問うてきた。
「ああ、喜んでキミの力になるよ」
そんな彼女の手を、迷いなくとる。
「えへへ、ありがとう。レージくんがついてきてくれるなら、すごく心強いんだよ!」
カノンは顔をぱぁぁっとほころばせ、信頼に満ちたまなざしを。
こうしてレイジはこれまで通りアイギスメンバーとして、彼女のもとで戦えることに。彼女の信頼に応えるためにも、がんばらなければ。
「じゃあ、さっそく冬華さんに報告しに行かないとだね!」
「そうだな。冬華を説得し、こちらの陣営に引き込みに行こう」
そして今後のことを見すえ、レイジたちは行動に移るのであった。
次回 巫女の権限




