120話 透の姉
如月透は十六夜市にある軍の施設。十六夜基地に来ていた。
普段ならいつも通いなれた仕事場へと向かうのだが、今回は別の一室へ。昨日連絡してきた執行機関のエージェント、長瀬伊吹に会う前に、話しておきたい人物がいたからだ。今向かっている一室もその人物が急きょ用意してくれたもの。さすがに執行機関が関わっていると表沙汰にできないため、人目を避けられる場所で話すことになったのだ。
「失礼します」
扉をノックし、部屋の中へと入る。するとそこには一人の軍服を着た女性が。
中は正面に教卓があり、机とイスが多数設置されているシンプルな部屋。ここはブリーフィングルームとなっており、今は使用中ということで貸し切っている状況。なのでほかの人間が入って来ることはそうそうないだろう。
「新堂中尉、来ましたよ」
「こら、いつも言ってるでしょ? 軍でも二人でいる時は、いつも柚ねえと呼びなさいって」
人差し指を立てながら、言い聞かせてくる若い女性。彼女の名前は新堂柚葉、二十才。正義感あふれる、サバサバとした性格の女性である。なんでも一時は十六夜学園高等部生徒会長を務めていたとか。
「あまり軍内で公私混同はよくないと思うんだけど、わかったよ、柚ねえ」
「よろしい。あと、たまには家に帰ってきなさいよ。こっちは透がいなくて、毎晩寂しいんだから」
透の頭をくしゃくしゃとなでながら、優しくほほえみかけてくる柚葉。
これには気恥ずかしくなり、視線を思わずそらしてしまう。
「――ハハハ……、善処するよ」
「まったく、こんなことなら一年前の透が独り暮らしする話、なにがなんでも止めるべきだった。そうすれば毎晩、晩酌につき合わせることだってできたのに」
柚葉は拳を震わせながら後悔を。
透は一年前に新堂家から出て、一人暮らしをしていた。これまでは家で居候させてもらうだけでなく、生活費や十六夜学園に通う教育費まで出してもらっていたのだ。だがさすがにこれ以上は迷惑をかけられないと思い、家を出ていったのがことの経緯である。
「いやいや、未成年になにをさせようとしてるんだい? あと、酒グセの悪い柚ねえの相手は疲れるから、嫌なんだけど」
「うるさい、透は私の弟なんだからだまって言うことを聞く! これもお姉ちゃんとのスキンシップと思って我慢しなさい!」
あきれながら本音を主張すると、柚葉が指を突き付けなにやら訴えてきた。
そんな彼女の問答無用のお姉さん発言に、感慨深く笑ってしまう。
「――ハハハ、弟か……」
「そうよ。あんたは私たちの家族なんだから、変な遠慮なんてしないの。どうせ独り暮らしの件も、私たちに迷惑掛けないようにとか思ってたんでしょ?」
すると柚葉は透の肩に手を置き、愛おしげなまなざしを向けながら念押してきた。
「かくまってもらうだけでなく、家族の一員として面倒までみてもらってるんだよ。さすがにこれ以上はわるいよ。だから早く自立して、柚ねえたちに恩を返さないと」
もちろん新堂柚葉とは血のつながりなどない。六年前妹の咲と離れ離れになり、川へと落ちて意識を失ったあの日。あれからまたエデン財団に連れ戻されるだろうと思っていたが、そんなことにはならなかったのだ。というのも透を保護し、奴らにみつからないよう便宜をはかってくれた人がいたから。しかもその人物は透を新堂家に預け、かくまってくれるよう依頼してくれたらしい。そんな大恩人なのだが、その人物については結局わからずじまい。柚葉の父親である新堂中佐に聞いても教えてくれなかったのであった。
「透は十分恩を返してくれてる。本来ならあんたの好きなように生きていいのに、軍人となって力を貸してくれてるんだもの。だから恩とか気にせずもう……」
「はいはい、説教はまた今度ゆっくりと。それより新堂中佐の方は?」
話の風向きが悪くなってきたので、話題を本題の方へと持っていく。
ここまで面倒をみてもらった柚葉たちへの恩は、なんと言われようと返したいのだから。
「うん? 父さんなら仕事の都合で来れなくなった。今後のレジスタンスの件で上から急きょ呼び出されちゃって」
あれだけの大事があったのだから、軍としては今後のレジスタンスの動きに細心の注意を払わないといけないだろう。あの戦いで彼らはゼロアバターを使っていたため、ほとんど敵側の情報がわからなかった。なのでレジスタンスの計画を止めたものの、向こうに対して損害はとくに与えられていないのだ。ゆえにまだまだレジスタンスと軍の戦いは、続いて行くことになるはず。
「ごめん、この大変な時期に、部隊を抜けることになるなんて」
思わず頭を下げる。
今透が抜けることで、どれだけ柚葉たちの負担が増えることになるのか。そう思うといたたまれなくなってしまうのだ。
「あんたが謝ることじゃないでしょ。確かにうちの部署から透が抜けたら人員的に痛いけど、そこはまだエデン協会を雇ってカバーできる。問題は透の方よ。歩く死神と呼ばれる執行機関に目を付けられてしまったんだから」
柚葉はそんなことより透の方が心配だと、危惧する。
「わかってるでしょ。執行機関の権限は絶対。彼らに逆らうことは、この世界そのものに反逆するのと同義。ゆえに私たちはどんな命令でも、従うしかない。ここでやっかいなのは向こうが好きなだけこちらを処罰できるということね。命令に背くことはもちろん、ミスするだけでどんな難癖をつけられるか、わかったもんじゃないんだから」
「ああ、軍だと執行機関の横暴のうわさを、耳にすることはめずらしくないしね」
「とはいってもその相手の、人がらにもよるんだけどね。軍人のことを道具としか思ってない連中もいれば、那由他ちゃんやレーシスくんのように話が通じる子たちもいる。今回の相手はどっちのタイプなのかが問題ね。その長瀬伊吹という執行機関はあまりここでは見かけないから、どんな人物かよくわからないし」
腕を組みながら、うーんとうなる柚葉。
「まあ、どんな人間だろうと、とりあえず頑張ってみるよ。これも任務。手は一切抜かないつもりだ」
「――透、もし自分の身に危険がせまったら、すぐさま戻ってきなさい。私たちがなんとしてでも力になってあげるから。これはお姉さん命令よ。約束できる?」
柚葉は透の両肩をがっしりつかみ、真剣なまなざしで言い聞かせてくる。
「――わかった。その時は頼むことにするよ」
有無を言わさない彼女の言葉に、もはやうなずくしかなかった。
たとえ執行機関を相手にしても透の力になってくれるという想いが、痛いほど伝わってきたのだから。
「柚ねえ、それで用件はもうないかい? そろそろ向こうに顔を出しに行こうと思うんだけど」
「待って、実は一つ頼みたいことがあるの。ただこの話をのむかは透の自由。危険な任務ゆえ、降りてもいいと上のお達しよ。私としては身の安全のため、断るほうをすすめとく」
柚葉は胸をぎゅっと押さえ、これでもかと深刻そうな表情を。
まるで執行機関のエージェントのもとで働くより、心配してくれているレベルでだ。
「上からの命令か。どんなオーダーなんだい」
「如月小尉、あなたには……」
「こんなところにいたのか、如月小尉。探したぞ」
柚葉が本題に入る前に扉が開き、そして一人の少女が。
その少女には見覚えがあった。少し前の十六夜タワーの戦いにいた少女。名は長瀬伊吹である。
「なんだ? 取り込み中か?」
「い、いえ、おわりました!? じゃあ、頑張ってね、透」
透の背中を軽くたたき、柚葉はさっそうと部屋から出ていく。
どうやら執行機関の前では、言えない内容だったらしい。
「さて、部屋が貸し切り状態なら、ここで話をするとするか。如月小尉の任務内容についてな」
そして伊吹は透の方に歩み寄り、意味ありげに話を進めてくるのであった。
次回 任務内容




