詩的な気分のカツオちゃん
僕が住んでいた田舎は、いわゆる「村」というカテゴリーに属していました。一歩外に出れば視界の隅だか正面だかとにかくどこかに山が入り、畑が広がり、通る車といえば農作物を積んだ軽トラがほとんど。
そんな村人だった僕なので、未だに都会を見て驚くことは多々あります。
例えば、公園です。
僕が都会に引っ越してきて驚いたものの中に、実は意外にも公園が入っていたりするのです。
いえ、僕としては全然意外だとは思わなかったのですが、竜宮下さんに「公園って初めて見ましたよ」と言うと絶句されました。あの竜宮下さんにですよ?
『日本全国どこにでも等間隔に配置されているものだと思っていたわ』
と、しばらくして竜宮下さんは仰っていました。
等間隔かどうかはともかく、公園というのはちょっと歩けばよく見かけるものだそうです。よく見かけるものを全く見かけないのが、僕が住んでいた村です。そもそも村そのものが広大な公園みたいなものでしたからね。
しかし都会の公園という空間は、良い意味で狭いです。
僕が今いる公園もそうなのですが、何かしらの建築物で埋まっている都会に、まるで虫食いのように存在しているのです。規模は色々ありますが、大抵はどれも大した広さではありません。酷いと砂場と電話ボックスしかないというところもありました。
僕が今いる公園は、周囲を都営住宅で囲まれています。飾りめいた木が入り口のところに一本、公園内に二本植わっていて、ほかには砂場とシーソー、滑り台にブランコが設置されています。
日曜日だからでしょうか。お子ちゃまたちが元気に走り回っています。たぶん小学生ですね。リアル小学生は久々に見たはずなのに全然久しぶりという感じがしません。あー、身近に小学生女子みたいに元気なお方(石踊さん)がいるせいですね。
ふいー、なんだか落ち着きます。
僕には広大な景色の良い田舎より、こういうこじんまりとした空間のほうが合っているようです。
こんにちは。公園のベンチに座り、読書中の僕です。
家で神田さんのアリバイ崩しを脳内でやっていたのですが、行き詰ったんで気分転換に本を持って外をぷらぷら歩いているうちに、色々あってここに辿り着いちゃいました。
今は午後三時でオヤツの時間なわけでして、僕としてはこのすぐ近くにある『喫茶無菌室』でコーヒーを啜りながらケーキかクッキーでも食したいところなのですが、阿呆な僕はなんと家に財布を忘れてきてしまったのです。文庫本はしっかり持ってきたのに。悲し過ぎます。仮に財布があったとしても、財政難でコーヒーすら頼めない可能性があることが、さらに僕を深い悲しみに暮れさせます。
都会では、お金の無い人は公園に流れ着くものなのですね。
やれやれ、です。
僕は文庫本を閉じて、見渡すほど広くもない公園を見渡しました。
遊んでいるお子ちゃまは男の子二人で、鬼ごっこでもやっているのでしょうか。とにかく追いかけっこをしています。大人数ならともかく、二人でやる分にはこの公園の狭さは実に丁度良さそうです。
――ユウキくん。
僕もあのお子ちゃまたちのように、小学生の頃はユウキくんとよく追いかけっこをしていました。二人で。
あまりにも広過ぎる野原を。
いつも、二人で。
僕はすぐそこを走り回るお子ちゃまをぼんやりと見つめました。あの二人も、いつも二人で追いかけっこをしているのでしょうか。
いつも、二人、だけで。
「藤紐よ」
「どわっちゃー!」
傷心を味わい実に詩的な気分になっていた僕でしたが、あっという間にその赤い海パンに目を奪われ、阿呆な奇声まで発してしまいました。
はい、尚武屋さんの登場です。
今日も今日とて彼は海パン一丁です。
未だにこの格好で突然登場されるとびっくりするんですよね。
走り回っていたお子ちゃまたちは「うわーっ」と悲鳴をあげながら逃げていきました。お巡りさんを呼びに行ったりしないことを祈るばかりです。
「せっかくの休みだというのに本など読んで、つまらなくはないか? それでは普段と同じではないか」
登場して早々、またなんと失敬なことを言う男なのでしょうか。
「尚武屋さんこそ、普段と同じ格好で、つまらなくはないのですか?」
悔しいのでいつになく攻撃的な発言をする僕です。
「何を言う。今日と昨日では違うぞ。昨日は緑、今日は赤い海パンだ。俺は七色の海パンをローテーションで着こなしているのだ」
「ソーデスカ」
とても無駄な情報を得てしまいました。
「隣いいか?」
訊いている傍からどかりと僕の隣に腰を降ろした尚武屋さんです。断る隙もあったもんじゃありません。
「尚武屋さんが公園に来るなんて、ちょっと意外ですね」
「うむ、自分でもかなり意外だと思う。けどな」
尚武屋さんはどこか遠くを見るような目をしました。でも彼の視線の先には無個性な白い壁面の都営住宅が墓標みたいに並んでいるだけです。
「なんだか、公園を散策したい気分だったのだ」
これは本当に意外ですね。尚武屋さんも誌的な気分みたいです。いつもプロテインジュースをガブ飲みしているようなイメージしかなかったのですが。
「………………藤紐よ、ずっと聞こうと思っていたのだが」
沈黙を溜め込んで、それを吐き出すように尚武屋さんが口を開きました。
僕は思わず居ずまいを正しました。尚武屋さんの口ぶりに、普段は感じられない重さが含まれていたからです。
「何でしょう」
「貴様はとてつもなく弱い」
「……それは質問ではないですね」
僕は苦笑しました。
「これからが質問だ。話は最後まで聞け」
「はぁ」
「もう一度言うが、貴様はとてつもなく弱い。だが一方で強い、と俺は思っている」
「仰っている意味がよくわからないのですが」
「入学式の日――俺が貴様と竜宮下を追いかけたあの時、貴様は何の躊躇も無く焼却炉に飛び込んだ。あろうことかそのまま競泳水着もろとも焼身を図ろうとまでした。なぜだ? なぜあんなことができたのだ?」
「あー……」
なんというか、困る質問ですね。
サクッと答えようと思えばできなくもないのです。というか、たった一言で済むのです。いつものアレを口にすればいいだけですから。
どうせ、死ぬのですから。
――と。
「なぜだ藤紐、俺には理解できんのだ」
尚武屋さんは言葉を重ねました。
僕は彼のお顔を見てびっくりしました。苦悶に、満ちているのです。いったいどうして――
「藤紐よ。俺は昔、お前のように弱かった。最弱と言っても差し支えないほどにな。よくイジメられたりもした」
僕は驚くのをぐっと堪え、黙って彼の話を聞くことにしました。そうでなければ、尚武屋さんの質問には答えられそうにありません。話を聞いたところで、質問に答えられるとは限りませんが。
「今考えても酷いイジメだったな。物がなくなるなんてしょっちゅうで、遠足の時は一人でメシを食い、友達と組んでやる課題は恐怖だった――誰も組んじゃくれないからな。どうも『弱いからイジメる』というのが連中の頭には常にあったようだ。俺には理解できん。理解できんが、そういう輩が存在する以上、やられっぱなしでいるわけにはいかん。だから俺は体を鍛え、強さを求めた」
尚武屋さんは右ひじを折り曲げて力こぶを作ってみせました。ラクダのこぶみたいに盛り上がった筋肉がそこにはありました。物凄く硬そうです。
「この通り俺は鍛え抜き、自分で言うのもなんだが相当な強さを手に入れた。イジメてきた連中は全て返り討ちにしてやった。でもな、虚しいだけだった。強くなったのにな。でも水泳を始めてからは虚しさを感じなくなった。水泳は素晴らしい。全身の筋肉を使い、ただひたすらにスピードを求める。スピードが上がれば満足感を得られる。イジメてきた下種どもを倒しても、そんな満足感は得られない」
尚武屋さんは足元にある石ころを蹴り飛ばしました。石ころはころころと転がり、滑り台の梯子にぶつかって止まりました。
「だが貴様は……貴様はまるで、俺が鍛えずにそのまま成長したような姿なのだ。実際に空前絶後の弱さだ」
「空前絶後とはまた失敬ですな」
「ははは」
僕と尚武屋さんはそこでようやく弱くではありますが、へらへらと笑えました。
「貴様は弱い。ちびっこいしひょろっこいし竜宮下の手下だしな。だが、強いのだ」
ここまで強いと言われたのは初めてで、僕はどう反応したらいいかわかりませんでした。
だって、僕が強いなんて、そんなこと有り得ないのです。
もし僕に尚武屋さんが言うような強さがあるのなら、僕は今頃ここにはいません。ユウキくんと向こう側へ行っていたと思います。
でも、尚武屋さんに「僕は弱いですよ」と言ったところで聞いてもらえそうにありません。弱ったものですね。
「再び問うぞ、藤紐よ。貴様、なぜあの時自分から死を覚悟してまで焼却炉の中に飛び込めたのだ?」
……。
…………。
………………ごめんなさい、尚武屋さん。
「勢いですよ。勢い。勢いっすよー尚武屋さーん」
僕は適当に言って誤魔化すことにしました。
もう何をどう訊かれようと、適当に流します。我ながら最悪ですね。
「急に投げやりになるな。ちゃんと真面目に――ん、あれは……」
尚武屋さんが僕から公園の入り口へと視線を移しました。彼の見ている方向には、こっちに向かって腕を元気よくぶんぶん振っている小学生女子みたいなハムスターさんが……。
「ヒモモーンっ、カツオちゃーんっ」
石踊さんでした。
石踊さんはスキップをして(久々に見ましたスキップ)、僕と尚武屋さんのところへとやって来ました。
「ありゃりゃー、二人並んでベンチに座っているなんて、さてはデートなのかにゃ?」
「違います」「違う」
声を揃えて否定する僕と尚武屋さんです。
「なーんだ、つまんないねー」
石踊さんは「あっはっは」と陽気に笑いました。
ふうむ、今日の石踊さん……なんだか気合入ってますなぁ。いや、格好が、です。
白いたっぷりとした感じのロングスカートにピンク色の可愛いサンダル、上半身は薄桃色の半袖のセーターを着て、首には雲みたいにフワフワしたストールを巻いています。いつになくお洒落度が高いです。
顔のほうもいつもより若干お化粧に気合を入れているらしく、目がパッチリ大きく見えます。元々大きい目なので、いささかパッチリし過ぎな感じもしますが。
「おっと、ヒモモン。幟ちゃんの可愛らしさに見とれているねい。でもでもー、石踊ルートはもう攻略不可能でっせー。ざーんねんっ」
いざ喋りだすといつもの痛い石踊さんでした。
「しかしあれだな。なんというか……かわ、いい、な」
尚武屋さんが気味悪くもじもじしながら言いました。
僕がぎょっとしたのは言うまでもありません。
いえ、冗談抜きで海パン一丁の筋肉男がもじもじするお姿というのは、納豆に牛乳をぶっかけるかのような気持ち悪さがありますな。
「あっはっは、カツオちゃんもアタシに見とれちまったかー。実はアタシ、これから工藤さんとおデートなのさー。あっはっは」
「それはそれは、よかったですね」
僕は適当に言っておきました。こんなことじゃないかと思ったのですよ。
「うんっ、もう楽しみ! ――おっと、待ち合わせに送れちまうぜい。じゃあヒモモンとカツオちゃんもおデート楽しんでねーっ。ばいばいきーん」
石踊さんは慌しく現れて慌しく去っていきました。台風みたいな娘さんですね。
「幸せなのだな、石踊は」
尚武屋さんはぼんやりと去り行く石踊さんを見ながら言いました。なんだかまた誌的モード入っちゃってますね。
ああ、そうでした。僕は色々と訊かれていたのでした。ううむ、どうにか誤魔化して流せないものでしょうか。いっそ逃走しちまったほうがいいかもしれませんね。
――と、僕がうにゃうにゃ悩んでいると、尚武屋さんはベンチから立ち上がりました。
「読書の邪魔してすまなかった、藤紐よ。俺はちょっと学校のプールにでも行って泳いでくる」
「は、はぁ……」
尚武屋さんはのしのしと、まるで森に帰る熊さんみたいに公園を出て行きました。赤い海パンに包まれたお尻が歩くたびにプリプリしています。
――はて。
なんだったのでしょうか。今日の尚武屋さんは。
わからないですね。
わからないと言えば、神田さんのこともわからないままですね。何せアリバイが成立してしまったのですから。明日には学校で竜宮下さんに会うので、ちゃんと僕なりの推理を考えておかないと、また怒られてしまいます。
などと心配しつつ、僕は現実のわからないことを放棄して、本の中の世界で巻き起こる事件とその解決に挑む探偵さんの活躍を読み進めるのでした。




