竜宮下、怒りの鉄拳
竜宮下さんの予想通り、工藤さんは今井さんと一緒でした。
僕たちが地下駐車場の詰め所に踏み込むと、いつぞやとほとんど同じ光景が目の前にありました。
変わっているところがあるとすれば、ノートPCの画面がニャンニャンワールドではなく、リアルニャンニャンワールドに変わっていたことぐらいです。
僕たちの姿を認めると、工藤さんはニヤけたままびっくりするという器用で奇妙な表情を浮かべました。
「き、きみたちっ、またいきなり入ってなんだいっげへへへっ」
器用でも奇妙でもなく、気味悪いだけでした。
「工藤さん、我々文芸部はあなたと同盟など結んだ覚えはないのですけど、どういうことか説明して頂けますか?」
単刀直入に竜宮下さんが訊くと、今度こそ工藤さんは驚きを顔に表しました。
「な、何を言ってるんだ……。どどどどど同盟を結んだじゃないか。あははは……」
「ヒモくんは騙せても、わたしは騙されないわ」
僕も騙されてません。
「あなたが結んだのは石踊さんとの赤い糸だけよ」
「えへへ」
工藤さんがでろんでろんにニヤけました。そんな彼に、竜宮下さんの鉄拳が顔面にめり込むまでに一秒もかかりませんでした。
「ぐほあああっ!」
顔を押さえ後方へ倒れそうになる工藤さんに、竜宮下さんは彼の制服のネクタイを掴み、犬のリードのように引っ張りました。
「ぎょほ!」
「わたし、気が短いんです。そうですね、長さにするとヒモくんの身長ぐらい短いんです」
それはまた悲しすぎるほどに短い気ですね。
工藤さんは苦しいのかしきりに首を縦に振っています。
「さて工藤さん、この学校で二番目に強いこのわたしを相手に、いつまで首を横に振っていられるかしら。さっさと本当のことを喋ったほうが身のためですよ」
どう見ても工藤さんは首をしっかりと縦に振っています。ただいたぶるのを楽しんでいる竜宮下さんです。
そして二番目というのが地味に気になります。一番はやはり尚武屋さんでしょうか。
工藤さんは必死に首を縦に振り続けます。竜宮下さんはぐいぐいと彼を締め上げ、可愛いぬいぐるみを前にした少女のように楽しそうです。恐ろしすぎて直視できません。
いっぽう今井さんはというと、周囲の喧騒など何のその。ノートPCに展開中のリアルニャンニャンワールドを真剣な眼差しで鑑賞しております。全く動じている様子がありません。男の中の男ですね。
やがて竜宮下さんは飽きたらしく、パッと手を離しました。げほげほとむせる工藤さんでしたが、また殴られるのではと恐れたのか、ぺらぺらと語り始めました。
「がはげほっ……今年の春休み、私のもとに――暗室に一通の手紙が届いたんだ」
「手紙?」
「ああ。私が暗室に行くと、それは椅子の上に置いてあったんだ。手紙には水泳部から競泳水着を盗み出せば、学校に行かずとも卒業できるようにする、とあった。その時の私は卒業できずに失意のどん底にいたから、藁をもすがる思いでそれに飛びついた。冷静な判断ができなかったのだ……」
工藤さんが冷静だったところなど僕はほとんど見たことないですが。
竜宮下さんも呆れたらしく、盛大に溜息をつきました。
「呆れたわ。だからギャリギャリ君もまともに保存できないのよ」
「ギャリギャリ君?」
「いえ、こちらの話です」
僕は一応言っておきました。
「その手紙が置いてあった日というのは何日だったか覚えているかしら?」
「三月二十七日だ。間違いない。私が初めて深夜の暗室を利用した日だから覚えている」
「もちろん、その手紙の送り主は書いてなかったわよね?」
「ああ、お決まりの展開だ」
「お決まりの展開にひょいひょい引っかかるあなたは阿呆ね」
「グウの音も出ん……」
「ほかの部員が置いていったのかしら」
「それはない。部員はほかにも十人ほどいるが、みんなデジカメで撮影している。暗室を使っているのは私だけだ」
「なるほどね。それにしても、ふむ」
竜宮下さんは顎に手を当てて考え込み、それから僕を一瞥しました。
「ヒモくん、どさくさに紛れて破廉恥動画をUSBメモリーにコピーするのはやめなさい」
「あ、あい」
竜宮下さんが工藤さんをいたぶっている間に、今井さんにコピーを頼む→了承を得る→コピー開始、という作戦だったのですが。まだ半分もコピーできていません。お宝ざっくざくだというのに。勿体無いですね。
「ヒモくん、ちゃんと話は聞いていたんでしょうね」
「もちろんです。何と言っても僕は語り部ですから」
「何を言っているの?」
竜宮下さんが首を傾げました。ヒロイン宣言した人の態度とは思えません。
「いえ、こちらの話です」
なんだかこちらの話が多いですね。
竜宮下さんは僕をいじくるのにも飽きたのか、再び工藤さんに視線を移し、思案顔で僕に訊きました。
「ヒモくん、仮によ。もし仮に、この阿呆留年生を学校へ行かずとも卒業させることができるとしたら、どんな手がある?」
「退学するとか」
「それは胸がスッキリするけど、卒業ではないわね」
「こら」
工藤さんが不満の声を上げますがスルーです。
「では校長に土下座するとか」
「校長なんて大した権限持ってないわ。理事長に頭が上がらないお猪口ばりに器の小さな男らしいわ」
「じゃあ理事長に土下座するとか」
「土下座じゃ無理ね」
「じゃあ靴を舐めるとか」
「なるほど」
「なるほどじゃない」
文句を垂れる工藤さんですが、やはりスルーです。
竜宮下さんは今の会話がヒントになったのか、ふむーとさらに考え込みました。
「疑い深い男が二人いるわ」
「おおっ」
竜宮下さんの目が、今井さんのほうに向きました。今井さんはノートPCでリアルニャンニャンファイルを整理中でした。
それにしても、なんという膨大な数のファイルなのでしょうか。USBメモリーではなく外付けハードディスクを持参するべきでしたね。
「一人目はあなたよ。今井さん」
今井さんはPCの操作をやめて、無言で竜宮下さんのほうに向きました。その目は「俺?」と言っているようです。
「あなたは工藤がどれだけ阿呆かよく知ってる」
「呼び捨てにするな」
工藤さんの不平の声を当然のように黙殺する竜宮下さんは続けました。
「それにあなたは警備員だからマスターキーを持っているはず。暗室にも楽々と入っていけるわ」
「ふむふむ」
僕は感心して頷きつつ、今井さんの手から離れたマウスを使い、とあるアイコンをダブルクリック。こ、これは……!
「それに、この破廉恥動画よ。競泳水着の娘さんがなにやらとんでもないことになっているわ。アクロバティック過ぎて同じヒューマン一族とは思えないわね。ふむ、あなたの趣向も、十分に容疑者足りえる材料よ」
「あ、すいません。それは今僕が再生しました」
こんばんは、竜宮下さんに踵落しをくらった僕です。身長が五センチくらい縮んじゃったようが気がしないでもないです。
そして今井さんの容疑はわずか一分で晴れたのでした。




