潜入、深夜の暗室
翌日の午後十一時四十五分、僕たちは暗室の前にやって来ました。暗室は山越高校二階の一番南側に位置していて、写真部以外の方がここにやって来ることはまずないとのことです。
今日はその「まずないこと」が起こるようです。
それにしても、夜十一時を過ぎると警備員はろくに仕事をしない、などという情報をどうして石踊さんが知っていたのかが不思議です。そのおかげで僕たちはこうして難なく深夜の学校へ忍び込めたのですが。さすが石踊さん、顔が広いですね。
「石踊さん、さっさとノックしなさい。なんならこのわたしが蹴破ってもいいのよ」
竜宮下さんが静かに言いました。
竜宮下さんは黒いワンピースに黒いカーディガンを羽織っていて、しかも黒髪でありますから、完全に闇に溶け込んでおります。黒がこれほど似合う女性もそうはいないです。
さて、なぜ竜宮下さんがいるのか。
昨晩の回想シーンをどーぞ。
『ヒモくん、わたしよ』
『こんばんは竜宮下さん、深夜三時に電話とはこれまた意外性に富んだ仕打ちですね』
『ええ、直接的な仕打ちにはもう飽きたの。仕打ちを電波に乗せて』
『なるほど、常に進化し続けるということですね』
『ヒモくんもごくごくたまには良いことを言うわね』
『いやぁそれほどでもありますよ』
『ところでヒモくん、わたしは今、例によって執筆中なのだけれど、どうにも筆が進まなくなって困っているの。何か面白い話を要求するわ』
『お、面白いはにゃしでしゅか』
『なぜ噛んでいるのかしら。さては面白い話があるのね。けれど何らかの理由でそれを隠しているのね』
『断じてそんなことはござらん』
『意味不明なキャラを演じるところがますます怪しいわ。ヒモくん、白状しないと、これから卒業するまできみのことを噛み噛み王子と呼ぶわよ。それが嫌なら白状なさい』
回想シーン終わりです。
振り返ってみると、眠りの途中で強制覚醒させられたせいかテンションがおかしいですね。
噛み噛み王子などというヒモ以上にかわゆくて屈辱的なあだ名に耐えられそうにないので、僕はあっさりと石踊さんのことを吐露し、本日、竜宮下さんがついてきた次第です。
小説に使えそうなネタを捜しているのでしょう。
「だーめ。もしかしたら現像中かもしれないんだよ。工藤さんは騒々しいのが好きじゃないしね」
「深夜にこそこそ学校に来て現像なんて、よほど騒々しいのが嫌いなのね。暗い性格の男なのかしら」
竜宮下さんには話し忘れてしまったのですが、工藤さんは昼間学校に来ていないのです。
というのも、留年したせいで下の学年だった方々と一緒にお勉強することになり、物凄く居心地の悪い思いをされているからとのことです。
大学生になると一浪や二浪はさほど珍しくないのでしょうが、高校留年となると体裁が悪いようで、生徒たちも奇異の目で工藤さんを見ていたそうです。
工藤さんはそれに耐えられなくて深夜の学校に来ては現像作業に打ち込んでいるのです。深夜の学校に来たところで、卒業できるわけでもないのに。工藤さんにとっては、学校とは写真を現像するためだけに存在しているようです。
元々留年してしまったのも写真部にのめり込み過ぎてろくに授業に出ていなかったからなんだとか。はっきり言ってしまうと、自業自得ですね。僕も気をつけなければ。
「トントン、工藤さん、わたしです。石踊です」
石踊さんが暗室のドアをノックしますが無反応……かと思いきや、足元が小刻みに揺れ始めました。
「お?」
「地震、ではないわね」
竜宮下さんの仰るとおり、地震とは異なる揺れです。どこかでこれと似たような揺れを経験したのですが……それもかなり最近に。思い出せないです。
揺れは十秒もかからずに納まりました。
「なんだったのかしら」
「わかりません」
「トントン、工藤さん、わたしです。石踊です」
石踊さんは揺れのことなど気にしてないみたいです。
「トントン、工藤さん、わたしです。可愛い後輩の石踊幟ちゃんです」
ノーリアクションです。
「おそらく『可愛い後輩の石踊幟ちゃん』というところにドン引きしたんでしょうね」
竜宮下さんが冷たく吐き捨てました。
「そ、そんなこともないもんっ。くどーさーん!」
石踊さんが子供みたいに喚きながらドアノブを回すと、ドアはあっさりと開いてしまいました。
「ありゃ……開いてる……」
石踊さんは首を捻りつつ、暗室の中を覗きこみました。
「ありゃりゃ、いない……」
「でも電気はついてますよ。それになんだか使用済みのような光景です」
「まるで使用済みの競泳水着のようにね」
竜宮下さんがいらぬ比喩表現を加えました。
それはともかく、明らかに誰かがいたことはたしかだと思われます。つけっぱなしの電気、開けっ放しの冷蔵庫、机の上に放置されたカメラとレンズと食べかけのスナック菓子。
「こ、これは――」
石踊さんがわざとらしい驚愕の表情を浮かべました。
「密室殺人事件!」
はい、死体がありません。
「言いたかったんですね」
「うん」
石踊さんは満足そうに頷きました。
「でもおっかしーなぁ。暗室にはなんの仕掛けもないはずなんだけどなぁ」
「そうとは限らないわ。石踊さんはたしかにこの学校のからくりを熟知しているけど、それでもまだ丸一年ちょいしか在籍していないのよ。丸三年ちょいの留年生にしか知りえない未開の仕掛けがあるんじゃないかしら」
「むむむっ、たしかに!」
それ以前に、からくりやら仕掛けが当たり前のように存在するこの学校について説明して欲しいものですね。某魔法学校みたいです。




