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新生活は競泳水着を託されてスタートを切った。

 玄関の引き戸を開けると、朝日が目に飛び込んできて、僕は思わず目を細めました。

「はい、お弁当だよ」

 おばあちゃんが僕のあとについてきて、お弁当箱が入った袋を手渡してくれました。それは昨日の晩、おばあちゃんが縫ってくれたもので、星の模様が散っている布でできています。

「ありがとうございます、おばあちゃん」

 本当は今日は入学式だけなのでお昼ごはんはいらないのですが、張り切ってお弁当を作るおばあちゃんにそんなこと言えるわけがありません。

 それにおばあちゃんのお弁当はとても美味しいのです。特に玉子焼きは絶品です。帰りに公園のベンチにでも座って本を読みながら頂きましょう。

「優ちゃん、制服はきつくはないかい?」

「大丈夫です。僕の体にぴったりです」

「そう、それはよかった」

 おばあちゃんはそう言うと、僕のネクタイをキュッキュッと少しきつく締めました。

「ネクタイというのは、こうもキツイものなのですか」

「心配要らないよ。じきに慣れるから」

 そう言われても、どうにも落ち着かないものです。中学がずっと詰め襟の学生服だったせいもありますね。

 おばあちゃんは、僕を頭から爪先まで子細にチェックして「よし、イケメンイケメン」と僕には縁のない単語を口にしながら満足そうに頷きました。

「気をつけるんだよ。東京は車が多いからね」

「わかりました」

 僕は小さく頷きました。

 おばあちゃんはニコリと微笑みました。

 どういうわけか、僕のおばあちゃんの皺はとてもキュートに見えます。少し腰を曲げ、割烹着を着ているその姿も、僕をほっとさせてくれます。

 なんというか、どこまでも無害だからです。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 こうして、僕はまた朝を迎えてしまいました。なぜなら、僕が死に損ないだからです。


       *


 東京と言っても僕がこの春から住むこの地域は、都心から外れた西のエリアで、中学時代のクラスメイトたちも「都心じゃねえし大したことはねえべ」と鼻で笑っていたのですが、それはどうやら大間違いのようです。

 おお、都会ですなぁ。

 まず家が並んで建っています。ちなみに僕の住んでいた田舎は三百メートル間隔ぐらいで家が建っていました。

 それから人が多いです。ひーふーみーよーいつむー……六人! 住宅街でこれは快挙ですね! 

 ちなみに田舎では学校に着くまで人に会いませんでした。そもそも住宅街などという言葉とは無縁でした。

 国道に出ると、蟻の行列の如く車が走向しておりました。わずかな隙間を利用してひょいひょい追い越しを試みる猛者もいらっしゃいます。もしや暴走族というやつでは、とにわかに緊張したのですが、交番の前に立っていたお巡りさんが一ミクロも動かないところをみると、なるほど、東京では当たり前の風景のようです。

 歩道にも通勤通学と思われる方々が、忙しなく各々の目的地へ向けて歩いたりバイセコーを疾走させております。

 東京に引っ越してきて三日目ですが、実はまともに外に出たのは今日が初だったりします。

 引っ越してきて最初の一日目は疲れ果てて二十時間の睡眠を取り、二日目は荷物の片付けの途中で蔵書を読み耽り徹夜。そして今日を迎えたのです。

 そんなわけで、僕は今、とってもおねむです。

 ぼうっと歩いているので、快走するバイセコーやジョギング中の体育会系筋肉男なんかに激突する危険が大なのですが、それもよしかなと。

 どうせ、死ぬのですから。

 いつもどおりの危険域のテンションの低さで、僕は今日から通う高校へと足を運びました。



山越高校やまごえこうこう……」

 僕は校門を前にして、ぽつりと独り言を呟きました。

「ここ、ですね」

 グラウンドがありテニスコートなんかもあり、そして三階建てのカステラみたいな形をした校舎が鎮座しております。僕が今日から通う都立山越高等学校で間違いありません。

 春らしく桜が満開に咲いて、宙を舞う花びらがピンク色の雪のようです。

 でも変ですね。

 今日は入学式なので、校門の脇に『入学式』なんて書いてある立て看板でもあるのかと思ったのですが、そんなものは見当たりません。それに校内の様子もおかしいのです。

 明らかに在校生とおぼしきお姉さまお兄さま方が、何やら忙しそうにくるくると動いています。人によっては野球のユニフォームを着たり柔道の胴着を着たり、それはどう見ても部活の勧誘にしか思えません……おや?

 僕の一億倍はハンサムなお方が、今まさにそれらしき立て看板を立てかけました。

『都立山越高校入学式』

 ハンサムなお方は満足そうに頷き、校内に戻ってゆきました。

 なんだかとっても嫌な予感がしたので、僕はスクールバックから事前に送られていた入学案内の用紙を取り出し確認しました。

 ……。

 入学式は十時だそーです。今は、八時です。

 田舎者は早起きなのです。



 校門の前でしばし逡巡……ふうむ、どうしたもんでしょう。

 どこかで時間を潰そうにも、この辺の地理がわかりません。本屋さんでもあれば立ち読みして時間を大いに潰せるのですが、ってこの時間に空いてる本屋さんなどあるわけありませんね。

 本屋さん本屋さん本屋さん本本本本本……むむっ。

 閃きました!

 学校には本がいっぱいある場所があるじゃないですか。

 そうです、図書室です。

 この在校生の方々で騒がしい様子から察するに、校舎には普通に出入りできそうです。図書室を見つけてそこで入学式十分前ぐらいまで読書といきましょう。校内の見学もできそうですし。一石二鳥ですな。

 僕は校門から一歩進み、山越高校の敷地内に足を踏み入れました。

 踏み入れた瞬間、その男は駆け寄ってきました。

「私は追われている。スマンがこれを預かってくれっ」

「ほえ?」

 なんとも間抜けな応対をかましてしまいましたが、それも致し方ありませぬ。普通に生きていて、こんなセリフを吐かれることなどありません。

 その男も山越高校のブレザーを着ているので、この学校の生徒であることは間違い無さそうなのですが、高校生にしてはちょっと大人びているなぁと僕はぼんやりと思いました。

 ぼんやりと思ったのがいけなかったようです。

 男は僕の「ほえ?」を肯定の返事だと自分に都合よく解釈したらしく、僕に「これ」とやらを押し付けてさっさと走り去っていきました。

 僕が受け取ったのは競泳水着(女性用)でした。

 どことなく使用済みであるらしいクシャッとした佇まい。これは色々な意味で危険な香りがします。

 ひとまずその危険なブツはスクールバックの中へ突っ込んでおきました。入学早々変態さんの汚名で名を馳せるわけにはいきません。

 僕は周りをきょろきょろと窺いました。人は多くいらっしゃいますが、各々の仕事に忙殺されているのか、誰も僕のことなど気にしていません。おそらく皆さん部活の勧誘でお忙しいので……ありゃ、様子が変です。

 皆さん、携帯を取り出しました。

 一人や二人ではありません。

 時を同じくして、誰もが一斉に携帯の顔面を凝視しているのです。これはどうしたことでしょう。

「少年」

「うぴゃっ」

 いきなり話しかけられたので、僕はまたも間抜けな応対をしてしまいました。「なんですかうぴゃっ!」

 二度ならぬ三度も間抜けな反応を見せてしまうとは、どうも僕は精神の鍛錬が足りないようですね。でもそれもこれも、僕に今話しかけている男の姿があまりにも奇怪なので仕方ありませぬ。

 四月とはいえまだ肌寒いこの時期に、なぜか目の前の男は赤い海パン一丁に白い水泳帽というライフセーバーみたいな出で立ちなのです。

 しかもその体つきときたら、まるで熊とゴリラを足して二で割らず足したままにしたような筋肉に覆われております。

 パワーを気にしすぎた変身でスピードが落ちているんでねえかと疑いたくなるほどの筋肉の膨れ具合っぷりに、僕はただただ呆然とするばかりです。

「少年、怪しい男を見かけなかったか?」

「…………………………………………………………………………いいえ」

 どうにか「あなたほど怪しい方はいませんよ」と言いそうになる自分を抑えました。

「ふむ。それでは仕方あるまい」

 海パン男さんはそう言うと、スタスタと素足で走っていきました。ちなみにスピードは俊敏で、膨れ上がった筋肉による影響はなさそうです。

 さて。

 僕はスクールバッグの中を覗き込み、溜息をつきました。

 どうしたもんでしょうね、これ。

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