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喫茶無菌室

 城門さんがアジトなどと仰るので、僕はまた山の奥地にある洞窟か何かかと思ったのですが、竜宮下さんに案内されたのは、学校から歩いて五分どの場所にある喫茶店でした。

『喫茶無菌室』と彫られた大きな木の看板、それに店先には小さな黒板が置かれ『本日のお勧めメニュー のぼりちゃんカレー』と白いチョークで書かれています。

 幟ちゃんカレーとな? 

 幟ちゃん、どこかで聞いた名前ですね。

 店に入ると、小学生女子的元気ハツラツな声で迎えられました。

「っらしゃーい!」

 石踊幟こくようのぼりさんでした。

 お忘れの方のために解説を加えますが、入学式の日に天井から突如降ってきて僕を捕獲したハムスターみたいな娘さんです。

「ありゃりゃー、ふかみんにヒモモン」

 ちなみに、ふかみんとは竜宮下さんのことで、ヒモモンというモモンガの名前みたいなのは悲しいことに僕のことです。

「石踊さん、なぜカウンターの内側にいるのかしら。そこは神聖な場所よ。即刻退去を命じるわ」

「ほれほれ、これを見なされ。メイド服ですぜい」

 たしかに石踊さんはメイド服を着用しています。カチューシャと白いニーハイも装備し、中身はともかく見かけの上ではメイドのように見えます。

「バイトですか?」

 僕は訊きました。

「そそ。ねっ、マスター」

 マスターと呼ばれた初老の男性は、コーヒーカップを磨きながら苦笑しました。

「ああ、そうなんだよ。募集の張り紙張って一分後にこの子が来てね、勢いで採用したというかさせられたというか」

「マスター、悪いことは言わないわ。今すぐ石踊さんをクビにしてわたしを雇うべきです。わたしにかかれば、この『喫茶無菌室』は立派なメイド喫茶になります」

 竜宮下さんは胸を張って言いました。

「駄目だよふかみんっ。ここはアタシのお店なんだからねっ!」

「いや、私の店だよ」

 マスターは言いました。「それと、ここはメイド喫茶じゃないんだけどねぇ」



 僕と竜宮下さんは二人がけのテーブル席に落ち着き、コーヒーをちびちびと啜っております。

 ここは小さなお店ですが、テーブルを始め全体的に木を基調とした作りで、それに店内に配された巨大なスピーカーから流れる小粋なジャズは、なんとも落ち着きますね。

 これで厨房から漂ってくる奇妙な匂いが無ければ完璧なのですが。ちなみにその匂いの正体は、石踊さんが調理中の『幟ちゃんカレー』なるもので、マスターに言わせると「規格外の味だよ」とのことです。

「ヒモくん、面白い話を要求するわ」

 竜宮下さんは唐突にそう切り出しました。

「え、それは明日までなのでは?」

「明日は部長会で部活に出ている時間なんてないの」

 竜宮下さんはスクールバッグからメモ帳とペンを取り出しました。どうやらネタ帳のようです。

「別に面白い話でなくても構わないわ。相手をコナゴナしてやりたいと思ったことや昨日会ったドメスティック星人(♀)の話、新婚初夜の失敗談なんかでも結構よ」

 相手をコナゴナにしてやりたいなんて思ったことはありませんし(そもそもコナゴナにできません)、ドメスティック星人なんていう暴力的地球外生命体との接触もなかったですし、結婚初夜以前に僕は結婚してません。

 ふむー、困りましたね。

「さあ早く。わたしの理性のあるうちに」

 竜宮下さんがお得意の氷の眼差しをぶつけてきました。

 これはいけません。怒りをきっかけにして竜宮下さんの黒髪が金色になっちゃいます。

 僕は何かネタはねえかとあれこれと反芻してみますが、やはり際立って印象に残っている出来事というとアレしかありません。

 ――竜宮下さんになら、話してもいいかもしれません。

 僕は不思議とそう思えました。

 竜宮下さんは強いからです。話を聞いて引いてしまったりしないと思います。

 でも、なんでしょう。

 それ以外の何かも話す理由になっているような気がします。でも僕にはそれが何なのかわかりません。

 そして僕はアレを話し始めました。

 竜宮下さんは僕が話す間、メモ帳には何も書かず、静かに頷いているだけでした。

 ちらっとカウンターを窺うと、マスターが常連さんらしきお爺さんと何かお喋りをし、奥の厨房からは石踊さんが調理中のカレーが不穏な匂いを垂れ流し続けています。

「――ということがありまして」

 話し終わりました。

 竜宮下さんは目を瞑り、しばらく黙ったままでした。

 ありゃ、引いてしまったのでしょうか。

「ふーん、そうなの。ユウキくん、ね」

 そうでもなかったみたいです。むしろガッカリしたような表情です。

「でもその話はあまりネタとしては使えないわ」

「ほえ?」

「わたしは飛び降り経験者よ。骨折するために、水泳部を辞めるために、ね」

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