プロローグ
中学三年の夏休み最後の日、僕とユウキくんは真夜中の学校に忍び込み、屋上に上がりました。
てっきり警備員さんが巡回しているのかと思って警戒していた僕たちだったのですが、そんなことはありませんでした。田舎の学校だからなのでしょうか。木造三建てのボロ校舎ですし泥棒さんに入られたところで、失うものなど何もないってことなのかもしれません。
失うものなど何もない。
僕と同じです。
ユウキくんと僕は屋上の隅にある給水塔の上に体育座りをして、ぼんやりと目の前に広がる圧倒的な闇夜を眺めていました。
「藤紐くん、向こうに何があると思いますか?」
「向こう、ですか」
僕はユウキくんが指差す「向こう」に目をやりますが、お月様が暢気に地球を見下ろしているだけで、あとはとくに何もありません。お山も夜の暗闇にかくれんぼ中です。
「何もないですね」
「そうですか、僕には何かがあるように思えてならないのですが」
「何か、とは?」
「それがわからないのです」
わからないと言っている割には、ユウキくんの目は確信に満ちた輝きを放っていました。
「わからないのに、なぜあるように思うのですか?」
「それは僕に、何もないからじゃないでしょうか」
「それなら僕も一緒です。何もありゃしません」
「そんなことはないです。僕と違って、藤紐くんにはお父さんもお母さんもいるじゃないですか」
「……まあ、そうですけど」
「僕は向こうの世界へ行かなければならないのかもしれません」
「何かが向こうにあるからですか?」
僕は「向こう」を指差しました。
ちべたい空気がさっと僕の人差し指を舐めました。夏とはいえ、ここは山のほうなので夜になると幽霊めいた空気が空を舞います。
「あるような、ないような」
「ふうむ」
「確かめてきます」
「え」
「向こう側へ、行ってきます」
ユウキくんはそう言うと、すくっと立ち上がり、お尻をぱんぱんとはたきました。
「ユウキくんが行くなら、僕も行きます」
「藤紐くんも?」
ユウキくんは少し驚いたふうに目を大きくしました。「向こう側に行くとどうなるか、わかっているのですか?」
「――わかっています」
僕もユウキくんもわかっていました。遠まわしな会話は、「向こう」へ行く準備だったと。「向こう」へ行けば、帰ってこられないことも。
でも、帰らないために、行くのです。
「でも藤紐くん、何も君まで行かなくても――」
「いいえ」
僕はユウキくんの言葉を遮りました。「僕も行きますよ。ユウキくんがいないこの世なんかに、未練はありません。それに、走馬灯も見たいですし」
「そうですか。藤紐くんが一緒なら、僕も安心して向こう側へ行けます」
そして僕たち二人は給水塔から降りて、歩き始めました。屋上の柵へ向けて、一歩、また一歩と近づいていきます。近づいているのに、お月様は相変わらず何が楽しいのか僕たちをお気楽に見下ろしています。どことなくへらへら笑っているように思えてなりません。いい気なもんです。
柵に近づくにつれて、風が正面から吹いて進みにくくなってきました。足もブロック塀がくくりつけてあるのかと思うほどに重いです。僕の一歩は、いまやユウキくんの半歩です。
「藤紐くん、大丈夫ですか?」
「え、ええ」
「僕独りでも、大丈夫ですよ。藤紐くんには帰る場所があるのですから」
「いえ、僕も行きます」
「そうですか。それじゃあ、いきましょう」
「はい」
僕は頷きました。
体がブルルッと震え、なんだかおトイレに行きたくなってきたような気がしますが、死ぬのですから関係ありません。




