余話
太ったマグロを積み込んだ船が、港へ向かっていた。金属製のその漁船の上で、漁師達が海からの恵みを喜んでいる。釣果は上々であり、生活を支えるのに十分な利益となるだろう。
その船首で年老いた漁師が一人、じっと海を眺めていた。昔と変わらぬ潮風に、波打つ水面。時折海鳥が声を上げながら頭上を渡っていく。母港がもうすぐ見えてくる、どこまでも平和な海の光景。あの頃と違い戦など無いが、その代わりあの頃の大人たちもいない。
特設監視艇として徴用された漁船約四百隻のうち、生き残ったのは百隻程度だった。あの激闘の翌年、昭和二十年四月の哨戒にて、『網地丸』もついに港へ帰らなかったのだ。
「……じいちゃん。桔平じいちゃん!」
小さな少女が老人の袖を引っ張った。活発で愛らしく、どこか人間離れした美しさを持つ、小さな船魂だ。
「大漁旗あげよう! 大漁旗!」
「……だな」
少女の頭を撫で、老人は立ち上がった。
白くなった髪、皺のよった顔……生き残って大人になり、いつの間にかあの頃の父たちよりも年寄りになっている。自分は彼らのような大人になれたのか……自問しても答えは返ってこない。だが老人の記憶の中で、大人達は今でも戦い続けていた。残り少ない余生も彼らの後ろ姿を追いながら、魚を捕って生きていこうと決めている。子や孫が自分の背中を追ってくれるように。
船魂の少女は無邪気にマストの上に登り、老人以外誰にも見えないのをいいことに片足立ちを始めた。その眩しい姿に顔をほころばせ、老人は再び海へ目をやった。
船に色とりどりの旗が揚がり、潮風を受けて誇らしくはためく。『大漁』の二文字を掲げながら、漁船は港へ凱旋するのだ。
「網地、親父、黒丸兵曹……見えますか」
——幕——
最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
ようやく更新できました(汗)
予定ではもっと早く書き終わるはずだったのに……。
戦時中、多くの民間船が輸送や哨戒に徴用されました。
ヨーロッパの方ではイタリア海軍の潜水艦『ガリレオ・ガリレイ』に勝利した漁船が有名ですが、あれは爆雷以外にちゃんとソナーなども備えた代用駆潜艇と呼べる代物で、しかも『ガリレオ・ガリレイ』は駆逐艦との戦闘で満身創痍の状態でした。
(余談ですが『ガリレオ・ガリレイ』は艦内に有毒ガスが発生する事態になっても浮上して砲撃戦を挑み、漁船の砲撃で艦橋を破壊されるまで粘っています。これがインターネットなどで正確に語られることは少なく、「漁船に沈められた潜水艦」という部分だけが誇張され、ヘタリア軍伝説の一端として扱われていることは残念に思います)
それに対して木造の船に苦し紛れの武装を施し、哨戒に使わざるをえなかった日本。
しかしそんな中で必死に戦った黒潮部隊のことはあまり語られません。
携わった方々のほとんどが戦死したからです。
艦魂作家として、取り扱ってみたいテーマだと思い書きました。
ちなみに記録によっては『アーチャーフィッシュ』は『網地丸』に対してアウトレンジ戦法をとったため反撃を喰らわず、『網地丸』が大破してのみとなっているようです。
しかし今回は特設監視艇が主役の物語ですので、『網地丸』の乗組員が決死の反撃を行い、後に『信濃』を撃沈した殊勲艦『アーチャーフィッシュ』を撃退したという説に則りました。
無論情報が少ないので想像で書いている部分もありますが、もし「ここは実際にはこんな感じだった」ということをご存知の方がいらっしゃれば是非ご一報ください。
もちろんその他ご感想・ご批評も大歓迎です。
最後に『網地丸』の故郷である宮城県、及びその漁業のいち早い復興と、行政の適切な措置を願い締めくくらせていただきます。