ついている女
短編企画、「しずくとつむぐ」(http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/46398/blogkey/194314/)のために書いた作品です。
主催者様、この度はお誘いありがとうございます。
「高校二年生のある梅雨の日。放課後、図書室の日本文学の棚前に呼び出された僕は名前も知らない女の子から告白された」
というお題です。
鬱陶しい梅雨空が続いていた。こう何日も雨が降り続くと、このまま晴れの日など二度と来ないんじゃないかと思えてくる。そうなったら、世界はどうなるんだろうか。
図書室の窓に滴るしずくを眺めながら、僕はそんなことを考えていた。
普段来ない図書室にいるのには、理由がある。
――昨日のことだ。
図書室には、職員室に呼び出された友人を待つついでに何となく立ち寄っただけだった。
湿度のせいだろうか。図書室はやけにかび臭いように感じた。深く息を吸い込むと、独特の臭いが鼻の奥のほうをツンと刺激する。……嫌な臭いだ。
SFや青春をテーマとした本が並べられたところには、図書委員によって作られたのであろう様々な見出しが付けられていた。
そういった割りあい賑やかな棚とは違い、やけに寂しげな本棚があった。見るとその棚の上の方には『日本文学』と書かれた紙が貼り付けられている。なるほど、僕ら高校生の魅力をそそるようなものではない。失礼ではあるが寂れて当然というべきかもしれないなと僕は思った。
本棚にはいつから置いてあるのか分からない、古びた本がずらりと並んでいる。見るからに難しそうな本ばかりだ。ここ一帯は、かび臭さが他の場所よりも一層強い気がする。新調されることなく、セロハンテープがビタビタと貼られて補修されている本が幾つもある。
何となく不思議な雰囲気に包まれた空間だ。そのせいだろうか、僕には、綺麗に横一列に並べられた本たちが誰かに読まれることをひたすら待っているように見えた。僕は表紙やタイトルをろくに見ないまま、一冊の本を手に取った。一種の同情によって。
――パサッ、と乾いた音がした。
挟み込まれていた図書カードが抜け落ちたのかと思い、僕は足元に落ちたそれを拾い上げようとした。けれど、手を伸ばそうとしたその瞬間、それは図書カードではないことに僕は気付いた。
……文字が見えた。と言うより、文章が見えた。こう書かれた短い文章が。
「明日の放課後、この場所で待っています」
一種の手紙だった。名前のようなものが一切書かれていなかったから、誰が誰に宛てた手紙かも分からない。正直なところ、少し不気味だと思った。
――にも関わらず、今日、僕は昨日と同じように図書室にいる。何かに期待しているわけではないと言うと嘘になる。昨日たまたま開いた本に手紙が入っていた。そのことに、少なからず運命のようなものを感じたというのが事実だ。
窓際の椅子に座って外を眺めながらも、僕の心はそわそわと落ち着かない。図書室に入って、かれこれ三十分ほど経っただろうか。
いい加減、馬鹿馬鹿しくなってきた。僕はこんなところで、一体どこの誰を待っているというのだろう。荷物を手に立ち上がり、出入り口に向かおうとした。ちょうどその時。
「こっち」
か細い女の子の声が聞こえた。その声を聞くだけで愛らしい女の子の姿が安易に想像することができる。その声は背後、斜め後ろ辺りから聞こえてきた。そこには、昨日手紙を見つけた日本文学の棚がある。
僕の心臓は飛び出さんばかりに脈打っていた。まさか本当に誰かが待っていたなんて。緊張の余り、頭がよく回らない。
震え出しそうな膝を何とか動かし、回れ右をして本棚の方に向かう。
本棚の方へと一歩踏み出すにつれ、僕の鼓動は加速していく。一体、そこにはどんな美少女がいるんだろう。彼女は本当に僕を待っていたんだろうか。彼女は僕のことが好きなんだろうか。そんな野蛮なことしか考えられない。
――けれど、そんな考えは一瞬で僕の頭の中から吹き飛んだ。――
声の主であろう女の子を見た瞬間、僕の心臓はドクン、と激しく跳ね上がった。それと同時に、全身に悪寒が走り、僕はぶわっと一斉に鳥肌が立つのを感じた。
僕は自分の目を疑った。
日本文学の棚の前には、制服ではなく、また私服でもない、現代の高校生らしからぬ格好をした女の子がいた。彼女は古びた着物に身を包み、にっこりと微笑んでいた。
「やっとお会いできましたね」
高い、それでいて柔らかな響きを持った不思議な声色。彼女は僕に、僕に、そう言った。けれど、僕は彼女のことを全く知らない。見たことも、聞いたこともない。
僕は驚きの余りまともに声を発することが出来ない。一方、僕の眼前にいる同い年くらいの女の子は満面の笑みを浮かべて僕と対峙している。
「あなたをお慕い申しておりました。ずっとお会いしたかった。これでやっと、やっと、孤独の寂しさから解放される……」
僕は、彼女に抱き締められた。払いのけることなんて、出来なかった。距離が近かったし、何より頭が真っ白になっていて身体を動かすことが出来なかったのだ。
僕の肩に載せられた彼女の手は、驚くほど軽かった。というより、ほとんど質量がない。そう、まるで紙っぺらが載っているみたいに。そして僕の鼻をつく彼女の香りは、図書室のかび臭さを凝縮したみたいな嫌な臭いだった。
「さぁ、一緒に参りましょう?」
僕の鼻先で、僕を見つめながら彼女は囁いた。
何処かでパタンと本を閉じる音がした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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