不貞を働いた婚約者を拳でグーで分からせてみた
セシリア・アルヴェーンには、十年以上の付き合いになる婚約者がいる。ヴァルター伯爵家の嫡男、レオン。幼い頃から家同士の交流があり、十二歳の時に正式な婚約者となってからも、二人の関係は大きく変わらなかった。互いに遠慮が薄く、気に入らないことがあれば普通に文句を言うし、喧嘩をした翌日には何事もなかったように菓子を分け合うこともある。恋愛小説に出てくるような甘ったるい関係ではなかったものの、セシリアはそんな距離感を嫌いではなかったし、あと半年ほどで予定されている結婚についても特に迷いはなかった。ただし、レオンには昔から一つだけ困ったところがある。酒癖があまり良くないのである。酔えば暴れたり、人に絡んで喧嘩を始めたりするわけではないのだが、妙に気が大きくなり、普段なら断るような悪ふざけにも乗ってしまう。本人にも多少の自覚はあるため、普段は飲みすぎないよう気をつけているものの、久しぶりに友人たちが大勢集まれば、その注意も少し緩んでしまうらしい。
その日の王宮の夜会でも、レオンは学生時代から付き合いのある友人たちに囲まれ、楽しそうに酒を飲んでいた。セシリアも家の付き合いで何人かに挨拶をしなければならなかったため、会場へ入ってからはほとんど別行動だったが、途中で一度だけ彼のところへ顔を出した。
「飲みすぎないでよ。前みたいに帰りの馬車でずっと歌われるの、私もう嫌だからね」
「今日は大丈夫だって。まだそんなに飲んでないし、あれはさすがに俺も反省してる」
「酔ってる人は大体そう言うのよ。あなた、自分では平気だと思ってる時が一番危ないんだから、ちゃんと加減してね」
十年以上見てきた人間からの忠告に、レオンは「信用ないなあ」と苦笑しながらも素直に頷いた。セシリアもその時点では、本気で心配していたわけではない。多少酔ったところで、声が大きくなったり、友人たちのくだらない冗談に乗ったりする程度である。翌朝になれば本人も少し恥ずかしそうにしているし、これまで決定的な問題を起こしたこともなかったため、その夜もせいぜい帰り道で余計な歌を聞かされるくらいだろうと思っていた。
ところが夜も深くなり、そろそろ帰ろうと考え始めた頃になっても、レオンの姿が見当たらない。先ほどまで一緒にいた友人たちの何人かも消えていたため、どこか別の場所へ移ったのだろうと考え、セシリアは会場を軽く探して回った。それでも見つからず、庭園へ続く回廊まで足を運んだところで、少し離れた場所から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。そこにはレオンと数人の若い貴族、それから同年代と思われる令嬢が二人ほどおり、どうやら会場の喧騒から離れた場所でまだ酒を飲んでいたらしい。遠目から見てもレオンはかなり上機嫌で、友人の肩を叩きながら笑っている。
だから飲みすぎるなと言ったのに、と眉を寄せながら近づこうとしたところで、友人の一人が何かを言った。距離があるため内容までは聞き取れなかったものの、それをきっかけに周囲が一斉に笑い、近くにいた令嬢まで面白そうにレオンを見る。彼は最初こそ「いやいや」とでも言いたげに手を振っていたが、さらに囃し立てられると、酔った顔で困ったように笑った。その時点で嫌な予感はしたが、セシリアが声をかけるより先に、レオンは隣に立っていた令嬢の肩へ軽く手を置き、そのままほんの一瞬だけ唇を重ねた。
直後、周囲から大きな歓声が上がった。セシリアはその場で足を止めた。長い口づけではないし、抱き合ったわけでもなければ、恋人同士のような甘い雰囲気があったわけでもない。どう見ても酒に酔った者たちの悪ノリであり、相手の令嬢も恋愛感情から応じたというより、場の勢いに乗っただけのようだった。それでも、婚約者以外の女性と口づけをした事実が消えるわけではない。数秒遅れてレオン自身も何をしてしまったのか理解したらしく、さっきまで浮かべていた笑顔が消え、顔から一気に血の気が引いた。友人たちもさすがにまずかったと気づいたのか、笑い声が少しずつ小さくなり、何とも言えない空気が漂い始める。
そこで出ていってもよかった。むしろ普通ならそうするべきだったのかもしれない。しかしセシリアは、今ここで姿を見せれば、レオンだけでなく酔った友人たちや相手の令嬢まで巻き込んで面倒な騒ぎになるだろうと考えた。それに、彼が自分のしたことをこの後どう扱うのかも見てみたかった。酒に酔って馬鹿なことをした事実はもう変えられない。ならば、その後どう向き合うのかくらいは自分で考えてもらおう。そう決めると、セシリアは二人に気づかれないまま静かに踵を返し、侍女を連れて先に侯爵家へ戻った。
翌朝になっても、当然ながら腹は立っていた。ただ、長年レオンを見てきたセシリアには、あれが誰かを好きになった末の浮気ではなく、酒に酔って悪ノリした結果であることも分かっていた。一度きりの馬鹿な失敗で十年以上の関係を終わらせるのか、それとも本人がきちんと反省して謝るなら考え直すのか。すぐに答えを出す気にはなれなかったため、とりあえず一つだけ決めた。レオンが自分から言うのを待ってみよう、と。
昼過ぎになると、本人は本当に侯爵家へやって来た。二日酔いなのか顔色は少し悪く、普段より元気もない。それでも居間へ入ってくると、何事もなかったように笑おうとしていた。
「昨日、先に帰ったんだって? 悪かったな。思ったより飲みすぎたみたいでさ」
「みたいじゃなくて、完全に飲みすぎてたでしょう。あれだけ言ったのに」
セシリアが呆れたように返すと、レオンは気まずそうに頭を掻いた。昨夜のことを忘れてはいないらしい。その仕草を見ながら、ここから自分で話し始めるのだろうと待ったが、レオンは紅茶へ手を伸ばしたまま、どうでもいい話ばかりを続ける。帰りの馬車は大丈夫だったか、夜会では誰と話したのか、今度の週末はどうするのか。妙にこちらの顔色を窺っているわりに、肝心なことだけはいつまで経っても口にしない。
「さっきから何度もこっちを見てるけど、何かあるの?」
「いや……怒ってるかなと思って。ほら、先に帰らせたこと。帰り際に一緒に行くって言ってただろ」
「それだけ?」
平然と聞き返すと、レオンは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに視線を逸らした。
「それだけって……他に何かある?」
「ないならいいわ」
長い付き合いでなければ見逃したかもしれないが、嘘をついたり何かを隠したりする時、レオンは決まって少し早口になり、視線が落ち着かなくなる。つまり昨夜のことはきちんと覚えているし、後ろめたいとも思っている。それでも昨日の今日では話しづらいのかもしれない。どう伝えるべきか整理する時間くらいは与えてもいいだろうと考え、その日はそれ以上追及しなかった。
ところが、その翌日になっても謝罪はなかった。その代わり、セシリアの好きな淡い色の花をまとめた立派な花束が届き、さらに数日後には焼き菓子、その次に会った時には以前探していた本まで持ってきた。
「これ、前に欲しいって言ってたよな。店で見つけたから買ってきた」
「へえ。よく覚えてたわね。前に同じ本の話をした時は、『難しそうだから俺は読まない』で終わったと思うけど」
「俺が読むわけじゃないだろ。お前が欲しいならいいじゃん」
そう言って本を差し出すレオンを、セシリアは少し長めに見つめた。本人は何でもない顔を作ろうとしているが、やはり落ち着かない。
「最近、随分と気が利くようになったわね。花も菓子も本も、急にどうしたの?」
「悪いか?」
「悪くはないわよ。むしろ昔よりずっと良い婚約者になってると思う。ただ、急すぎるから少し不思議なだけよ」
レオンは「人は成長するものなんだよ」と苦しい言い訳をして笑ったが、変わったのは贈り物だけではなかった。待ち合わせには時間より早く来るようになり、セシリアが話している時も以前よりきちんと耳を傾ける。夜会へ出ても酒の量は明らかに減り、友人からグラスを勧められても自分から断るようになった。面白そうな悪ふざけが始まれば真っ先に乗っていたのに、それもなくなった。何度注意しても直らなかったところが、一晩を境にまとめて改善されているのだから、理由など考えるまでもない。本人なりに、かなり反省しているのだろう。
それ自体は悪くなかった。むしろ、あんなことをして何とも思っていないよりは遥かにましである。ただ、反省しているのなら、なぜ自分の口で言わないのか。それだけがセシリアには分からなかった。二週間、三週間と時間が過ぎてもレオンはあの夜について何も話さず、それどころか少しずつ今の生活に慣れたのか、以前よりまともな婚約者になった自分に妙な自信まで持ち始めた。
「最近の俺、結構ちゃんとしてると思わない?」
「そうね。驚くくらいちゃんとしてるわ。酒も控えるようになったし、時間も守るし、人の話も前より聞くようになったし」
「だろ? 俺もやればできるんだよ」
「そうみたいね。何か大きなきっかけでもあったのかしら」
わざとらしく尋ねると、レオンの笑顔が一瞬だけ固まった。それでも「人は突然変わることもある」と誤魔化すので、セシリアは呆れながらもそれ以上突っ込まなかった。皮肉なことに、彼が変わったこと自体は嬉しかったからである。酒を控え、悪ノリに付き合わなくなり、自分との約束もきちんと守る。十年以上注意してきても大して改善しなかったのに、一度大きな失敗をしただけでここまで変わるものなのかと思うと複雑ではあったが、悪い変化ではない。
一度の馬鹿な失敗なら、許す余地はあるかもしれない。セシリアも少しずつそう考えるようになっていた。少なくとも、謝罪を聞く前から関係を終わらせるつもりはもうなかった。問題は、その肝心の謝罪がいつまで経っても始まらないことだった。
そんな中、両家では結婚準備が本格的に進み始めた。もともと半年後を目安としていた結婚式について具体的な日取りが検討され、会場や招待客、衣装についても話が進む。当然レオンもその場に加わっていたが、結婚という言葉が出るたびに僅かに表情が硬くなるようになった。ある日の帰り道には、とうとう自分から「セシリア、少し話したいことがある」と切り出したので、ようやく来たかと待ってみれば、しばらく迷った末に「やっぱり今じゃなくていい」と引っ込めてしまう。
「最近そればっかりね。言いたいことがあるなら、ちゃんと言えばいいでしょう」
「そのうち言うって」
「そのうち、ね。便利な言葉だこと」
呆れながらも、その場では追及しなかった。自分でも随分と気が長いと思う。それでも、どうせなら最後まで自分の口で言わせたかった。
決定的だったのは、婚礼衣装の仮縫いの日だった。母が懇意にしている仕立屋へ相談することになり、セシリアはいくつかの衣装を合わせた。なぜかレオンまで付き添っており、白を基調とした衣装を身につけて部屋へ戻ると、普段ならすぐに何か言う男が珍しく黙り込んだ。
「何よ。変?」
「いや、その逆。綺麗だと思った。本当に」
あまりにも真面目に言うので、セシリアも少しだけ言葉に詰まり、「……ありがとう」と返した。レオンはそんな反応を見て少し照れたように笑う。婚約者が婚礼衣装を着ているのだから、思うことくらいあるだろうと彼は言ったが、その顔を見たセシリアは素直に嬉しいと思ってしまった。そして、ほとんど同じ勢いで腹も立った。この男は自分と結婚するつもりでいる。白い衣装を見て、こんな顔までしている。それなのに、あの夜のことだけは今も黙ったままだ。
仮縫いを終え、侯爵家を出ようとするレオンを玄関先で呼び止めた。
「レオン。私に何か、言っておかなければならないことはない?」
その瞬間、彼の顔が分かりやすく強張った。何を聞かれているのか分かっている反応だったため、セシリアはそれ以上説明せずに待った。レオンは一度口を開きかけ、視線を逸らし、しばらく迷った末に困ったように笑う。
「……今日の衣装、本当に似合ってた。結婚式、楽しみにしてる」
「それだけ?」
「え?」
「何でもないわ。気をつけて帰って」
レオンは不思議そうな顔をしながら帰っていった。セシリアは玄関が閉まるまで見送り、その後で深く息を吐いた。ここまで来てなお言わないのなら、もう十分である。
翌日、レオンを呼び出したのは、アルヴェーン侯爵家の庭の一角だった。二人が幼い頃から何度も遊んだ場所で、周囲に人もいない。予定より少し早く現れたレオンは、昨日のやり取りが引っかかっているのか、最初からどこか警戒するような顔をしていた。
「昨日から妙に怖いんだけど、何の話?」
「怖くなる心当たりがあるなら、それについてよ。一か月以上待ったけど、もう待つのはやめたの」
その言葉だけで、レオンの表情が固まった。
「夜会の日、見てたの。あなたが酔っ払って、友人たちに煽られて、近くにいた令嬢と口づけしたところ。翌日あなたが何も言わなかった時も、急に花を贈ってきた時も、酒を控え始めた時も全部知ってた。それでも、自分から話すのを待ってたのよ」
レオンはしばらく何も言えず、やがて片手で顔を覆った。
「……最初から知ってたのか。最悪だ」
「ええ、なかなかだったわね」
「いや、俺が。何で何も言わなかったんだよ」
「それ、本気で私に聞くの?」
セシリアが眉を上げると、レオン自身もまずいと思ったらしく、すぐに首を振った。
「違う。今のは違う。俺が言うべきだった」
「そうね。ようやくそこまで来たわね」
レオンは深く息を吐き、今度こそまっすぐセシリアを見た。
「本当にごめん。あの日は完全に飲みすぎてたし、周りに煽られて、馬鹿みたいに調子に乗った。相手の令嬢ともそれ以来話してないし、もう二度とあんな飲み方もしない。酒のせいにするつもりもないし、俺が断らなかったのが悪い。本当に悪かった」
ようやく聞けた謝罪だった。少なくとも、酒や友人だけのせいにすることもなく、自分が悪かったと認めている。そこまでなら、セシリアも少しは考えられると思った。
問題は、その後だった。
「でも、黙ってたのは……お前を傷つけたくなかったからなんだ。俺もあの後かなり反省したし、酒も控えたし、もう絶対しないって決めた。だったら、わざわざ言って傷つけるより、俺がちゃんとすればそれでいいんじゃないかって思ってた」
セシリアはしばらく黙って彼を見つめた。本人は真剣である。だからこそ、余計に厄介だった。
「それ、本気で私のためだと思ってたの?」
「少なくとも、そのつもりだった」
「じゃあ確認するけど、あなたが馬鹿なことをして、あなたが反省して、あなたが二度としないと決めて、その上で私には知らせない方がいいっていうのも、全部あなたが決めたのよね。私とのことなのに、私がどう思うかは一回も聞かずに」
レオンはそこでようやく黙り込んだ。もしセシリアが何も見ていなかったら、一生黙っていたのかと尋ねると、返事はない。やがて小さく「多分」と答えたので、セシリアはもう一度深く息を吐いた。十年以上一緒にいて、何度酒を飲みすぎるなと言っても聞かず、ついに悪ノリで馬鹿なことをし、その後は本人なりに必死で反省したくせに、一番大事なところだけ妙にずれている。婚約者というより、手のかかる子どもを見ているような気分になってきた。
セシリアはゆっくり右手を握った。
「……何で拳作ってるの?」
「あなたを見てたら、必要な気がしてきたのよ」
「何に必要なんだよ。待って、今ちゃんと謝っただろ」
「一か月以上黙ってた人が言うことじゃないわ。レオン、少し頭を下げなさい」
「嫌な予感しかしないんだけど」
「いいから」
昔から強めに言われると反射的に従ってしまうところがあり、レオンは警戒しながらも少しだけ頭を下げた。セシリアはその頭頂部を見て、もう一度だけ本当にこの男は仕方がないと思うと、握った拳をゴンッと落とした。
「いっ……!」
まるで、悪いことをした子どもを叱る母親のように、それなりにしっかりとした一発である。思わず頭を押さえたレオンを見て、セシリアは腰に手を当てた。
「痛いんだけど……」
「当たり前でしょう。痛くないようにしたら意味ないじゃない。昔から何度言ったと思ってるの。飲みすぎると調子に乗るから気をつけなさい、友人に煽られても何でも乗るんじゃありません、少しは自分で考えなさいって。全部聞き流して、最後にこれでしょう?」
「……はい」
「返事だけは昔からいいのよね。それに、浮気したことだけじゃないわ。自分が反省したからって、それで私まで勝手に納得したことにしないで。私が許すか怒るか、結婚を続けるかどうかは、私が決めることでしょう?」
「……その通りです」
「何で敬語なのよ」
そういうところだけは妙に察しがいい。セシリアは呆れながらも、思わず少し笑ってしまった。レオンも恐る恐る顔を上げたが、笑っているから許されたとは思わなかったらしく、すぐに表情を引き締める。
「……婚約は終わり?」
そこで初めて、声が少し弱くなった。セシリアはすぐには答えなかった。腹は立っているし、信用も多少は傷ついた。ただ、この一か月以上、彼が反省し、本気で酒を控え、態度を改めていたことも知っている。それを全部なかったことにするつもりもなかった。
「婚約は今すぐ解消しない。ただし、結婚は延期するわ。半年後に何事もなかったみたいに結婚する気にはなれないもの。あなたが本当に変わったのか、私もちゃんと考える。だから一度、予定は白紙に戻す。それから、お酒も自分で加減しなさい。私が毎回横で止めるわけにはいかないんだから」
「分かった。もう友人に煽られても乗りません」
「当たり前よ!全くもう!」
思わず声を上げると、レオンがびくりと肩を揺らした。その様子を見ていると、本当に母親のような気分になってくる。どうして自分は婚約者にこんな基本的なことを教えているのだろう、と頭が痛くなった。
その日のうちに事情は両家へ伝えられ、予定されていた結婚は正式に延期された。ヴァルター伯爵は息子のしたことを知るなり激怒し、酒に酔った悪ノリで口づけをしたことと、それを一か月以上黙っていたことの両方について散々叱ったらしい。数日後に顔を合わせたレオンは少しげっそりしており、「父上に三時間くらい説教された」とぼやいた。
「良かったじゃない。私の拳骨一発より効いたでしょう」
「比較対象がおかしいよ。というか、十分怖かったからな」
「反省してる?」
「してる。ものすごくしてる。だからその手を見ないでくれ」
別に拳など握っていなかったのに、レオンは念のため頭を押さえた。セシリアは呆れながらも、それ以上追及しなかった。
それから半年間、レオンは目に見えて変わった。夜会では自分で飲む量を決め、それ以上勧められても断るようになった。友人たちの悪ふざけにも以前ほど簡単には乗らず、何か失敗した時には隠さず自分から話す。むしろ最初の頃は正直になりすぎて、仕事で書類を一枚なくしかけたことや、約束していた品を買い忘れそうになったことまで逐一報告するようになった。
「昨日、父上から預かった書類を一枚見失ったんだけど、十分くらい探したら机の下に落ちてた」
「……それ、私に報告する必要ある?」
「隠し事はしない方がいいと思って」
「限度というものがあるのよ。私はあなたの一日の失敗を全部聞くほど暇じゃないし、母親でもないんだから」
「でも、どこまで言えばいいのか難しくない?」
「そこは自分で考えなさい」
真顔で悩み始めるレオンを見て、セシリアは思わず笑った。以前なら、そんなことで笑う余裕もなかったかもしれない。すべてが元通りになったわけではないが、少しずつ積み直されているものがあることも分かっていた。
半年後、二人は改めて結婚について話し合った。今度は両家が先に日取りを決めるのではなく、二人で相談した。レオンが本当に変わったことをセシリア自身も確認できたし、何より、この半年間一度も言い訳をせず、失った信用を取り戻そうとしていたことは認めてもいいと思った。結局、結婚式はさらに半年後に行うことになった。
ある日の午後、二人で侯爵家の庭を歩いていた時、レオンが「そういえば、あれ以来一回も酔ってないな」と少し得意そうに言った。セシリアは、自慢するほどのことではないと呆れながらも、「まあ、昔のあなたからすれば成長ね」とだけ褒めた。
「珍しく素直だな」
「ちゃんと出来たことは褒めるわよ。あなた、褒めないとまた変な方向に行きそうだもの」
「だから母親みたいに言うのやめてくれない?」
「誰のせいよ」
そう返すと、レオンは何も言えなくなった。
長い付き合いがあれば、相手の情けないところも嫌というほど目に入る。時には馬鹿な失敗をすることもあれば、分かったつもりで肝心なことを何一つ分かっていないこともある。そんな時は、まず話す。それでも駄目なら、少し待つ。それでもなお、あと一歩だけどうしても伝わらないのなら、最後に残された手段は案外単純なのかもしれない。




