カイエンの正体
眠りの聖女としての魔力を最大限まで使い切り、気の毒な母子と魔物たちを一気に眠らせることができた私は気を失ってしまったようだ。
ぼんやりと聞こえてくる「ヒーナ!」という呼びかけに応えたいのに、手や足はおろか、瞼さえ動かせなかったから。
ずっしりと重くなった体をわずらわしく思いながら、私は夢を見ていた。
前世で社会人として働いていた頃のことを。
雑貨品を扱う会社の企画部に所属していた私は毎日朝から夜遅くまで働いていた。企画部所属といっても雑用や事務担当で、名ばかりの企画部社員だった。それでもいつか私が企画した商品を世に売り出したいという夢があったから何とか頑張ることができた。
そんなある日、部署問わずで社内コンペが開催されることになり、私は喜んで応募することにした。仕事が終わって帰宅してから深夜に寝る間を惜しんで必死に企画を練る日々。
努力の甲斐あって、私の企画書は見事コンペを勝ち抜き、商品化決定となった。
嬉しくてたまらなかったことをよく覚えている。
ところが私の企画は結局商品化されなかったのだ。理由は付き合いの長い取引先が商品化に難色を示したから。取引先があっての商売だし、仕方ないことだと頭では理解していたけれど本音は悔しくてたまらなかった。
だが一番辛かったのは、私の企画が商品化されなかったのは私自身の管理責任ということにされてしまったことだった。社内で取引先の印象を悪くしないよう我慢してほしいと社長から直々に命じられた。おかげで社内での私の評価はがた落ちで、陰で悪口を言われ続けたあげく、最終的に総務部移動となった。
その頃からだったと思う。私が眠れなくなったのは。
寝ようと布団に潜り込むのに、私への悪口が頭の中に浮かび、どうしても眠れないのだ。うとうとと微睡み始めても、夢の中で私を非難する声が響き、涙がこぼれて眠れない。体も心も疲弊していて、病院を受診しようという考えすら浮かんでこなかった。
不眠とストレスに悩まされ、最後は事故で死んでしまった前世の私。
どうして今こんなことを思い出すんだろう。今更泣いても仕方ないことなのに。
「ヒーナはよく頑張った。だから泣くな。俺がずっとついてるから」
「ヒーナのおかげでみんな眠れている。おまえはすごい奴だ」
「これからは俺がヒーナを全力で守る。だからどうか泣かないでくれ……」
誰かがずっと私に語りかけている。
前世の私が言ってほしかったことばかりだ。私はずっと誰かに認めてほしかったんだと思う。
あなたが大切だから、ずっとそばにいるよって抱きしめてほしかった。
抱きしめてほしい……?
あれれ? ひょっとして今の私、誰かにぎゅっと抱かれている? すごく逞しい体に包まれているのを感じるんですけど……。
リールじゃない。だってリールはもふもふだもの。リンゼは小さな妖精だから、私を抱くなんて当然無理な話。
となると私を抱いている逞しい人は……
「カイエン?」
ゆっくり目を開くと、カイエンの紫水晶のような瞳と視線が重なった。
わぁ、きれいな瞳。藍色の髪に良く似合っているって思う。
「カイエン、きれい……」
うつろな意識でカイエンの整った容姿を見ているせいか、おかしなこと言ってるかもしれない。
「ヒーナ? 大丈夫か?」
カイエンが心配そうな表情で私の様子を見ている。
「うん……だいじょうぶ……」
大丈夫と言いつつも、手足はまだずっしり重く感じられる。
「手と足、だるい……」
「だるい? さすってやろうか?」
「うん……」
カイエンは私の手と足を順番にさすっていく。さすさすと。うん、気持ちいい。
カイエンのさすり効果のおかげで、私の意識は徐々に覚醒していく。
やがて私はしっかり目覚めることができた。そして改めて気づいてしまったのだ。カイエンにしっかり抱きしめられていることを。
「カイエン……なんで私を抱いてるの!」
恥ずかしくなってしまった私は、咄嗟にカイエンを突き飛ばしてしまった。突然の張り手攻撃に、カイエンの体は無様に転がっていく。
「いってぇ……おい、何するんだ」
「だ、だって。カイエンってば私をぎゅって抱いてるんだもん!」
「アンタの体が冷たくて今にも死にそうだったから、温めてやっていたんだろうが! それなのにいきなり突き飛ばすってどういうことだ」
なるほど、そういうことだったのね。
「だったら、そう言ってくれればいいのに」
「言えるわけないだろう。ヒーナは気を失っていたんだから」
それもそうね。ということは……。
カイエンは私を救おうとずっと体を温めていてくれたってこと? いわば命の恩人。その恩人を私は全力で突き飛ばしてしまった……って、私なんて失礼なことをしてしまったの。
「ごめんなさい、カイエン。怪我してない? 本当に悪かったわ」
「わかればいい。とりあえず体は問題ないみたいで良かったな」
「うん、ありがとう」
カイエンが温めてくれたおかげで私は死なずにすんだようだ。
『ヒーナの体を温めるなら我のほうが適任だと思ったのだが、カイエンが俺がやると言い張るものでな。任せることにした』
リールがさらっと暴露してしまったせいで、カイエンの顔がみるみる赤くなっていく。
「俺はあんたに死んでほしくないと思っただけだ! 勘違いするなよ」
何を勘違いするのかよくわからないけれど、カイエンに救われたのは事実みたい。
「本当にありがとう、カイエン。ところで私、どれくらい気を失っていたの?」
「丸三日だ。どれだけ呼びかけても目を開けないから、本当に死んだかと思ったぞ」
うん、少々口が悪いいつものカイエンだ。
「聖女ヒーナ様、お目覚めになられたのですね!」
突然声をかけてきたのは、アイルのお母さんだった。目の下の隈が薄くなっていて、顔色もいい。そしてその脇に立っているのは……
「アイル? ひょっとして歩けるようになったの?」
お母さんの隣で、アイルはにこにこと笑いながら立っている。お母さんと手を繋いでないから、自分の足で立っているってことだ。
「まだ数歩だけですが、支え無しで歩くことができるようになりました。すべては聖女様のおかげです。リール様とリンゼ様がアイルに励ましの言葉をかけてくださったことも大きかったと思います」
安眠できなかったせいで、成長が遅れていたアイル。元気に走り回るまではもう少し時間がかかるだろうけど、もう心配はないように思えた。
そしてアイルのすぐ後ろには、見知らぬ男性が立っていた。
「わたしはアイルの父です。息子と妻が大変お世話になったそうで。ありがとうございます。お礼の品をお渡ししたかったのですが、残念ながら我が家には余裕がなく……」
「気になさらないでください。見返りが欲しくてしたことではないですから」
「いいえ、それではわたしたち家族の気がすみません。せめてもの感謝に、ヒーナ様が暮らす小屋をこの森に建てさせていただけないでしょうか?」
「夫は大工なのです。ぜひ建てさせてください」
「え、でも……」
小屋を建ててくれるのは、とてもありがたい。でも見返りが欲しくてアイルとアイルのお母さんを眠らせてあげたわけじゃないのに。
『ヒーナ、報酬は受け取ったほうがいい。無料で奉仕していたら、ヒーナの体力がもたないぞ』
それはそうかも。無料だと思うと人が殺到するのは前世も今も変わらないだろうし。
「アイルのお父さん、急ぎませんので、この森に小屋を建てていただけませんか?」
「承りました。それで恥ずかしながら、わたしも息子と一緒に眠らせていただけないでしょうか?」
「はい、いいですよ」
こうしてシェルタ村の住人とお互いの得意分野で助け合うことになったのだった。
「ところでヒーナ様の隣におられる方、もしかしてカイエン様ではないですか?」
「あら、カイエンのこと、ご存知なのですか?」
私を守るため隣にいてくれるカイエンの顔が一気に険しくなったことに、この時の私は気づいていなかった。
「はい、以前は王宮の近くで働いておりましたので。カイエン様の勇ましい姿を拝見して、憧れておりました」
王宮の近く? 勇ましい姿に憧れる?
どういう意味だろう。
「待ってください、カイエンって何者ですか?」
「え? ご存知ないのですか? 勇者カイエン様の伝説のような御活躍を」
勇者カイエン? それってまさか……
「カイエン、あなたもしかして、魔王を倒した勇者なの?」
私の問いかけに答えるよりも前に、カイエンは私たちに背を向けていた。




