母子の切なる願い
『あっ、忘れてたわ。カイエンって人のこと。あの人も一応お友だちってことにしておかないとね。あの人が運んできてくれる魔石や魔法花のおかげでもあるんだもの』
カイエンのことを思い出したリンゼは、「一応」ではあるものの、カイエンもお友だち設定にしてくれたようだ。
カイエンは魔の森や他の場所へも行きながら、私の魔力をあげるための魔石や魔法花をずっと探してくれている。魔石や魔法花を発見すると、すぐに魔の森に戻ってきて、私に渡してくれるカイエン。そのおかげで私は魔力を高め、魔物たちを順番に眠らせてあげることができている。
正直言って、すごくありがたい。私の魔力は無限大じゃないから、カイエンの助けがなければ、こうも順調に魔物たちを眠らせてあげることはできなかったと思う。
もっとカイエンに感謝と労いの言葉を伝えたいのに「では俺は行く」とだけ言い残し、風のように去って行ってしまう。ゆっくり話をする時間すらくれないの。まるで一定以上誰かと親しくなりたくないみたいだ。
「カイエンって、いったい何者かしら……」
私がぼそりと呟くと、ごろりと横たわっていたリールが顔をあげた。
『我もずっと気になっていた。気配は人間なのだが、内在している力はかなり強い。普段は抑えている様子だが』
「カイエンって、実はすごい人ってこと?」
『おそらくは。ただ本人が話さないということは、何かしらの事情があって明かさないのかもな』
「誰にでも言いたくない過去のひとつやふたつあるものだものね。いいわ、あれこれ探るようなことをするよりも、カイエン自身が明かしてくれるのを待つことにする」
『我も同意だ』
『あたしもそうする。カイエンもお友だちだもんね』
カイエンのことを思い出しながらなごやかに話していたら、突然リールが身を起こし、ガルルっと唸り声をあげた。リールが何かの気配に気づいたようだ。
『何者だ!』
リールはすばやく私の前に滑りこみ、壁となって私を守ろうとしてくれている。リンゼも私をかばおうとしていれているようで、羽根をめいっぱい広げて私の顔を隠そうと必死だ。
なごやかタイムから一気に緊迫した様子になったけれど、姿を見せたのは意外な人物だった。
「あのぅ……ここは魔の森ですよね? あなた方は魔物ですか?」
おそるおそる聞いてきたのは、目の下に隈がある疲れ切った様子の女性。腕の中には小さな子ども抱いている。たぶん女性の子どもだろう。
悪意や敵意は感じられない。どう見ても普通の人間。着ている服もあちこち擦り切れていて、今にも倒れてしまいそうな悲壮感がある母子だ。
魔の森を恐れて人間は近づかないと聞いているのに、どうして母親と子どもがいるの?
「あなた方が魔物なら、どうかお願いです。わたしたちを食べてくれませんか? もう疲れたんです……愛するこの子と一緒に人生を終わらせたい……」
遠慮がちにお願いしてきた母親の言葉は、とても衝撃的なものだった。
「人生を終わらせる……? 死にたいってこと、ですか……?」
死という言葉を安易に使いたくないけれど、聞くしかなかった。
子どもを抱いた母親はほろりと涙をながし、こくりと無言で頷いた。その様子から衝動的に決意したのではないとわかる。
「差し支えなければ、お聞きしてもよろしいですか?」
泣いている母親を驚かせないよう、そっと問うてみた。母親は顔を少し上げて、「はい」と小さく答えた。
「なぜ人生を終わらせたいのですか? 腕の中にいるのはあなたの愛するお子さんですよね。成長を見届けたいと思わないのですか?」
不躾な質問かもしれない。でも世間話をしている場合じゃないと思ったのだ。それほど母親は思いつめた表情をしている。
「愛するわたしの子……アイルの体が成長しないからです。アイルはずっと寝ていません。母であるわたしも。魔王が残した呪いのせいです。アイルは眠らないから体が大きくならず、三歳を過ぎても歩くことができません。眠れないアイルは毎晩泣きます。わたしは母なのに何もしてやれない……無力な母にできることは、この子と一緒に人生を終わらせることだけ。どうかわたしたちを食べてください……」
話しながら涙があふれた母親は、子どもを抱いたままその場で泣き崩れてしまった。抱かれているアイルは、きょとんとした様子で母親の顔を見ている。
愛する子どもを守りたいのに、どうにもできない母の哀しき慟哭だった。
幼い頃に王宮に連れて行かれて、それからずっと王宮で添い寝聖女をさせられていたから、私は知らなかったのだ。聖女の眠りを得られない庶民の生活が、どんなものであるのかを。
子どもの成長において、ぐっすり眠ることは食事と同じぐらい大切なことだ。眠れない子の体がなかなか大きくならないことは私にだって想像できる。アイルが歩くことができないのも、きっと眠れないせいだ。
眠れなくて毎晩ぐずるアイルも、アイルのお母さんも、どれだけ苦しんだことだろう。本当は愛する子を慈しんで育てていきたいのに……。
眠らせてあげたい。
アイルと、アイルのお母さんを。
心からそう強く思った。魔力が無限大じゃないとか、魔石や魔法花がないと無理とか、そんなことどうでもいい。今やらなくて、何が聖女だろう。
私がこの母子を眠らせてあげるんだ。
決意を込めて立ち上がった私は、泣き続けるお母さんのそばへ歩み寄った。
「よく話してくれましたね。私はヒーナ。眠りの聖女と呼ばれています。あなたとお子さんのアイルを眠らせてさしあげます」
アイルのお母さんが驚いた様子で顔をあげた。涙で顔がぐしゃぐしゃだ。ハンカチで涙をぬぐってあげながら、優しく語りかける。
「なぜ魔の森に眠りの聖女が……? 本当に眠らせてくれるの?」
「魔の森に私がいる理由はまた今度お話しします。それより今は眠りませんか?」
「アイルを眠らせてくれるんですか?」
「はい。アイルもお母様であるあなたも。ぐっすり眠りましょう」
「今ここで、ですか?」
アイルのお母さんが戸惑った様子で周囲を見渡している。
魔の森だもんね。人間が眠るための寝具、布団や枕といったものがあるはずもない。魔物たちはなくても眠れるし、私には特製の寝袋があるけど、アイルとお母さんには何もない。
『ならば我の体を布団替わりにするがよい。見てのとおり、大きな体が我の自慢。そなたら母子をもふもふの毛で包み込んでやろう』
フェンリルのリールが、布団替わりになると自ら申し出てくれたのだ。きっとリールも、哀れな母子を見捨てられなかったのだろう。
「ありがとう、リール。お願いしてもいい?」
『問題ない。我も共に眠るゆえ』
布団や枕、安眠できる場所はいずれ作りたいけれど、今すぐ用意できないからリールの申し出はとてもありがたい。
『あたしは子守歌を歌ってあげる。ぐっすり眠れるよう、祈りを込めて歌わせてもらうわ』
母子が安心して眠れるよう、妖精のリンゼも力を貸してくれると言ってくれた。
「ありがとう、みんな」
『かまわぬ。我にできることをするまで』
「あたしもよ、ヒーナ」
リールがアイルとアイルのお母さんのそばによると、その場で横たわった。
『母子よ。我の体にもたれかかれ。絶対に食べたりしないから心配するな』
「ほ、本当によろしいのですか?」
リールのふわふわの毛先にちょんちょんと触れながら、アイルのお母さんはおずおずと聞いている。まだ戸惑っているのかもしれない。
「フェンリルのリールは聖女を守ってくれる存在ですから安全です。信頼して体を預けてください」
「そうなのですね? では失礼いたします……」
アイルをしっかりと抱いたお母さんは、リールのお腹辺りにそっと寝そべった。
よし、あとは私の出番だ。
「あなた方が安眠できるよう、聖女ヒーナが心を込めて唱えます。『夢眠の魔法陣』」
金色の光の線で魔法陣が描かれ、母子を温かな光で包み込む。これまでよりずっと大きい夢眠の魔法陣は、アイルとアイルのお母さんだけではなく、順番待ちしていた他の魔物まで一緒に光で包みこんでいった。
『仕上げはあたしね。よーく眠れますように』
妖精のリンゼが体を光らせながら、鈴を転がすような清らかな声で歌い始める。子守歌が得意だというリンゼの話は真実だったようで、真っ先に眠ったのはお母さんに抱かれているアイルだった。ふぁっと小さなあくびをした後、アイルはこてんと眠ってしまった。
「アイルが……アイルが眠ってる……ありがとう……」
愛する我が子が眠った姿を見届けたお母さんは、ありがとうと何度も囁きながら、アイルと共に安らかな眠りへと落ちていった。
順番待ちしていた魔物たちも、母子と一緒にすやすや眠っている。
「やった……やったわ。アイルとお母さんを。そして魔物たちもみんな、みんな眠らせてあげられた……」
充実感でいっぱいだ。私の力なんてたいしたことないって思ってたけど、こんな私でもできたんだ。
叫びだしたいぐらいの気持ちだったけれど、視界がぐるぐると回り初めていた。これまでよりずっと大きな夢眠の魔法陣を発動させた反動なのかもしれない。
もてる魔力を使い果たしたせいだろう。目眩で体がふらふらする。
『ヒーナ、しっかりして!』
心配して叫ぶリンゼの声を聞きながら、少しずつ気が遠くなっていく。
ああ、これはもうダメかも……
ゆっくりと崩れていく体を自分で抑える力すら残っておらず、私はその場で倒れていった。魔の森の地面に私の体が叩きつけられる瞬間、誰かが私の体を支え、抱き止めてくれた。
「大丈夫か、ヒーナ。しっかりしろ」
私を救ってくれたのは、カイエンだった。魔石探しから戻ってきてくれたのかな。
「いつもありがとう」と伝えたかったのに、言葉を話す力は私にはもうなかった。




