魔物の正体と契約
「今度はあなたのお名前を聞いてもいいですか?」
黒マントの男は眉をぴくりと動かし、ふんとそっぽを向いてしまった。ようやくまともに話してくれるようになったと思ったのに、何が嫌だったんだろう。名前を言いたくないんだろうか。
「アンタに名乗る名前はない」
「『アンタ』じゃなくて、ヒーナですってば。名前を教えてもらえないなら、あなたのことは、『黒マントさん」って呼びますよ」
「勝手に呼べばいい」
「じゃあ黒マントさん。私はここで魔物の眠りを見守るつもりですが、あなたはどうしますか? この子と一緒に寝ます? なんなら私の結界魔法で眠らせてあげますよ」
彼もまた魔王が遺した呪いのせいで眠れない一人だと思ったのだ。魔物と同じように眠れなくて苦しんでいるなら、黒マントさんも眠らせてあげたいし。
ちょっとした気遣いのつもりだったのだが、黒マントさんは憎いらしいものでも見てしまったかのように、ぎろりと私をにらみつけた。
「余計なお世話だ。俺にかまうな」
私の気遣いを黒マントさんはあっさり拒否したのだ。
余計なお世話って何よ。寝れなくて辛いなら素直になればいいのに。
近くでうろうろされても困るし、寝てくれたほうが私も助かるんですけどね。
黒マントさん、いつの間にか私の向かい側に胡坐をかいて座り込んでいる。素性がよくわからない男と夜通し共に過ごすのはさすがに抵抗がある。
「黒マントさん、この子が目覚めるまで私が様子を見てますから、どこか別のところに行っても大丈夫ですよ」
私に寝させてもらうのが嫌なら、さっさと離れてほしい。
「魔物が目覚めた時のことが少し気になるから、コイツが起きるまでここにいる」
「この子が起きた時に黒マントさんにどうにかして知らせますから、ここにいなくても大丈夫ですよ」
「知らせる必要はない。俺はここにいると言ってる」
強情だな、黒マントさん。こういう人ははっきり言わないとわからないのかも。
「あのですね、私も一応女ですから、名前もわからない男の人と二人で夜通し過ごすのは抵抗あるんですよ」
すると黒マントさんは一瞬目を丸くした後、こくりと頷いた。
「なるほど。では少し離れることにする」
あら、意外と素直。
遠回しに言ってもわかってくれないけれど、はっきり伝えればわかってくれる人みたいね。
ようやく理解してくれた黒マントさんは立ち上がり、少し離れたところにある木のそばまで歩いていった。そこでまた胡坐をかいて座り、距離をおいて魔物が眠る様子を見ている。
この子が目覚めるまで本当に待っているつもりのようだ。よほど気になることでもあるんだろうか。
「さてと。この子が目覚めるまで夢眠の魔法陣をしっかり維持しておかないとね」
魔石のおかげで新しい力を得たとはいえ、初めてかけた魔法陣だ。どこかに綻びが出る可能性もある。しっかり様子を見ておきたい。
魔法陣の中ですやすや眠る魔物は鼻をぴすぴすと心地良く鳴らしている。気持ちよく眠れている証拠だと思う。
それにしてもこの子、なぜ私の寝袋に眠るための魔力が込められていることに気づいたんだろう。貴重な魔石を持っていたことも気になる。魔石があれば、私の魔力をあげられるとわかっていたように思う。
「話ができたらいいんだけどな。この子と」
魔物と話すことができれば、詳しい事情を聞くことができるもの。
私に語りかけるような眼差しだったとはいえ、さすがに人間の言葉は話していなかった。
「魔物と話すなんて、やっぱり難しいのかな……」
できそうもないことを呟きながら、魔物の眠りと魔法陣維持に気を配る。
すやすや眠る魔物のすぐ隣で私が魔法陣の調整をして、少し離れた場所から黒マントさんが見守るという少々不思議な構図で夜が過ぎていく。
ふと夜空を見上げると、木々の隙間から赤い月が今晩も輝いているのが見える。血の色のような赤い月は見ているだけで不気味だ。魔王が残した呪いはそれだけ強力なのだと実感する。
やがてうっすらと空が明るくなってきた。そろそろ夜明けかな。
王宮にいた頃は、夜が明けるとこれで今日の任務もどうにか終わったとホッとする瞬間だったことを思い出す。
「そういえば魔物は夜明けと共に目覚めるものなのかな……って、あれ?」
大きな体の魔物の体が、白く輝き始めている気がする。夜明けの光を浴びているから? だとしてもまっ黒だった体がこうも白くなるものなの?
もう少し近づいてよく見てみようと思い、顔を魔物に近づけた時だった。
『聖女よ』
誰かが私のことを呼んだ。「聖女」と。
もしかして黒マントさん? ちょっと声色が違うような。それにあの人は私のことを「アンタ」って呼んでたから、違う気がする。だとしたら誰が私を「聖女」と呼んだの?
『聖女よ』
また呼ばれた。それもすぐ近くで。ということは……。
声が聞こえてきたほうに顔を向けると、魔物、いや、魔物だった存在が私をじっと見つめている。あれほど大量の瘴気をまとっていたのに、今や瘴気はどこにも感じられない。昇り始めた朝日を浴びて神々しいほどに白く輝いている。充血して真っ赤だった瞳は嘘のように消え失せ、澄んだ湖のような青い目をしている。
「私を呼んだのは、あなた?」
『そうだ、我が呼んだのだ。聖女と』
すぐに返事が返ってきた。
すごい、ちゃんと会話できてる! しかもなんか話し方が高貴な気がする!
この魔物さん、いやもう魔物と言っていいのかもわからないけれど、本来は知能が高い存在なのだろうか?
それにしても白くてもふもふな体毛に、オオカミのようなすっと伸びた鼻筋に立派な牙、大きな体格に神々しい雰囲気ってどこかで見たことあるような……。
えっーと。前世で読んだ小説やアニメの中の中によく出てきたと思う。名前は何だったかな。たしか⋯⋯
その時、背後で静かな声が響いた。
「フェンリル……」
「そう、それよ!」
思い出せそうで思い出せない名前をずばりと言ってくれたことが嬉しくて、思わず大きな声で相槌を打ってしまった。
あれ、でも誰がフェンリルって教えてくれたの?
後ろをふり返ると、黒マントさんさんが呆然とした様子で立ちつくしている。
「黒マントさん、フェンリルを知ってるんですか?」
「知ってる……というか、古い本に絵姿が描かれていた。女神に仕える神獣だと」
なるほど。この世界ではフェンリルはそういう存在になのね。
前世の小説やマンガでフェンリルは人気モンスターで、よく登場していたことをようやく思い出した。私も好きだったなぁ、フェンリル。もふもふで大きな体に思いっきりスリスリしたいって思いながら読んでたっけ。
『そうだ。我はフェンリルと呼ばれている。神々に仕えていた』
まっ黒な魔獣だったフェンリルも、自分のことを話してくれた。
すごい! 目の前にいるのは、本当にフェンリルなんだ。これぞ異世界って気がして嬉しくなってしまう。
でもちょっとおかしい。フェンリルはおぞましい瘴気をまとったまっ黒な魔獣ではなかったような気がするけれど……。
「あの、フェンリルさん。あなたは眠る前まで瘴気たっぷりのまっ黒な魔獣でしたよね? それがなぜ一晩で変わったのですか?」
『聖女が我を魔力で眠らせてくれたからだ。一晩ぐっすり眠れたのは、久しぶりのことだった。そして朝日を浴びたことで瘴気を祓う力を取り戻せたのだ』
「じゃあフェンリルさんも眠れずにずっと苦しんでいたんですか?」
『昨夜そこに立ってる「黒マントさん」と聖女とで話していただろう? 人間以外の存在も魔王の呪いによって眠れなくなったのだ。我は眠れなくなったことで力が弱まり、瘴気を祓うことができなくなってしまった。その結果、おぞましい魔獣に堕ちてしまったというわけだ』
さらさらと説明してくれてるけど、すごく辛かったんじゃないだろうか。誇り高き神獣だったのに、魔獣に堕ちてしまうほどなんだもの。
「フェンリル、俺からも質問させてもらっていいだろうか?」
私の背後に立ってる黒マントさんも、フェンリルと話したいらしい。ひょっとして彼も感動してるんじゃないだろうか。女神に仕える神獣フェンリルと出会えて。そのわりに表情は少しも変わってないけれど。
『質問を聞こう。黒マントさん』
フェンリルが「黒マントさん」を強調してる気がして、ちょっと笑ってしまった。名前を聞いても教えてくれないもの、仕方ないよね?
「この魔の森には多くの魔獣が生息している。ひょっとしてすべて、元神獣なのか?」
黒マントさんの発言に驚いたのは、むしろ私のほうだった。その可能性は少しも考えてなかったから。
人間が誰も近づかない魔の森は、人を喰う魔獣の住処というのは噂でしかなかったのだろうか?
『すべてかどうかは我も把握できていない。だが我と同じように眠れないことで瘴気から逃れられなくなり、魔獣と化した存在は少なくないだろう』
「だから魔獣なのに敵意がなかったのだな。魔の森に生息している魔獣は人間を積極的に襲ったりしないし、さらってきて喰うこともしなかったから、ずっと疑問だった。ようやく謎が解けた」
納得した答えだったのか、黒マントさんはうんうんと頷いている。
「もしかして黒マントさんはずっと魔の森に暮らしていたんですか? 魔物を退治するために?」
不思議に思った私は、フェンリルと黒マントさんの会話につい口を挟んでしまった。
「最初は魔物討伐のつもりだった。だが敵意がないものを攻撃する趣味はない。だから魔物がこの森をうっかり出ていかないように見張っていたんだ。魔物の姿に恐怖した人間が国をまきこんで討伐隊を編成しないように」
へぇ、黒マントさんは一応魔物を守っていたんだ。剣を持っているし、魔物を退治しにきた人かと思ってた。
「でもフェンリルさんが私の寝袋に鼻先を突っ込んできた時、剣で襲ってきましたよね? 退治しようとしていたんじゃないですか?」
「魔の森にひょっこり現れたアンタに魔物が、いやフェンリルが近づいていったから、助けてやろうと思っただけだ。持参の寝袋でぐーすか寝る妙なヤツだが、一応女だからな。いっとくが本気でフェンリルを殺そうと思ったわけじゃないぞ。剣で脅して退散させようとしたんだ」
ということは。すごーく遠回しではあるけれど、黒マントさんは私を守ろうとしてくれたのね。
「そうだったんですね。私、あなたのことちょっと誤解していたかも。守ろうとしてくれてありがとうございます、黒マントさん」
結果はどうあれ、黒マントさんは私を助けようとしてくれたんだもの。御礼は言わないとね。
ぺこりと頭を下げて感謝の思いを伝えた。顔をあげると、黒マントさんは目を大きく開き、驚愕の表情で私をじっと見つめている。
そして急に思い出したかのように、ぷいっと顔を横に向けてしまった。
「別に御礼を言われるほどのことはしていない」
ふんと鼻を鳴らしているけれど、ほんの少し頬が赤いように思えた。たぶんきっと気のせいじゃない。
『我からも伝えさせてくれ。聖女よ、我を眠らせてくれてありがとう。心から礼を言う』
私の真似をしているのか、フェンリルも私に向かってぺこりと頭を下げてくれた。
「ありがとう」って言われたのは、異世界に転生して初めてのことかもしれない。
たった五文字だけど、なんて心がほっこりする言葉だろう。私がしてきたことは無駄なことではなかったって思えるもの。
「これでも添い寝聖女でしたからね、当然のことですよ。でも感謝してもらえると嬉しいかな。王宮では誰も『ありがとう』って言ってくれませんでしたから」
王宮では毎晩ジェイド王子を眠らせてあげていたけど、御礼を言われたことは一度もなかった。王宮に仕える添い寝聖女として当然のことだと思っていたんだろう。
『添い寝聖女たったとしても、慈悲の慈愛の精神で務めを果たせる者はなかなかいないと我は思っている。聖女よ、名前を聞いてもいいだろうか?』
「私の名前ですか? ヒーナです。ヒーナ・オブライエン」
『では聖女ヒーナよ。我と従魔契約してもらえないだろうか? そうすればいつでも聖女を守れるし、我は再び魔獣に堕ちずにすむ」
従魔契約って、契約に基づいて私とフェンリルが主従関係になるってやつよね。フェンリルが私にお仕えしてくれるってこと?
そんなマンガみたいなこと、本当にあっていいの? なんだかすごい!
「いいんですか? 私と従魔契約なんてして」
『そなたのおかげで我は本来の姿を取り戻せたのだ。ぜひお願いしたい』
「フェンリルさんがよければ私からもお願いします! ひとりぼっちだったので嬉しいです、お友達ができて」
「お友達か。聖女は面白いことを言う。では契約の証しに我に名を与えてくれ。それで契約完了だ」
「フェンリルさんの名前……そうだなぁ、うーん」
ネーミングセンス皆無なんだよなぁ、私。
マンガに出てくるようなカッコイイ名前をつけてあげたいけど、舌を噛みそうなヤツだと意味ないもんね。それよりも呼びやすい名前が一番いいと思う。
「では、『リール』という名前はいかがでしょう?」
「フェンリル」の一部を切り取って、私が呼びやすい名前にしてみた。
『リールか。良き名だ。聖女よ、左の手を出してくれ』
手ね。何をするんだろう。
フェンリルのリールに向かって左の手をさし出した。
するとリールは身を起こし、私の左手をぱくっと軽く噛んだ。噛まれたけど、少しも痛くない。甘噛みってやつかな。
甘嚙みされた箇所が金色に輝き、肉球のような紋章が浮かび上がった。
『これは従魔契約の証しとなる聖痕だ。我ことフェンリルのリールは、契約に基づき聖女ヒーナの従魔となる。これからよろしく頼む』
「こちらこそよろしくお願いします! リール」
リールと従魔契約、ううん、お友達になれて嬉しい。だって相手は憧れのフェンリルだよ? 思わず笑顔になってしまうのも仕方ないよね。
「あのね、リール。ひとつお願いがあるの。もふもふさせて、いえ、少しだけ撫でさせてもらってもいい?」
『ヒーナは我の主だ。好きなだけ、「もふもふ」するがいい』
「ありがとう、リール!」
御礼を伝えると同時に私はリールの体に飛びつき、その豊かな毛並みを思いっきり、もふもふ、なでなでさせてもらった。
「ああっ、もふもふ最高! 癒やされるぅ~」
もはや聖女としての気品なんてあったもんじゃない光景に黒マントさんは呆れたような表情をしているけれど、そんなのどうだっていい。だって私は最高のお友達ができて、すごく嬉しいんだもの。




