眠れない魔物
深く考えもせず、剣をもった黒マントの男の前に飛びこんでしまった。
鋭い切っ先が私の喉元にある。黒マントの男がちょっと身を乗り出せば、私は斬られてしまうだろう。
私のすぐ後ろには、寝袋に鼻先を突っ込んだまま、眠り始めた魔物がいる。目覚めたら、今度こそ喰われてしまうかもしれない。前方には剣をもった男、後方にはおぞましい魔物。
咄嗟に間に滑りこんでしまったけれど、これってすごくヤバい状況なんじゃないだろうか。
ど、どうしよう……。
「どけ」
黒マントの男が、低い声で冷ややかに告げた。どうやら私をすぐに斬るつもりはないらしい。
見上げると男の顔がはっきりと見えた。
短く刈られた藍色の髪に、紫水晶のような神秘的な瞳。整った容姿をしているけれど、私を見下ろす視線は美しい人形のようで、見ているだけでぞっとする。私を斬るつもりはなくても、命令を聞かなければ容赦しないという警告なのかもしれない。
「あ、あの。ちょっと待っていただけませんか? 話を聞いてほしいんです」
今さら後には引けないし、黒マントの男に話しかけてみた。
「おまえは人間か?」
想像とは違う返答が返ってきた。私が人間かどうかって? どう見ても人間だと思うけど。ひょっとして人間に化けた魔物と思っているのだろうか?
「えっと。一応人間です」
一応人間って返事はどうなのよ、まぎれもない人間でしょう? と自分自身にツッコミみながら黒マントの男に語りかける。
「魔物を退治したいんですよね? でもちょっと待ってほしいんです。この魔物、私に襲いかかってきたわけじゃないんです。この子はただ眠りたかっただけみたいです」
黒マントの眉がぴくりと動いた。どういう感情を抱いたのかわからないけれど、何か気になったことがあったのだと思う。これがチャンスだと思った私は、黒マントの男に早口で話す。
「この寝袋は私のものなんですけど、中に入った者が眠れるように魔力を注ぎ込んでいます。どういう理由かはわかりませんが、この魔物はそのことに気づいて、寝袋の中で眠りたかっただけじゃないかと思うんです。だからその、今は眠らせてあげませんか?」
ちらりと背後を見ると、瘴気をまとった魔物は、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。鼻先だけ寝袋の中に突っ込んでいるから、遊び疲れて眠ってしまった大型犬みたいだ。
「魔物が眠りたい……? 魔物も眠れずに苦しんでいるというのか?」
「そうだと思います」
「魔王が残した眠れない呪いは、人間だけが対象ではないのか?」
魔王を倒したのは勇者である人間だ。だから魔王は憎き人間を呪うため、赤い月による眠れない呪いを遺した……と言われている。
だが実際は赤い月に照らされる全ての存在が、眠れない呪いに侵されている可能性があるんじゃないだろうか。
「魔物も人間も動物も、赤い月に照らされていますよね。だとしたら、呪いの対象は人間だけではないのではないでしょうか? この世に生きる全ての存在を魔王は呪いたかったのかもしれません」
私の憶測でしかない話だけれど、魔物の様子を見ていて感じたことだ。魔物も眠れずに苦しんでいる。わずかでもいいから眠りたくて、私の特製の寝袋に入りたかったのだろう。実際は鼻先だけしか入れないけれど、そんなことかまってられないほど辛かったのだと思う。眠りたいのに眠れない苦しみは、人間だけではなかったのだ。
「この世に生きる全ての存在は魔王は呪いたかった……。だがアンタの推測が正しかったとして。魔物を眠らせる必要があるのか? 魔物は悪しき存在だぞ」
この男は何を言っているのだろう。悪しき存在というのなら、眠ることも許されないというのだろうか?
「悪しき存在に眠らせる必要はあるのか? そんなのあるに決まってるじゃないですか! 誰だって、どんな存在であっても、ゆっくり休むことは許されるはずです」
黒マントの男の瞳がギラリと光った、気がする。
もしかしたら怒らせてしまったのかも。でもこのまま黙っていることはできそうにない。ならば勇気を出して言ってやる!
「私は眠りたいのに眠れない苦しみを、よーく知ってます。だから眠りたいと願う者には、できるだけ眠ってほしいと思います。それがたとえ悪しき存在と伝えられる魔物であってもです」
説得力ある話かどうかはわからない。でも思っていたことは全部伝えた。
魔物は人間を喰うと伝えられているから、悪しき存在と言われるのは理解できる。でもこの魔物は私を喰おうとしなかった。それよりもただ眠りたかっただけなんだと思う。すごく眠りたいのに、どうしても眠れない。文字通り藁にも縋る思いだったのだろう。そんな魔物の悲壮な願いを、私は無視することはできない。前世で嫌というほど不眠の苦しみを味わってきたから。
「話はわかった。だがアンタの後ろで寝ている魔物が目覚めた途端に、襲いかかってきたらどうするつもりだ」
その可能性は勿論ある。あくまで私の推測の話なのだから。
「あなたのおっしゃることが正しいかもしれません。私の考えが間違っていたら、目覚めた魔物にぱっくり喰われてしまうでしょうね。その時は私ごと魔物を退治していただいてかまいません。その覚悟はあります」
「アンタみたいな女に死ぬ覚悟があるっていうのか。命のやりとりを経験したこともないくせに、死ぬ覚悟があるとか軽々しく言うな」
「確かに私は女ですけど、死ぬ覚悟はありますよ。でなければ追放を笑顔で受け入れたりしません」
あっ、しれっと伝えてしまった。私が追放者であることを。もういいや。洗いざらい話してやる。
「私は王宮で添い寝聖女としての任務を担っていました。でも婚約者の王子から勝手に婚約破棄されて、あげく魔の森へ追放処分になりました。ずっと働き続けて疲れてましたし、追放はむしろありがたいんですけどね。魔の森への追放をうけいれた時に、魔物に襲われる覚悟も一応してます。でもだからといって簡単に人生を終了するつもりはありません」
黒マントの男は剣を構えたまま、バカにしたようにせせら笑った。
「魔物に襲われて死ぬ覚悟はあると発言したくせに、人生を簡単に終了するつもりはないなんて矛盾してるだろう」
「矛盾してません。魔物に襲われて死ぬ覚悟はありますけど、最後まで精一杯運命に抗って、必死に生きてやると言っているんです」
私の人生、前世も今世も思い通りにならないことばかりだった。
前世ではぺこぺこと人に頭を下げて、泣いたり我慢ばかりしていた記憶がある。
今世でも聖女としてご奉仕ばかりさせられていた。その果てに身勝手な婚約破棄と追放だ。
人が決めたことを、我慢して受け入れるだけの人生はもう嫌だ。私の人生は、私のもの。たとえ困難があっても自分で選んだ道なら後悔しないと思う。
追放先では自分の頭で考えて動き、自分の意思で生きていきたい。
私自身が決めたことで、最終的に魔物に喰われたとしても、それは仕方ないって思えるだろう。自分の意思で決定したことなら、すべて自己責任だもの。
黒マントの男が無言で私を見つめている。紫水晶のような瞳には感情を感じられず、男が何を考えているのかわからない。
「くぅん」
突然、魔物の鳴き声が背後から聞こえてきた。私の後ろで眠っていた魔物が、いつの間にか目覚めて私たちを見ていたようだ。寝袋に鼻先を入れただけでは、長く寝られなかったのだろう。
目覚めた魔物は私をじっと見つめている。充血した赤い瞳だったのに、今はきらきら輝いているように感じられる。何かを語りかけているかのような視線だ。私に伝えたいことがあるんじゃないだろうか。
「この魔物、私に何か伝えたいことがあるみたいです。もう少し待ってもらえませんか? 目覚めても襲ってきませんでしたし、いいですよね?」
黒マントの男は、ふぅっとため息をつき、長い剣を鞘にしまった。カチンと静かな音が響く。
「確かにその魔物は目覚めても襲ってこなかった。しばらく様子をみよう」
「ありがとうございます!」
無愛想だけれど、ちゃんと話せばわかってくれる人なのかもしれない。
黒マントの男がじっと様子を見ている前で、私は魔物に体を向けて話しかける。
「私に何か伝えたいことがあるの?」
魔物は赤い瞳で私をじっと見つめている。
やがて、「これ見て」とでも言うように、口の中から何かを吐き出した。
「これは……?」
石ころのようだけれど、よだれでベトベトになっていてよくわからない。雑貨屋で買ったハンカチでキレイに拭いて、きゅっきゅと磨いてみた。すると驚くほど強く光り輝き始めたのだ。おまけに強い魔力も感じる。
「これはひょっとして魔石?」
「くぅん」
本物の魔石だよ、と伝えてくれているらしい。貴重なものなのに、なぜ魔物が持っているのだろう? 魔石を守りたくて、これまでずっと体の中に隠していたのかな。
大きな体の魔物は、私が手にしている魔石と私の顔の両方を交互に見つめている。
『もっと寝たい。それ使って、眠らせて』
言葉はないけれど、魔物がそう伝えていると感じた。
「魔石を使って、もっと眠らせてほしいのね?」
魔物がこくりと頷いた。私の言葉をしっかりと理解しているのだ。
「わかった。やってみるね」
添い寝聖女として任務をこなしていたけれど、対象はジェイド王子のような人間で、魔物を眠らせてあげたことはない。しかもこの子は体が大きいし、ジェイド王子に使っていたような結界魔法だけでは安眠できないかもしれない。
私の魔力には限界があるけれど、魔石を使えば私の魔力を高められると思う。
やったことないけれど試してみよう。
魔石を両の掌でそっと包み込むと、静かに目を閉じた。魔石の強いエネルギーを感じる。掌を通して、ゆっくりと私の中に魔石のエネルギーが流れこんでくる。
魔石よ。私に力を貸して。
眠れずに苦しんでいる魔物を安眠させてあげたいの。
体が熱い。感じたことのない力が体内から湧き上がってくるのを感じる。やがて私の心の奥底に、魔法の呪文が自然と浮かび上がってきた。唱えたことがない呪文だけど、きっとこれが私の新しい力なんだ。
「夢眠の魔法陣」
呪文を唱えた途端、魔物を中心に魔法陣が金色の光の線で描かれていく。円形の魔法陣が完成すると、春の陽ざしのような温かい光が魔物を優しく包みこんでいった。光の中で魔物は眠そうにふぁぁっと大きなあくびをした。目を瞑り、魔法陣の中でこてんと横に倒れる。やがてすぅすぅと軽やかな寝息が聞こえてきた。どうやらぐっすり眠れているようだ。気持ちの良い夢でも見ているのか、尻尾が軽く左右に揺れている。
呪文の名のとおり、幸せな夢を見るように眠れている証拠に思えた。
「おやすみなさい、魔物さん」
魔物を頭をそっと撫でてあげると、口角が上がり、まるで笑っているかのようだ。
「魔物はただ眠りたくて、アンタに近づいてきたわけか。アンタを喰いたいわけではなかったわけだ」
私と魔物の様子を見ていた黒マントの男が囁いた。
どうやらわかってくれたみたいだ。
「眠りたいのに魔王の呪いのせいで寝れなくて、ずっと辛かったんでしょうね……」
すやすや眠る魔物は、大型の動物みたいで何だか可愛い。
「アンタの言うことが正解だったな」
黒マントの男も眠る魔物が可愛いと思うのか、少しだけ微笑んでいるように感じた。ほんの少しだけど。
「私のことを認めてくださったのは嬉しいですが、でもですね、そろそろ『アンタ』って呼ぶのは止めてくれませんか?」
黒マントの男は首をかしげ、不思議そうな表情だ。
「アンタでは駄目なのか。では何と呼べばいい?」
「ヒーナ。ヒーナ・オブライエンです」
「ではヒーナ。アンタの力はたいしたもんだ」
また『アンタ』って言ってるけど、ようやく名前を呼んでくれた。一応私のことを褒めてくれてるみたいだから今は良しとしよう。
魔物の可愛らしい寝顔の前では些細なことに思えた私は、魔物の傍らに腰をおろし、安らかな眠りを見守った。




