いざ、魔の森へ
雑貨屋さんで買い物をした後に、武器屋にも寄った。魔物から身を守れそうな防具が欲しかったら。私みたいな素人では使いこなせないかもしれないけれど、何もないよりマシだと思うから。
「旅の道中の魔物除けが欲しいのかい? じゃあ魔法鈴なんてどうだい? 清めの音で魔物を寄せ付けない効果がある」
「その魔法鈴を購入します。あと、もしもの時のために私でも使えそうな武器はありますか?」
「うーん、お姉さん小柄だから剣とかは重くて無理だろうし、弓は練習しないと使えないしなぁ。魔力が付与された短剣はどうだい? 武器というよりお守りみたいな感じだけど、軽いから護身用にはなる」
「ではその短剣もお願いします」
「はいよ」
魔除けの魔法鈴と魔力が付与された短剣。魔の森に入る身としては心もとないけれど、使いこなせなければ意味ないものね。仕方ないかな。
魔の森で生きていくために必要そうなものを最低限揃えた私は、いよいよ魔の森へ向かって歩き始める。魔の森を示す道先案内は何もないけれど、魔の瘴気を強く感じるところが魔の森だと聖女の私にはわかる。人もどんどんいなくなるし、魔の森へは誰も近づかないというのは本当の話のようだ。
やがて鬱蒼とした森が見えてきた。昼間なのに空気がよどんでいるのを感じる。誰に聞かずとも、ここが魔の森なのだと感じる。
「魔の森に入る前に、身を守る結界を張っておかないとね」
結界魔法で自分の周囲に結界を張り、魔物が私の姿を確認できないようにするためだ。魔物から身を守る結界魔法はあまり使ったことがないから、どこまで効力があるのかわからないけれど、ちゃんと守ってくれるといいな。
軽く深呼吸をしてから体内の魔力を手の方へと移動させる。意識を手に一点集中させる感覚だ。掌が熱くなり、魔力が集まっているのを感じる。これが結界魔法をかけるための準備。私の魔力は問題なさそうだ。
「聖域結界」
魔法結界発動の呪文を唱えると、私の周りに透明のベールのような結界がふわりと現れ、私を優しく包み込んでくれた。
私の周囲だけを聖域にすることで、魔物が私を視えないようにするための結界の完成だ。本当はもっと広い範囲の結界を作ったほうが安全だろうけど、聖域が魔の森に強く現れたら、逆に危険が来たと魔物を警戒させてしまうと思う。だからベール状の聖域結界で十分なのだ。広い範囲の結界は私の疲労もひどくなるから、あまり使わないほうがいいしね。
聖域結界を張ったし、いよいよ魔の森へと入らせてもらおう。
おそるおそる魔の森の中を歩いていく。あまり音は立てたくないから、静かにゆっくりと進んでいく。
ところどころ小鬼と思われる魔物が木々の間を飛んでいるのを感じる。ウサギぐらいの魔物もぴょんぴょんと地を跳ねているが、どの魔物も慌てた様子も警戒する気配を感じられない。聖域結界のおかげで、私の姿が視えてないのだろう。
良かった、ちゃんと結界の効果がある。
これなら魔の森で好きなだけ安眠貪れそう。
聖域結界のおかげで身の安全を確保できた私は、寝転がるのにちょうど良さそうな大木のそばに腰をおろした。ケープの風呂敷の中から、王宮から持ってきた大事な荷物を取りだした。
私にとって大切な荷物とは……ずばり寝袋だ。
年頃の女性のくせに色気の欠片もない荷物だけど、これがないと私は眠れないのだ。私の魔力を日々注ぎこみ、安眠できるように少しずつ育ててきた愛用の寝袋。王宮でジェイド王子から離れられる昼の間、わずかでも寝ておきたかったから、どこででも寝られる寝袋は必須だった。王宮の片隅で若い女が寝袋で寝ていたら、まるで浮浪者みたいだけど、そんなことかまってられなかったもの。ジェイド王子は汚いものでも見てしまったかのように私の寝袋から目を背けていたけれど、ジェイド王子を眠らせるために結界魔法を一晩使い続けて疲れていたのだから、夜が明けたらすぐに眠りたかった。
愛用の寝袋を広げると、ぽんぽんと軽く叩き、ふっくらさせる。あとは中に潜り込んで眠るだけ。聖域結界が効いてるし、慣れない場所を歩いて疲れてるからぐっすり寝れそうだ。寝袋に体を滑りこませると、もそもそと動いでちょうどいい体勢を整える。私の魔力を注ぎ込んできたおかげで、魔王の眠れない呪いもしっかり防ぐことができるから安心だ。
「おやすみなさい」
小声で囁くと、静かに目を閉じた。足が疲れてるから寝袋の温もりが心地良い。寝袋に注いだ魔力が私の体を癒してくれる気がした。
すぐにうとうとと微睡み始めた私は、魔の森をそよぐ風の音を聞きながら、すやすや眠り始めた。
目覚めたらジェイド王子を眠らせるため、添い寝聖女に徹する必要はもうない。どれだけ寝ていても、誰からも責められない。なんて幸せなんだろう。ああ、眠れることが嬉しい。今はまだ昼間だとか、そんなことどうでもいい。
どれくらい眠っていただろうか。ハァ、ハァと荒い息遣いの音でふと目が覚めた。
んもう、誰よ。私の安眠を妨害しようとする者は。私は好きなだけ寝たいんだってば。邪魔しないでよ。
手で軽くこすりながら、そっと目を開けると、ぱっくりと開いた大きな口が視界に飛びこんできた。ん? なにこれ。だらりと伸びた長い舌の脇には鋭く尖る牙もある。まるで犬の歯みたいだ。いや、犬よりも大きい獣の口の中のよう。
ということは……。
しっかりと目を凝らして見つめてみると、よどんだ瘴気をまとった四つ足の黒い獣が私の目の前に立っていた。
ま、魔物だ! しかも相当大きい。
え、でも待って。私がかけた聖域結界のおかげで魔物は私の姿を視れないはずだよね。なのになぜ魔物は私に向かって口を開けているの?
「グオオゥ」
大型の獣のような魔物は、長い爪を伸ばし、私の寝袋をひっかいた。
ひぇ、私のこと寝袋ごとしっかり視えてる! 強い魔物には私の聖域結界の力が効かなかったのかもしれない。
ど、どうしよう! 一応武器屋で買った短剣は忍ばせていたけれど、こんなに大きな魔物ではかすり傷程度しか与えられなさそう。しかも攻撃したら怒って、私を寝袋ごと丸飲みしてしまうかもしれない。
かといって私に戦う術なんてない。寝袋の中にいるから現在の私は太いミミズみたいな状態だし、逃げることもままならない。
「グゥゥ~」
私が攻撃してこないと気づいたのか、大型の魔物は唸り声をあげながら私ににじり寄ってくる。
ああ、もうダメだ。逃げることも戦うのもできないし、私はここで魔物に喰われて終わるんだ。その覚悟もある程度はしていたけれど、まさか魔の森に来てすぐに喰われるとは思わなかった。せめてたっぷり惰眠を貪ってから死にたかったな……。
せめて痛くないよう、一飲みで終わってくれることを祈りながらぎゅっと目を瞑った。
日本から転生したけど、何も良いことがない人生だった。添い寝聖女としてずっと働かされて勝手にジェイド王子の婚約者にさせられて。ジェイド王子の寝所の相手から逃げていたら、婚約破棄と追放処分となり、追放先の魔の森では初日で魔物に喰われて人生終了。こんな惨めな一生ってある? 私だって、少しぐらい好きなように生きたかったのに。
死ぬ前に走馬灯のように人生をふり返るって本当なのね……と思いながら、惨劇に備えて目を閉じていたら、いつまで経っても魔物に喰われる気配がない。
あれ? 魔物に気配はするのにどうなってるの?
そっと魔物のほうを見ると、魔物は私の寝袋に体をこすりつけていた。
「クゥ~ン、クゥ~」
ご主人に甘えたい犬みたいな声で魔物が鳴いている。くんくんと寝袋の匂いを嗅ぎ、カリカリと爪でひっかきながら、鼻先で入れる場所を探しているみたい。
私専用の寝袋だから、大型の魔物が入れるわけないんだけど、それでも何とかして中に入りたいようだ。お目当ては完全に寝袋のようで、中にいる私は眼中にないみたいだもの。
ひょっとして、この魔物は……
何とかして確かめることができないかと思い、芋虫みたいな動きで寝袋から抜け出した。私が寝袋から出ても、魔物は私のほうを見ない。急に寝袋が軽くなったことが嬉しいのか、鼻先を寝袋の入り口に突っ込んでいる。
「クゥ~ン……」
充血した真っ赤な魔物の目が、とろんとなっている。私の魔力がこめられた寝袋の中が安眠できる場所と気づいている様子だ。
ああ、やっぱり。この魔物は──。
魔物の赤い目がゆっくりと閉じていった、その時だった。
木々の間で、何かがきらりと光った。え? と思った次の瞬間には、光る何かは私の前に滑りこんできた。
光る何かは鋭い切っ先をもつ、長い剣だった。長い剣を操っているのは、黒いマントを羽織った人間。見上げるほどの長身で頑強そうな二本の腕があるから、たぶん男性だ。
うたた寝し始めた魔物を、黒マントの男は躊躇うことなく長い剣で貫こうとしている。王宮暮らしで魔物に疎い私でもわかる。黒マントの男は、魔物を退治しようとしているのだ。
「ま、待って!」
咄嗟に叫び、私は男と魔物に間に滑り込んだ。




