7話(私の仕事が認められた)
イライザは二人の為にと自分なりに試行錯誤していたが、虚しく時だけが過ぎていく。
一方、アナスタシアの教会での仕事は、確実に変わり始めていた。
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ロッキーニ氏の新作、その挿絵を任された際、正直に言えば、私はただ必死だった。
物語の空気感を壊さず溶け込むように。そして、挿絵を見ただけで、登場人物の感情が自然と伝わるように。
ただそのことだけに神経を集中させた。
完成した挿絵を見た司教様が、しばらく無言のままページをめくり続けていたのを、今でも覚えている。
「この絵、すごく……」
そう言いかけた一言だけで、ほんの少しの安心感が得られた。
数日後のことだった。
教会の奥で写本をしていると、いつもは静かな部屋が、急にざわつき始めた。
「アナスタシア様、司教様がお呼びです」
修道士の方に案内されて応接室へ入ると、そこにいたのは……私はただただ驚いていた。
「お初にお目にかかります。私がロッキーニです」
一瞬、言葉を失った。
「あ、あの、こちらこそ、この度はお仕事をいただきありがとうございました」
「あなたが描いてくれた挿絵、本当に素晴らしかった」
先生はそう言って、頭を下げてくださった。
「物語を書いたのは私ですが、読者をその本の世界に引き込んだのはあなたの描いた絵です」
そんなふうに言われたのは、初めてだった。
まだ驚きを隠せない私に、先生は小さな袋を差し出した。
「これは、建前上の礼金です」
建前上。そう言いながら、その中身が決して建前ではないことは、その重さで分かった。
「こんなに私、いただけません」
「これは私個人からのものです。それにこちらにいらっしゃる司教様にもお許しはいただいております。それより」
ロッキーニ氏は、にっこりと微笑みながらおっしゃった。
「もしよければ、教会の仕事とは別に、本格的に挿絵作家としてやってみる気はありませんか」
胸が、やたらと速く鳴った。
「あなたには、その素質がある」
私は、思わず両手で袋を握りしめていた。
「あ、ありがとうございます。で、ですが今すぐお返事はできません。それでも、とても光栄です」
そんな私に、『それで構いません』と言って、先生は微笑んでくれた。
そばにいらっしゃる司教様も笑顔で頷いてくださった。
その日一日、私は少し浮ついた気持ちで作業をしていた。
仕事が役に立っているだけでなく、認められたことがとても嬉しく思えたから。
その日の夕方、屋敷に帰るとお義姉様から声を掛けられた。
「アナスタシア、少し時間はあるかしら?」
玄関でずっと待っていたようだった。
「実家に、王宮舞踏会の招待状が届いていたの」
そう言って差し出された封筒に、思わず驚き、目を見開いた。
「あなたも、一緒に出ましょう」
「え! 私が、ですか?」
「勿論よ」
お義姉様は笑顔で、とても張り切って見えた。
「王宮で働いているアランだって、きっと出席するわ」
その一言だけで、私の胸の奥が高鳴った。
(アラン様の、正装したお姿、暫く見ていない。あの凛としたお姿を、また遠くからでも見られるなら……)
「分かりました。ご一緒させてください」
舞踏会当日。
王宮の広間は、眩しいほどの光に包まれていた。
私は実家から、結婚の際に持ってきたドレスを身に纏っていた。
随分と暫く振りの社交界に緊張を隠せないまま、お義姉様と並んで入場した、その直後だった。
「あら? リチャード!」
お義姉様が叫んだ。
その視線の先には、正装したリチャード様が、見知らぬ令嬢をエスコートして立っていた。
婚約者はお義姉様なのに。
「これは、どういうことですか?」
お義姉様が呆然としたままだったので思わず私の方が、先に声を掛けてしまった。
「失礼ですが」
私は二人の前に堂々と立ちはだかった。
「お義姉様は、リチャード様の正式な婚約者です。こんな正式な場に他の方をエスコートする理由をお聞かせください」
周囲の視線が、一斉に集まる。
リチャード様は一瞬たじろいだが、すぐに取り繕ったような笑みを浮かべた。
「誤解だよ。これはだな」
私は彼の声を遮った。
「誤解で済む話ではありません。婚約者のいる身で随分と勇気のある行動ですね。それなりのお覚悟がおありなのですか?」
声が、思ったよりも大きく響いた。
隣にいる令嬢は不安げな顔でリチャード様を見つめていた。彼女が何も知らないのなら気の毒だがそれは二人の問題だ。
「これはお義姉様を侮辱する行為です」
その時だった。
「アナスタシア。もう十分だ」
少し離れた柱の陰から、こちらを黙って見つめる視線があることに気づいていたが、それがまさか旦那様だったなんて……。
きっと、旦那様はずっと私たちを見ていらしたのね。そして堪りかねて出てくださったのだわ。
アラン様は私の横を通り、姉の婚約者に声をかけた。
「リチャード様、この件は後ほど然るべき形でお話しいたしましょう」
それは、アラン様の怒りを抑えた声だった。
しかし、その一言で周囲の空気が変わった。
リチャード様は一瞬だけ言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。
「アラン、君は何か誤解を」
言いかけた言葉を遮った。
「ここは王宮です。個人の感情を語る場所ではありません。今は、舞踏会という、公の場です」
旦那様は、それ以上、何も言わなかった。
責めもせず、弁解も許さず、ただ公の場としての片を付けた。
それが、アラン様のやり方だった。
周囲の貴族たちは、互いにざわめきを抑えているようだった。
問題は先送りにされただけで、解決したわけではない。
アラン様は、ふと私の方に視線を向けた。
「アナスタシア、勇気を出してくれてありがとう」
私は、その目を見て、なぜか胸が詰まった。
いつもは冷たい瞳。でも今はその奥に優しさが感じられた。
「姉上、行きましょうか」
そう言って、お義姉様を促した。
「ありがとう、アラン、アナスタシア」
お義姉様の瞳がほんの少し潤んでいた。
三人がその場を離れると、広間は再びいつもの喧騒に包まれた。




