6話(弟へのお説教)
あれから三日後、アランは屋敷に帰ってきた。
久しぶりに屋敷にいるというのに、朝の食堂はいつもよりずっと静かだった。
「旦那様、お仕事ご苦労様です。私はこれから教会へ奉仕活動に行ってまいりますので、旦那様は、たまにはお屋敷でゆっくり休まれてください」
そう言って、アナスタシアはいつものように軽く一礼し、食堂を出て行こうとする。するとその背中に、アランはただ一言だけ返した。
「ああ」
それだけだった。引き止めるでも、気遣うでもなく、まるでホッとしたような様子。
(相変わらずね)
わたくしはお茶の入ったカップを置き、弟の横顔をじっと見た。
冷たい、というよりまるで自分の内側を、誰にも触れさせないために守っているかのようだ。
やがて、「行って参ります」の小さな声と玄関の扉が閉まる音が同時に聞こえ、屋敷からアナスタシアの気配が完全に消えた。
「アラン」
「何だ」
「少し、話があるわ」
弟はわずかに眉をひそめたが、逃げはしなかった。
書斎に入ると、わたくしは弟の顔を見た。
「どうして、あの子にあんなに素っ気ないの」
「別に、ただ忙しいだけだ」
「そんなの理由にならないわ」
わたくしは呆れた顔を向けた。
「久しぶりに帰ってきた夫が、妻にあの態度。あの子、何かあなたにした?」
「……」
「あの子ったら、いつもあなたの顔色を窺い、自分がいたら夫の迷惑になると思っているわ」
アランは椅子に腰掛けたまま、視線さえ合わせようとしない。
「何故なの? 理由があるはずよ。答えなさい、アラン」
「答える必要はない」
そう言って息を吐いた。
わたくしは一度沈黙したが、今度は声の調子を変えた。
「ねえ、あなたたち、夫婦でしょう」
「形式上はな」
「そういう言い方をするところが問題なの」
アランを睨みながら、少し身を乗り出した。
「夫婦なら、いずれは子供だって欲しくなる。それを避けて通るつもり?」
その瞬間、アランの目が、ほんの一瞬だけ動いた。
「別に欲しくなんてならないし、必要もない」
「必要ない?」
「どうせ身分は平民だ。継ぐ爵位もない。家名を残す必要もない。子供なんていたって、しょうがない」
それはあまりにもぶっきらぼうで、投げやりな言葉だった。
わたくしは、思わず言葉を失った。
(……この子)
「それ、本気で言っているの?」
「勿論だ」
「違うわね」
きっぱりと言い切った。
「子供は爵位のために作るものじゃない。家名のためでも、体面のためでもない」
アランは黙ったまま、拳を握っていた。
「それに」
わたくしは、言い聞かせるように話しかけた。
「あなたが平民だと思っていても、世間はそうは見ないわ。あなたは元侯爵家の人間よ。その妻は、もっと厳しく見られる。それを全く理解してないわ」
それでも、アランは答えない。
「あの子はね」
わたくしの目には、いつの間にか雫が溜まっていた。
「あなたが思っているより、ずっと強くて、ずっと優しい。それに彼女はずっと無理をしている」
アランの肩が、わずかに震えた。
しかしそれでも彼は顔を上げなかった。
少しの沈黙の後。
「話は終わりだ。それから姉上、急にどうしたんだ? この間までは自分だってアナスタシアのことを邪険にしていたくせに」
そう言って、立ち上がった。
わたくしは、それ以上引き止めなかった。
ただ、最後に言っておかねばと口を開いた。
「わたくしなりにあの子を見ていて反省したのよ。でもあなたは、このまま態度を変えるつもりがないならいずれ、あなたが一番失いたくないものを、失うわよ」
アランは何も言わず、書斎を出て行った。
残されたわたくしは、静かな部屋で一人、盛大なため息を吐いた。
(……本当に、不器用なんだから)
弟も。そして、弟の妻も。
わたくしはふと、窓の外を見た。夜でもないのに何だか薄暗く、寂しくも感じた。
(このままじゃ、終わらせない)
あの二人を、これ以上すれ違わせるつもりはなかった。




