14話(お義姉様の驚き!)
翌朝。
屋敷の廊下は、人影もなく静まり返っていた。
その静けさを破るように、アナスタシアの部屋の扉が、開いた。
先に出てきたのはアラン。
そして、そのすぐ後ろにアナスタシアが続く。
二人の距離は、昨夜までとはどこか違っていた。
ぎこちなさは残っているのに、不思議と穏やかな空気が流れていた。
次の瞬間。
「え!?」
廊下の角で、固まった人物がいた。
イライザだった。
目をぱちぱちと瞬かせ、次の瞬間。
「えええ!?」
思わず声を上げた。
二人は同時に振り向く。
「な、な、な……ちょっと待って……今、同じ部屋から?」
両手で口を押さえ、震える肩。
次第に目が潤んでいく。
「わ、わたくし……出る幕……なかったじゃない。一体何がどうなってるのよ」
大げさに天井を仰ぐ。
「昨日まで、あんなに心配していたのに……一晩で解決なんて! 信じられないわ!」
しかし次の瞬間、ぱっと笑顔になった。
「でも……よかった。本当によかったわ」
イライザは、二人を交互に見つめる。
「おめでとう。やっと、ちゃんとわかりあえたのね」
その声には、心からの安堵が滲みでていた。
「姉上、心配をおかけしました」
アランが照れくさそうに笑った。
それを見て、アナスタシアも少し照れたように微笑む。
するとイライザは、ふっと息を吐いた。
「さて」
わざとらしく背伸びをした。
「こんな空気の中に、いつまでも居座る義姉なんて野暮よね。わたくし、早くこの屋敷を出ていかないと」
「そんな!」
思わずアナスタシアが声を上げる。
「お義姉様には、ずっといていただきたいです」
一瞬、イライザの表情が止まった。
「え?」
「私は、お義姉様がいてくださるから頑張れたんです」
まっすぐな言葉だった。嘘は少しも感じなかった。
イライザの目が、じわりと潤む。
「……もう……ずるいわね、あなた」
少し笑いながら、そっと目頭を押さえた。
「でもね、わたくしもそろそろ自分の人生を頑張らないと」
少しだけ頬を染めた。
「ロイド様の心、私なりに射止めてみせるわ」
するとアランが少しだけ意地悪く笑う。
「それは……ロイド殿も覚悟が必要ですね」
「ち、ちょっとからかわないで。今度は素直になるわ。わたくしだって、幸せになるんだから」
朝の光の中で、三人は自然に笑い合った。
昨夜までの重たい空気は、もうどこにもない。
そして朝の食堂。
いつもと同じ風景なのに今日の空気に重たさはなかった。
三人で囲む食卓が、これほどまでに笑い声で満たされたのは初めてのことだった。
そばでは、見たこともない彼らの中睦まじい様子に、執事のエリックが戸惑いを隠せずに立っている。
困惑する彼の表情を横目に、三人は顔を見合わせ、示し合わせたように、さらに楽しげな声を弾ませた。
食事を終え、アランはこれまで一度も入ったことのない妻の私室に初めて入った。
(……ここが、君の世界なのか)
光が差し込む部屋の中に、紙とインクの匂いが広がっていた。
机の上には、描きかけの挿絵の下書き。
壁際には積み重なった書物と完成した挿絵の束。
アナスタシアが振り返る。
「……旦那様?」
少しだけ驚いた顔。
アランは部屋の中を見渡しながら、初めて見る妻の仕事場に不思議なほどの安らぎを感じていた。
「妙なものだな。共通する物など何もないはずなのに、ここは王宮の執務室にいる時と同じくらい、私の心を落ち着かせてくれる。」
「そうなのですね。その言葉、私も嬉しく思います」
一枚の挿絵に視線が止まる。
子供たちが笑い合う、優しい絵。
「これは?」
「教会の絵本用です。孤児院の子供たちに向けて」
アランはしばらく黙って見ていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「君はこんなにも、多くを描いていたのか」
それから、封筒に入った報酬の記録。
細かく整理された資料が、目に留まる。
彼は思わず息を飲んだ。
「私は、何も知らなかったな。いや、知ろうともしなかった」
自嘲のような声だった。
アナスタシアは首を横に振った。
「知らなくて当然です。私が伝えていなかったのですから」
アランはゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「いいか。少し、ここで見ていても」
「もちろんです」
彼は真剣な目で、彼女の手元を見つめる。
筆が紙の上をなぞる音。
人物の表情が、ほんの数分で形になる。
アランは思わず笑った。
「すごいな」
素直な声だった。
「君が描いている姿を見ていると本当に、好きでやっているのだと分かる」
アナスタシアの手が一瞬止まる。
「はい、大好きです。旦那様、私はこの仕事これからも続けていきたいです」
アランは頷いた。
「もちろんだ。君の自由にするといい。私はもう、周囲の声は気にしない」
その言葉に、アナスタシアの顔がホッとした。
しばらく二人は言葉もなく過ごした。
紙をめくる音と、それをなぞる筆の音だけ。
やがてアランが立ち上がり、完成した挿絵の一枚を手に取る。
「これを、私の執務室に飾ってもいいだろうか」
少し遠慮がちな声だった。
「嬉しいです」
アナスタシアは照れながら微笑んだ。
アランはその絵を大切そうに抱えながら、彼女を見つめた。
煌めく光の中で。
アランの腕の中の絵と、今、目の前にいる彼女を見ていると、ずっと守りたかったものが、今ここにあるのだと気づかされた気がした。




