正当乗車
久しぶり……超のつく、久しぶりの投稿です。
そもそも読んでもらえるのかもわからないですが、
まずはお試しで始めてみます。
発車のベルが鳴る。
ドアが閉まる直前、僕は電車を降りた。降りてしまった。
それまで僕が乗っていた電車は、終点である四崎口駅へと動き出す。さっきまで降っていた雨の名残りが、ガラスに無数の水滴を作っている。
僕は、そのガラスの向こうにある、高橋直子の寝顔を一瞥する。
一瞥しかできなかった。
走り去る電車を見送ると、僕は、下りのホームにある階段を伝い、改札口を抜ける。そして、再びパスモを使って改札口を通り、上りのホームへと向かう。
正当乗車。乗り越しをしてしまった場合、改札で超過料金を払い、目的の駅へ戻るために、再び乗車料金を払うことが義務付けられている。
ただ今のところ、よほど目立った動きをしない限り、別に改札を通らなくてもバレることはない。警告の貼り紙をしたり、駅員が放送で呼びかけたりするレベルで、あとは乗客の良心に委ねられているのが現状だろう。
乗り越しても改札を通過せずに戻る人は少なからずいると思う。実際、僕のクラスメートの中には、「乗り越してるだけでも面倒なのに、なんで金まで取られなきゃいけないんだ」と愚痴を言う奴がいた。
僕が正当乗車をするのは、別に僕が良心的な人間だからではない。小心的な人間だからだ。臆病なだけだ。
上りホームに立った僕は、駅看板を見る。
四浦海岸駅。
ここで下車して数分歩けば、わりと広い海岸に辿り着ける。夏には、海の家が乱立し、たくさんの人で賑わう海水浴場となる。近くには海を眺めながら、ドリンクバーでゆったりと過ごせるファミリーレストランもある。
そう言えば、去年の夏も海に行かなかった。
どうでもいいことを考えながら、僕は雨上がりの春空を見上げ、溜息をついた。
なぜこの駅で降りてしまったのだろう。どうせなら終点まで行けばよかったのに……。
なぜなのかはわかっている。終点まで行って何もできない自分が容易に想像できてしまった僕は、脳内で描いていたシナリオを途中で放棄する衝動にかられてしまったのだ。
中途半端な僕の性格が悔やまれる。
僕が本来降りるべきは、今いる四浦海岸駅の五つ前に当たる久浜駅だ。乗り越したのには理由がある。久浜駅のさらに一つ前にある北久浜駅にて下車するはずだった高橋直子が寝過ごしていたからだ。
高橋直子は、高校一年のときに僕と同じクラスだった。
どこのクラスにも一人や二人、どころか、三人や四人はいる、いわゆる地味系女子だ。目立った特徴がないところが特徴のような、しかしバランスの良い顔立ちをした女子だった。
僕も彼女も積極的に言葉を交わすタイプではなく、クラスの行事などで必要があれば言葉を交わす程度。それが少し変化したのは、文化祭の準備期間だった。
クラスで出店する模擬店の看板制作係に僕ら二人が任命された。というより、本番の店運営や呼び子をやる人材には適さないと、実行委員から判断された。
看板制作をはじめて数日、放課後の僕らは一言二言で制作工程について確認し、淡々と作業を進めるだけだった。
「も、もしかして鈴木くん、仮面ライダーZのファン?」
突然の質問に、僕はギョッとした。
質問されたこと自体にも驚いたが、僕が仮面ライダーZのファンであることを指摘されたのが、さらに驚きを大きくした。「な、なんで?」と訊き返すと、高橋直子は、僕の胸ポケットからはみ出している携帯電話のストラップを指差した。
「そのストラップ、Zのロゴをモチーフにしたやつでしょ」
その通りだった。だが、それほどあからさまに仮面ライダーZのロゴとわかるデザインではない。今までだって誰にも気づかれたことはなかったくらいだ。
僕が返答に困った様子を見せると、彼女は自分の携帯電話を取り出し、電池パックを開ける。そこには、仮面ライダーZの究極フォームのシールが貼ってあった。
「それって……?」
「うん。私も実は、隠れファン」
仮面ライダーシリーズは、ずっと見続けてきたが、特に仮面ライダーZは僕を魅了してくれた。三人で一人の仮面ライダーになるというコンセプトも、三人の主人公キャラもカッコ良かった。
だが、高校生にもなって、日曜日の朝に放送されているヒーローものを見ている、というのを知られるのが平気なほど、僕の心臓は強くない。なので、ひっそりと隠れファンをやってきたわけだ。
同じような境遇の者がいたとは。しかも、女子で。
それからというもの、放課後が僕にとって一番楽しみな時間となった。看板を作りながら、ときには看板も作らずに、高橋直子と仮面ライダーZの話に花を咲かせた。
ただ、楽しい時間は長くは続かない。
まず、文化祭が終わり、放課後に二人で顔を合わせる必然性がなくなった。僕らはそれまで行動を共にしていたグループの中で動くようになる。僕には、周囲の目がある状況で、用もない女子に積極的に話しかけられる度胸などありはしない。
それからしばらくして、仮面ライダーZが最終回を迎えた。次のシリーズも、つまらなくはなかったが、Zほどの熱狂を、僕には与えてくれなかった。
決定的なのは二年生に上がるときのクラス替えだ。僕と高橋直子は、別々のクラスになった。そうなると、僕はますます声をかけづらくなり、廊下ですれ違うときも顔を逸らすようになってしまった。
だが僕は、彼女の存在をそれとなく感じていた。僕も彼女も、同じ路線、同じ方面の電車に乗るからだ。
いつも、僕は僕の友人と、高橋直子は彼女の友達グループと一緒に帰宅しているが、今日に限って言えば、僕も彼女も一人で、同じ車両に乗り合わせた。
彼女はシートに座り、僕は彼女に背を向けるようにして、ドアとシートの間にある狭いスペースに立つ。
高橋直子が寝ていると気づいたのは、彼女が降りるはずの北久浜駅を電車が発車したあとだ。北久浜駅を過ぎても、彼女が目をつぶったまま、シートに座っているのを、僕は盗み見た。
あれこれ考えているうちに、電車は僕が降りるべき久浜駅に到着する。
乗った当初は軽度の混雑をしていた車両も、今となっては数えるほどしか乗客がいない。
どうする?
どうするって、何を?
僕の思考は、堂々巡りをしていた。当然僕は久浜駅で降りるべきなのに、僕の体が、それに抵抗していた。
そうこうしているうちに、ドアが閉まり、電車は久浜駅を発車した。乗り越し決定。
次の駅で引き返せばいいのに、僕はその後も乗り越した。後ろをちらりと振り返る度、高橋直子の寝顔を視認できたからだ。
本来なら、彼女が降りる北久浜駅に着いたときに、起こしてあげるのがベストだったのだろう。だが、それでは僕が彼女をマークしていたように取られてしまうではないか。
ならば、僕が降りるはずの久浜駅で起こせばよかったのか? でもそれなら、北久浜駅で起こせよ、と僕ですら思う。
いやいや、そうじゃない。全部違う。
僕は単純に、ひと言以上の「会話」を望んでいたのだ。
どちらか一方の下車駅で高橋直子を起こせば、僕と彼女の間で必然的になされるやり取りは、ほんの数言でしかない。それじゃあ、意味がない……いや、意味はあるけど、僕にとって価値がないのだ。そして、価値がある会話を切り出せるほど、僕には上等な勇気がなかった。
「あれ、高橋じゃん? 何、寝過ごしたの? 奇遇だね、僕も立ったまま寝過ごしちゃって……あのさ、せっかくだから寝過ごしついでに、ちょっと最近の仮面ライダーメタモルについて……」
という文言を頭の中で練り上げていた。しかし、終点まであとひと駅という間際になって臆病風に吹かれた僕には、ただただ虚しい言の葉たちだった。
「まもなく、2番線上りホームに電車が参ります」
アナウンスから数秒後、電車がなだれこんでくる。
僕はうなだれたまま、開いたドアから、車内へ足を踏み入れる。
そこで風が吹いた……。臆病風ではない。普通の春風だ。いや、普通の春風にしては、妙に僕の背中を押してくれているような、そんな印象の風だった。
それもそのはずだ。僕の目の前には、さっきまで声をかけるか悩んでいた高橋直子が、そのままの姿勢で寝ていたのだから……。
僕は臆病だが、それほどバカでもない。瞬時にいくつかのことを考え、答えに辿り着いた。
「高橋」
僕が呼びかけると、「はい」と言って、高橋は目を開いた。
「何、寝過ごしたの? 奇遇だね、僕も立ったまま寝過ごしちゃって……あのさ、せっかくだから寝過ごしついでに、ちょっと最近の仮面ライダーメタモルについて……」
そこまで言いかけて、車内に「間もなくドアを閉めます」というアナウンスが流れた。
「この駅で降りて、海を見ながら話さない?」
あとで思えば、「海を見ながら……」というセリフは、僕みたいな地味キャラには鳥肌ものだった。でも言ってしまったものは仕方ない。
「なら、早く降りないと!」
高橋はシートから立ち上がる。
僕は……僕たちは、発車ベルが鳴り響く駅のホームに降り立ち、ゆっくりと動き出す電車を見送った。
「で、では……」
「うん……」
僕らはぎこちなく言葉を交わし、四浦海岸駅の改札口のほうへ歩き出す。その先にある海の見えるファミリーレストランに向かって……。
高橋直子は終点に着き、折り返してきた電車でも寝ていた。それだけ熟睡していた――という理屈は成り立たない。
なぜなら、もし本当に彼女が熟睡していたのなら、彼女が乗っているべき電車は、もう一本後のものになるはずだからだ。
終点、四崎口駅は二つのホームから成っている。
そのどちらか一方に、先着して停車していた電車は、もう一方に下り電車がやって来てから数分後に、折り返し上り方面へと発車するという仕組みになっている。
つまり、高橋直子は、終点に着くと乗っていた電車を降り立ち、階段を上り下りして、先に発車する電車に乗り換えたのだ……そのときに走ったのだろうことは、彼女の額にうっすら浮かぶ汗からもうかがえる。
そこまでわかっていて声をかけなかったとしたら、僕は臆病者ではなく、ただの朴念仁だろう。草食系男子ではなく、ただの草だろう。
高橋直子が改札にパスモをタッチさせる。
改札の液晶表示で、ひと駅分の料金だけが精算されていたのがわかる。もし彼女が四崎口駅で改札を出ないで折り返してきたならば、五駅分の精算料金が払われるはず。つまり彼女は……。
「どうしたの?」
高橋直子が訊いてくる。僕が噴き出したのがわかったらしい。
「いや、ちゃんと正当乗車をしててえらいなって思ってさ……」
「えらくなんかないよ……」
彼女は少しだけ顔を紅くして言う。
「小心者なだけ」
僕は再び笑った。
僕らは小心者で、似た者同士なのだ。
FIN
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