悪役令嬢の黒子(全身黒タイツ)に転生した私。推しカプの告白シーンで「同業者(全身黒タイツの男)」と鉢合わせました。~感動の横で不審者同士が恋に落ちたので、引退して私たちも幸せになります~
視界が黒いんです。
世界に薄く墨を落としたように、すべてが少しだけ暗く見える。
理由は単純。
私が今、顔面を黒い布ですっぽりと覆っているから。
自分の手を見下ろせば、指先まで漆黒の手袋に包まれている。
身体を覆うのは、伸縮性に優れた特注の全身タイツ。
鏡を見れば、そこにいるのは不審者……ではなく、古典的な演劇の舞台裏で暗躍する『黒子』に似た存在。
前世の伝統的な黒子とは微妙に衣装のスタイルが違う気がするが、なぜかこの世界では「全身タイツ」が黒子の正装らしい。
どうせ誰にも見えてないし、全身タイツの方が前世の黒子の正装である『黒衣』よりも動きやすいだろうし、別に良いんだけど……。でも。
「……この衣装……暑い」
誰もいない(と認識されている)王宮の回廊の隅で、私は小さく息を吐いた。
私の名前は、クロエ・ネーロ。
前世は日本の社畜だったが、過労死して乙女ゲームの世界に転生した。
ただし、普通の人間としてじゃない。
この世界のシステムの一部、舞台装置としての『黒子』なんです!!
私に与えられた契約はただ一つ。
『主である悪役令嬢をハッピーエンドに導けば、この世界の「正当な住人」としての肉体を与える』。
主である悪役令嬢ローズ・マリー様を、物理的な干渉によって悪役である彼女にとっての正規ルートである公爵様とのハッピーエンドへ導くこと。
一生、顔のない舞台装置で終わるのは御免だ。
私は人間になりたい。
可愛い服を着て、美味しいものを食べて、堂々と太陽の下を歩きたい!
その一心で、私は今日も全身タイツ(通気性ゼロ)を着込み、推しの幸せのために走り回っている。
彼女をハッピーエンドに導けば、私もヒロインになれる。
その響きに、私の心は揺れた。
一生脇役で終わる人生も私らしくて悪くないと思ってたけど、一度くらいはスポットライトを浴びてみたいという欲もある。
だから私はこの契約を受け入れた。
あれから数年。
私はプロの黒子として、日々、ローズ様の影となり、こそこそと働いている。
「……そろそろお目覚めの時間ね」
私は懐中時計を確認し、音もなくローズ様の寝室へと滑り込んだ。
「とうっ!」
私からは、一切の物音はしない。
黒子とはそういうスキルを持っているからだ。
天蓋付きのベッドで、金色の髪を散らして眠る少女。
彼女こそが私の主、ローズ・マリー様だ。
本来のシナリオ通りなら、彼女は嫉妬に狂い、断罪され、処刑される運命にある。
だが、今の彼女には私がついている。
私は窓辺に立ち、カーテンの裾を握る。
タイミングが命!
ローズ様が睫毛を震わせ、薄く目を開けたその瞬間――私は勢いよくカーテンを引き、即座に壁の陰と同化した。(まあ、彼女に私は見えてないので意味はないけど)
シャララ……とカーテンレールが鳴り、朝日が部屋いっぱいに注がれる。
「ん……眩しいわ」
ローズ様が身じろぎする。
自然光の演出により、彼女の美しさは三割増しだ。
(よし、今日も完璧なライティング)
私は心の中で親指を立てる。
ローズ様は、高飛車でわがままだが、根は単純で愛らしい。
私が手塩にかけて育てた、自慢の推しだ。
彼女が幸せになるためなら、私は一生この全身タイツ生活でも構わない。
……いや、夏場だけは勘弁してほしいけど。蒸れるし。
◇◆◇
ローズ様を公爵様と結ばせるためには、「ただの良い子」ではいけない。
公爵様。エオメル・フォン・ベルンシュタイン様は、堅物で知られる冷徹な方だ。
彼を振り向かせるには、ギャップが必要になる。
そう。ギャップ萌えよ!
すなわち、「孤高の悪役令嬢でありながら、ふとした瞬間に見せる高潔さ」だ。
さてさて、やって参りました、本日の舞台は、王宮の庭園で開かれるお茶会。
ライバルである正ヒロイン、男爵令嬢のアリスも招待されている。
私は生垣の中に潜んでいた。いや、見えないなら隠れなくて良いじゃん。そう思われるかもしれないけど、こういうのは雰囲気が大切なので。
私、スリルも楽しみたい派なんで。
生垣の中は虫刺されが心配だが、これも業務の一環だ。それに、全身タイツは意外と防御力が高い。これ豆知識。
優雅なティータイム。
アリスが、上目遣いで周囲の貴族令嬢たちに愛想を振りまいている。
あざとい。実に計算された動きだ。
「まあ、ローズ様。今日のドレス、少し古風じゃありませんこと?」
アリスがクスクスと笑う。
ローズ様の眉がピクリと跳ねる。
ダメですよ。挑発に乗ってはダメ。
と思いつつも、ローズ様は煽り耐性が低い。
「……伝統を重んじているだけですわ。流行に流されるだけの軽薄な方には理解できませんでしょうけれど」
口調はキツイが、扇子を持つ手が震え、眉毛がピクついている。
ローズ様。お任せを。
その震えを「怒り」ではなく「気高さ」に見せるのが私の仕事だ。
アリスが立ち上がる。
ティーポットを持ち、ローズ様のカップに注ごうとして――わざとらしく足を滑らせた。
「きゃっ!」
ポットの中身、熱々の紅茶が宙を舞う。
狙いはローズ様のドレスだ。
ここでドレスが汚れれば、ローズ様は激昂し、アリスを罵倒するだろう。
それがアリスの狙いだ。
(――させるか!)
「せいっ!」
私は生垣から飛び出した。
空中の紅茶。
落下予想地点はローズ様の膝元。
私はこんなこともあろうかと、事前に用意していた撥水性の高い黒い布(私にしか見えていない黒子専用特別道具)を瞬時に広げ、ローズ様の膝の上にふわりと被せた。
同時に、反対の手でアリスの腰を軽く突き、彼女が倒れる方向を修正する。
バシャッ!
紅茶は黒い布の上で弾かれ、床へと散らばる。
アリスは私の誘導によって、誰もいない空間へと尻餅をついた。
一瞬の後、私は布を回収し、再び生垣へと戻る。
神速の早業。
周囲からは、「アリスが転んで紅茶をぶちまけたが、奇跡的にローズ様にはかからなかった」ようにしか見えないはずだ。
「……あら?」
ローズ様は目をぱちくりとさせている。
自分のドレスが無事なことに気づき、そして床に座り込んだアリスを見下ろした。
「……何という粗相ですの」
ローズ様が冷たく言い放つ。
周囲がざわつく。
「酷い、手を貸してあげればいいのに」という空気が流れる。
だが、ここで終わらせては二流だ。
私は生垣から小石を弾き、ローズ様のハンカチが入ったポシェットの留め具を正確に撃ち抜いた。
ポシェットが開き、純白のハンカチがふわりと落ちる。
ちょうど、アリスの手元に。
「あ……」
アリスが顔を上げる。
ローズ様は慌ててポシェットを押さえるが、もう遅い。
彼女は顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
「……使いなさい。床を汚したままでは、王宮の美観を損ねますからね」
完璧だ。
罵倒しながらもハンカチを恵んでやる、慈悲深い悪役令嬢の完成である。
遠くからこの様子を見ていた人物がいる。
エオメル様だ。
銀髪に眼鏡をかけた知的な美青年。
彼は静かにその光景を目撃し、眼鏡の奥の瞳を細めた。
(……彼女は、咄嗟にハンカチを落としたのか? 素直に渡せず、あのような形で……不器用な人だ)
聞こえる。私には聞こえるぞ。
エオメル様の好感度が上がる音が!
(よっしゃぁぁぁ!!)
私は生垣の中で、静かにガッツポーズを決めた。
◇◆◇
そんな私の神懸かり的なアシストは続き、季節は巡り、運命の夜がやってきた。
学園の卒業記念舞踏会。
乙女ゲームにおける最大のイベント、「婚約破棄」の舞台だ。
シャンデリアの煌めく大広間。
第一王子が、アリスの腰を抱き寄せ、高らかに宣言する。
「ローズ・マリー! 貴様の陰湿な嫌がらせにはもう我慢ならん! ここで婚約を破棄する!」
王子の声がホールに響き渡る。
音楽が止まり、静寂が訪れる。
ローズ様は顔面蒼白だ。
シナリオ通りなら、ここでローズ様は魔法を暴発させて自滅する。
だが、私はこの日のために特訓を重ねてきた。
私はシャンデリアの上から、ローズ様めがけて念話を発する(まあ聞こえてはいないが)。
(さあ、ローズ様。背筋を伸ばして。扇子で口元を隠し、冷ややかに微笑むのです)
ローズ様は震える膝に力を込め、顎を上げた。
「……左様でございますか。殿下が真実の愛を見つけられたのなら、わたくしが口を挟むことではありませんわ」
その声は凛として、会場中の空気を凍らせた。
王子がたじろぐ。
「な、なんだその態度は! 泣いて縋るのがお前の役目だろう!」
「見苦しいですわ、殿下」
素晴らしい。
これぞ、私が手塩にかけて育て上げた最強の悪役令嬢(推し)!
シャンデリアの上で、私は感動に打ち震えながら、心の中でペンライトを振り回していた。
さあ、ここだ。
舞台は整った。
ここでエオメル様が登場し、孤立したローズ様を救い出す!
ここが、ハッピーエンドへの正規ルートの入り口なのよ!
……なのに。
(……何をしているの、エオメル様?)
銀色の髪が照明に照らされ、眼鏡の奥の瞳は、確かにローズ様を捉えている。
彼は拳を握りしめ、一歩を踏み出そうとして――止まった。
また踏み出そうとして――止まった。
迷っている。
あの「冷徹公爵」と呼ばれるエオメル様、実は中身が相当慎重なタイプらしい。
ローズ様のプライドを傷つけないか、出る幕ではないのではないか、そんな逡巡が見て取れる。
だが、今行かずしていつ行くと言うの!
(あーもう、じれったい。私がひとっ飛びして背中を押してやるか)
私が業を煮やし、エオメル様の背後へ降下しようとロープを握りしめた、その時だった。
エオメル様の上体が、不自然に前のめりになった。
「おっ……と……」
まるで背後から誰かにトン、と背中を押されたかのように、エオメル様の足がタタッと前へ出る。
彼は少し体勢を崩したが、その勢いのままホールの中央へ――ローズ様の方へと歩み出た。
止まれないエオメル様。
ローズ様とぶつかる寸前、彼はなんとか足を踏ん張り、勢い余って彼女を抱き留める形になった。
「キャッ……?」
「……し、失礼」
少し強引だが、静止画で見れば完璧な抱擁だ。
会場から「きゃあ……」と吐息のような歓声が漏れる。
私はシャンデリアの上で、ほっと胸を撫で下ろした。
ちょっと躓いたようにも見えたけれど、結果オーライだ。
エオメル様、ようやく覚悟を決めて飛び出したのね。偉いわ。
エオメル様は震える手で眼鏡を直しながら、王子に向き直った。
「……殿下。もう彼女は貴方のものではない。ならば、私が彼女を貰い受けてもよろしいですね?」
声が少し裏返っていたが、言ってることは男前だ。 王子が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「エオメル! 貴様、何の真似だ! 僕の断罪劇を邪魔する気か!」
王子が逆上し、近くのテーブルにあったワイングラスを掴んだ。
投げる気だ。
視線は、憎いローズ様の純白のドレスに固定されている。
させるか!
私の推しは、最後まで美しくあれ!
私はロープを一気に緩め、重力に身を任せて落下した。
床スレスレで制動をかけ、滑空するように王子の手元へ迫る。
王子がグラスを振りかぶった瞬間。
私は手刀で、王子の手首を鋭く弾いた。
パシッ。
「あぐっ!?」
手首を弾かれたことで、指先の力が抜ける。
投げられたはずの赤ワインは、王子の手を離れるタイミングが狂い、ほぼ真上に上がってしまった。
そして重力に従い、王子自身の顔面へと降り注ぐ。
バシャァ!
顔面ワインまみれになり、呆然と立ち尽くす王子。
無様な姿に、会場の空気が弛緩する。
私は音もなく床を転がって衝撃を殺し、ローズ様の足元へ移動して待機姿勢をとった。
これで最大の危機は去った。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
ここから二人が愛を育み、本当の意味で結ばれるまでが私の仕事だ。
◇◆◇
婚約破棄騒動を経て、エオメル様はローズ様を連れて堂々と城を出た。
ここからは、二人の仲を深めるためのデートイベントが目白押しだ。
まずは、王立図書館での勉強デート。
静かな館内。
二人は並んで本を読んでいる。
ローズ様が高い棚にある本を取ろうとして、手が届かない。
(チャンスです、エオメル様。背後から取ってあげて)
私が念じるまでもなく、エオメル様が動いた。
一歩踏み出し、ローズ様の背後に立つ。
あら、珍しくスムーズ。
もっとモジモジするかと思ったのに。
「……私が取ろう」
「あ、ありがとうございます」
よしよし、順調だ。
次は、湖畔のボートデート。
エオメル様が漕ぐボートに、ローズ様が乗っている。
いい雰囲気だ。
だが、風向きが変わった。
ボートが流され、木陰の暗がりに入りそうになる。
そっちはムードがない。
夕日が一番きれいに見えるポイントへ誘導しなければ。
私は水中に潜り(もちろん黒タイツの上から足ヒレ装備だ)、ボートの底をそっと押し、舵を修正する。
「おや、風が変わったかな」
「ふふ、エオメル様、あちらの夕日が綺麗ですわ」
水面下で必死にバタ足をする私を知らず、二人はロマンチックな時間を過ごす。
エオメル様、ボートの操縦、上手いな。
そういうの苦手そうなのに。
てか、あの拙いオールさばきで、なんであんなに綺麗にボートが動くんだろ?
私の微調整に合わせて、うまく漕いでくれている。
まあ、手がかからなくて助かる。
そして、ダンスの練習、街へのショッピング、夜会へのエスコート。
私は常に影に潜み、ローズ様のドレスの裾を直し、躓きそうな石を退け、二人の距離が近づくよう物理的にサポートし続けた。
不思議なことに、エオメル様も回を重ねるごとにスマートになっていった。
最初の頃の不器用さが嘘のように、絶妙なタイミングで手を差し伸べ、ローズ様を気遣う。
愛の力ってすごい。
あの堅物公爵を、ここまでエスコートが出来る人間に変えるなんて。
(ふふ、私の仕事がなくなる日も近いかも)
私は少しの寂しさと、大きな誇らしさを胸に、最後の仕上げに取り掛かることにした。
◇◆◇
そして、やってきた。
二人の関係を決定づける、街のカフェでのデート。
ここでの告白イベントこそが、私がヒロインへ転生するための最終条件だ。
テラス席。
夕暮れの柔らかい光が、二人を包んでいる。
私はテーブルの下に潜り込み、息を潜めていた。
ここなら、何かあっても即座に対応できる。
会話が途切れ、沈黙が落ちる。うんうん。いい沈黙だ。
「……ローズ」
「はい」
エオメル様が口を開く。
その声には、もう迷いはない。
「今まで、君と過ごしてきて……私は知ったんだ。君の強がりなところも、本当は優しいところも」
テーブルの下で、私は激しく頷く。
そうでしょう、そうでしょう。
うちのローズ様は最高なんです。
「私は、君を愛している。……これからもずっと、隣にいてほしい」
うひょー! キター! 愛の告白っ!
エオメル様の手が、テーブルの上でローズ様の手を求めて伸びる。
ローズ様も、恥じらいながらそっと手を差し出す。
指先が触れ合い、そしてしっかりと握り合う。
温かな体温が伝わってくるようだ。
「……はい。私でよろしければ……喜んで」
ローズ様が涙ぐみながら微笑む。二人の心が、完全に通じ合った瞬間。
――カァァァッ……!
私の全身が、内側から熱くなった。
今まで世界を覆っていた薄暗いフィルターが、急速に剥がれ落ちていく感覚。
視界が、鮮やかになる。
夕焼けのオレンジ色が目に痛いほど眩しい。
コーヒーの香りが、鮮烈に鼻をくすぐる。
そして、身体が重くなった。
今まで空気のように軽かった身体に、確かな「質量」が戻ってくる。
膝についた地面の砂利の感触が、リアルになる。
……あ、これ?
来た!?
終わった!? 私の黒子としての長い役目が!
今この瞬間、ハッピーエンドと共に完了したってこと!?
私はこみ上げる達成感に震えた。
ついに、私はこの世界の住人として、光の中に立てる。
きっと今頃、私の全身タイツは光に包まれて、素敵なドレスに変わっているはず!
「やっほーい!! ここからは私のヒロインライフの始まりだー!!」
私は思わず叫んでいた。
テーブルの下から勢いよく飛び出し、二人の真横で両手を突き上げ、ガッツポーズをした。
「……えっ?」
低い、男の声がした。
エオメル様の声じゃない。
それと同時に、甘い空気が凍りついた。
ローズ様もエオメル様も、繋いだ手をそのままに、呆然と私を見ている。
カフェの客たちも、店員も、全員が私を見ている。
ん?
あれ?
なんでそんな「不審者を見る目」なの?
「わあ、素敵なご令嬢」っていう反応じゃないの?
私は恐る恐る自分の体を見た。
漆黒の指先。漆黒の腕。テッカテカのポリエステル素材。
……嘘でしょ。私、まだ全身黒タイツのままなんですけど!?
てっきり、人間として認識される(ヒロイン昇格)=美少女アバター(可愛いドレス付き)ゲットだと思ってたのに!?
これじゃただの「見えるようになった不審者」じゃん!!
「……えっ?」
ローズ様が、目をまん丸にして呟く。
「く、黒い……人? 突然……? えっ、いつの間に……?」
あ、やば。
どうしよ。
でも、待って。
さっき聞こえた「えっ?」という男の声。
あれ誰?
私は恐る恐る、横を向いた。
私の目の前。
エオメル様の椅子のすぐ後ろ。
そこには。
私と同じように全身を漆黒のタイツで包み、黒い頭巾を被った背の高い男が立っていた。
彼もまた、ガッツポーズの途中のような格好で固まっている。
えっ?
あいつ、私と同じ『黒子』じゃん。
……あ。
あの舞踏会での不自然な一歩。
図書館でのスムーズなエスコート。
ボートでの完璧な操縦。
全部、エオメル様の才能じゃなかった。
こ……こいつがやってたのか……!?
黒タイツの男と、黒タイツの私。
感動的な告白シーンのど真ん中で、不審者二人が見つめ合う。
男の目が、頭巾の奥で見開かれているのが分かった。
私も、きっと同じ顔をしている。
「「……えっ?」」
私たちの声が重なる。
嘘でしょ。
公爵様には公爵様で、専属の黒子がいた!?
そして彼もまた、今この瞬間、主を幸せにして「人間」としての生を得てしまった!?
突然現れた二人の黒い不審者に驚く、ローズ様とエオメル様の「えっ?」
まさかの同業者の出現に驚く、私と彼の「えっ?」
四人の「えっ?」が綺麗に重なり合い、夕暮れの街にこだまする。
◇◆◇
カフェテラスは沈黙に包まれていた。
夕暮れの風が吹き抜け、私の黒い頭巾を揺らす。
まず、状況を整理しよう。
私と、目の前の謎の黒子男(名前はノワール・ブラックと言うらしい)は、それぞれの主の恋を成就させた。
その結果、特典が発動し、世界から「認識される」存在となった。
しかし、衣装は黒タイツのまま。
つまり、現在、公爵カップルの真横に、二人の不審者が直立不動で立っているという地獄絵図だ。
「……あー、その。平たく言うと、そういうわけでして……」
最初に口を開いたのは、エオメル様だった。
彼は眼鏡の位置を直し、隣に立つ長身の黒子男を見上げ、それから私を見た。
「つまり……君たちは……妖精、か何かかな?」
……はい?
ローズ様も、おずおずと口を開く。
「そうね……。私のピンチをいつも助けてくれていた、黒い妖精さん……?」
なるほど。私たちの物理的干渉は、見えない何かの力(後押し)として、それを妖精の類として、神秘的な力のひとつと認識していたのか。
この世界の人間の脳内補完機能、優秀すぎる。
確かに、いきなり「私は前世の記憶を持った舞台装置でーす」なんて言われても理解不能だろう。
ここは乗っかるしかない。
私は咳払いを一つして、できるだけ神秘的な声を出した。
「左様でございます。わたくしたちは、お二人の愛の守護精霊……的な?」
「的な、何かです」
目の前の男、ノワールも低い声で合わせる。
ナイス連携だ。プロ黒子同士、伊達じゃないアドリブ力。
エオメル様が納得したように頷く。
「なるほど。あの時、私の背中を押してくれたのも、図書館で本を取らせてくれたのも、君か」
「……御意」
「ローズを守ってくれていたのも、そちらの彼女なのだね」
「イエス、サー!」
エオメル様とローズ様は顔を見合わせ、そして私たちに向かって深く頭を下げた。
「ありがとう。君たちがいなければ、私は勇気を出せなかった」
「私もです。……お姿は見えなくとも、いつも温かい『力』を感じておりました」
二人の純粋な感謝の言葉が、胸に刺さる。
やめて、そんなキラキラした目で見ないで。
私はただ、自分の「特典」のために、物理的に背中をどついたり、足を引っ掛けたりしていただけなんだから。
「……礼には及びません」
「お二人が結ばれたことこそ、我らの喜び」
私とノワールは同時に一礼した。
そして目配せする。
(これ以上ここにいたらボロが出る)
(撤収だ)
「では、我々はこれにて! えー……天界的な所に帰りますので!」
「ありがとう。私の守護精霊さん」
「お幸せに。私の愛しいローズ様」
私は懐から煙玉(小麦粉入り)を取り出し、足元に叩きつけた。
ボンッ!
白い煙が晴れた時、テラス席から二人の黒子の姿は消えていた。
……実際には、煙に紛れて全速力で裏路地へダッシュしただけなのだが。
◇◆◇
「はぁ、はぁ……!」
カフェから二つ角を曲がった、人通りのない路地裏。
私たちはそこでようやく足を止めた。
膝に手をついて息を整える。
呼吸ができる。
肺に空気が入ってくる感覚が、以前より生々しい。
やはり、私たちは完全に「人間」になったのだ。
「……おい」
背後から声がかかる。
振り返ると、ノワールが腕を組んで壁にもたれかかっていた。
彼は黒い頭巾に手をかけ、バサリと脱ぎ捨てた。
夕日に照らされたその素顔を見て、私は息を呑んだ。
黒髪に、意志の強そうな瞳。
鼻筋の通った端正な顔立ち。
悔しいけれど、かなりの美形だ。
エオメル様が「朝の貴公子」なら、こっちは「夜の騎士」といったところか。
「……随分と荒っぽい逃げ方だな。小麦粉まみれだ」
「うるさいわね。とっさの判断よ」
私も頭巾を脱ぐ。
長い黒髪が背中に広がる。
ノワールが、少しだけ目を見開いた気がした。
「……へえ。中身はそんな顔をしていたのか」
「悪かったわね、地味で」
「いや。……意外と、普通に……可愛いなと思って」
さらっと言うな、さらっと。
私はカッと熱くなる頬を隠すように顔を背けた。
こいつもしかして、エオメル様の専属やってたせいで、無意識にキザなセリフを学習しちゃってる?
「……整理しましょう。貴方も『転生者』でしょ?」
「ああ。目的はエオメル様を幸せにして、『ヒーロー』の転生特典をもらうことだった」
「私はローズ様を幸せにして、『ヒロイン』になること」
私たちは互いの素性を明かし合った。
敵ではなかった。
むしろ、同じブラックな職場環境で、誰にも認識されずに戦い抜いてきた「戦友」だ。
「あの舞踏会の日」
ノワールが口を開く。
「エオメル様が動かないから、焦っただろう」
「焦ったなんてもんじゃないわよ。二度と動かないかと思ったわ」
「タイミングを見てたんだ。エオメル様にとって、最高のタイミングをな」
「おかげでこっちは生きた心地しなかったわよ」
ぷっ、とノワールが吹き出した。
私もつられて笑ってしまった。
「あはは! まさか、あの場に私以外の黒子がいたなんて!」
「こっちも驚いた。ローズ様にとってあまりにも都合よく進むものだからな」
笑い合う声が、路地裏に響く。
不思議な感覚だった。
誰にも見えない、誰とも話せない孤独な数年間。
その苦労を、笑い話として共有できる相手が、この世界に一人だけいたなんて。
ひとしきり笑った後、ふと沈黙が訪れた。
「……で、これからどうする?」
私が聞いた。
ノワールは腕を組み、空を見上げた。
「任務は完了した。俺たちは人間になった。……だが、それだけだ」
彼は視線を落とし、困ったように笑った。
「家もなければ、金もない。あるのはこの薄汚れた黒タイツと、無駄に鍛えられた体力だけだ」
「最悪ね。ハードモードすぎるわ」
私はため息をついて、へなへなと地面に座り込んだ。
背中の壁が冷たい。
お腹がグゥ、と鳴った。そういえば、朝から何も食べていない。
黒子の時は、お腹も減らなかったし体力も無限に感じた。
でも、ヒロインになった途端、空腹という現実的な問題に直面するなんて。
「なあ、クロエ」
ノワールも隣に腰を下ろし、膝を抱えた。
二人の間に、静かな空気が流れる。
「俺たちは、ずっと誰かのために生きてきた。自分の人生なんて二の次で、影に徹して」
「……うん」
「でも、これからは違う。俺たちは、自分のために生きていいんだ」
彼の言葉が、じんわりと胸に染みる。
自分のために生きる。
そんな当たり前のことが、私たちにはずっとできていなかった気がする。
自分たちが幸せになるためにしていた事だから、当たり前といえばそうなんだけど。
ノワールが、そっと私の方を向いた。
夕闇の中で、彼の瞳だけが真っ直ぐに私を捉えている。
「俺は、お前の働きぶりを見ていたわけじゃない。お互い、姿なんて見えなかったからな」
彼は自嘲気味に笑った。
「でも、感じてはいたんだ。あの大広間で、必死に空気を変えようとする誰かの気配を。……孤独な戦いをしていたのは、俺だけじゃなかったんだって」
ドキリとした。
私も同じだったからだ。
あの時、エオメル様が不自然に動いた瞬間。
私はそこに、自分と同じ「誰か」の意志を無意識に感じてた。
見えなくても、言葉を交わさなくても。
同じ目的のために、同じ熱量で走っている誰かがいるという事実が、どれだけ救いだったか。
「この世界で、俺たち以上に互いを理解できる人間なんて、いないと思う」
彼の大きな手が、そっと私の手に重ねられる。
黒い手袋越しに伝わる体温。
それは、どんな言葉よりも雄弁に「一人じゃない」と告げていた。
「一人じゃ、ここから先の自由な人生、どう歩いていいか分からない。……だから」
彼は一度深呼吸をして、真剣な声で言った。
「俺と一緒に生きてみないか? 飽きたら捨ててくれればいい。……俺が、お前のヒーローになれないかな」
それは、甘い愛の告白というよりは、戦友への誓いに近かったかもしれない。
でも、私にはそれが何より心地よかった。
着飾った言葉も、ドラマチックな演出もいらない。
ただ、この薄汚れた路地裏で、隣にいてくれるだけでいい。
目頭が熱くなるのを堪えて、私は精一杯強がって見せた。
「……条件がある」
「な、なんだ?」
ノワールが少し身構える。
「私は、ただ守られるだけのヒロインなんて御免なの。……あんたの背中、私が守ってあげる。だから、あんたも私に背中を預けてよ」
私が指を突きつけると、ノワールは目を丸くし、それから吹き出した。
「ははっ! ……そうだな。それはいい。元・黒子の俺たちにピッタリだ」
彼は嬉しそうに目を細めた。
「返事は?」
「……断る理由がないだろ? 俺はこの世界で、これだけ多くの人がいるのに、君しかいないと思ってしまってるんだから」
路地裏の薄暗がり。
誰からも見向きもされなかった「舞台装置」の二人が、今、初めて互いを「主役」として瞳に映す。
まだ、これを恋と呼ぶには早いかもしれない。
でも、繋いだこの手の温もりだけは、絶対に離したくないと思った。
◇◆◇
それから、私たちは大忙しだった。
まずは着るもの。
いつまでも黒タイツでいるわけにはいかない。
私たちは古着屋に駆け込み、最低限の服を買った。
私はシンプルなワンピース、彼は麻のシャツと作業ズボン。
袖を通した瞬間、「意外と似合ってるじゃん」「あんたこそ、馬子にも衣装ね」なんて笑い合った。
黒くない自分たちの姿を見るのは、なんだか照れくさくて、でも新鮮だった。
次に、住む場所と仕事。
王都にいると「妖精さん!」と拝まれそうなので、少し田舎の町へ移り住んだ。
一軒の小さな空き家を借りて、もちろん同居だ。
「お金がないから仕方ない」という建前だったけれど、本当は、もう一人になりたくなかったから。
ノワールは、その驚異的な身体能力を活かして配送業を始めた。
屋根から屋根へ飛び移り、どんな悪路も走破する彼は、瞬く間に「町一番の速達便」として人気者になった。
私は、仕立て屋で働き始めた。
ローズ様のドレスを修繕し続け、時には一瞬で刺繍を施してきた。その技術は伊達じゃない。
「魔法の手を持つ針子」として、驚くほどの評判だ。
そして、数ヶ月後。
「ただいまー。……腹減った」
夕暮れ時。仕事を終えたノワールが帰ってくる。
玄関のドアが開く音。
かつての「音もなく忍び込む」癖は抜け、彼は堂々と足音を立てて帰ってくる。
「おかえり。今日はシチューよ」
私はエプロン姿で出迎える。
狭いキッチン。
質素なテーブル。
でも、ここには確かな「生活」がある。
「ん、うまそう」
彼は椅子に座ると、私の腰に手を回し、自然な動作で頬にキスをした。
最初は真っ赤になって怒っていた私も、最近はようやく慣れてきた。
……少しだけ、待っている自分がいることにも気づいている。
「……ちょっと、汗くさい」
「働いた男の勲章だろ」
「はいはい。……お疲れ様、私のヒーロー」
私がクスクス笑うと、彼も照れくさそうに笑った。
その笑顔を見るだけで、一日の疲れが溶けていくようだ。
窓の外を見る。
遠く王都の空には、一番星が光っている。
風の噂では、エオメル公爵とローズ・マリー嬢の結婚式が、来月盛大に行われるらしい。
きっと素晴らしい式になるだろう。
でも、もう黒子の出番はない。
彼らは彼らで、手を取り合って、自分たちの足で歩んでいけるはずだ。
私たちがいなくても、もう大丈夫。
そして、私たちも。
「なあ、クロエ」
「ん?」
「明日の休み、隣町の市場に行かないか? 可愛いリボンを見つけたんだ」
「……へえ。私に?」
「他に誰がいるんだよ」
彼はスプーンを口に運びながら、ぶっきらぼうに言う。
耳が少し赤い。
相変わらず、キザになりきれないところが愛おしい。
私はシチューを一口食べる。
温かい。味がする。愛しい人が、隣にいる。
テーブルの下。
私の足に、彼の足先がコツンと当たる。
それはかつての「足払い」でも「合図」でもなく、確かな愛の証。
私は彼の足先に、自分の足先を絡めた。
「ふふっ」
「フッ」
毎日はそうして過ぎていく。黒子らしい私たちに見合った、地味な日常。
けど、幸せな日常。だーれも知らない、ヒロインとヒーローの、小さな恋の、日常。
私のハッピーエンドは、ここにあったみたい。
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