不死身のウサギは安らぎを願っている
ねえウサギ、覚えてる?私と関わるようになったあの日の出来事のことを。随分前のことのように思える。けれど私は今でも昨日のことのように思い出すことができる。
高校の二年生だった私、浦島香夜子はクラスメイトだったあなたのことを名前と容姿くらいしかあなたのことを知らなかった。付け足すなら陰気臭いかな、という印象くらいだった。とりわけ目立つ男子生徒ではなかった。
だけど一つだけ気になった出来事がある。私達の学校では他の高校から見ても珍しく学生自らが動物を飼育しており、その担当にクラス毎で飼育係が存在する。クラスによって種類が違っており、小さい動物はハムスターからでかいものに至ってはヤギを飼うクラスもあった。
一年生の頃の私達の学年ではウサギを3羽飼っておりとても大切に育てられていた。しかし、霜が降りることが増えた12月頃、3羽のうち1羽である栗色のウサギが老衰で亡くなってしまったのだ。亡骸は学校の方針で係の者が中心に葬儀を行い学校の敷地内で供養された。
飼育係はもちろんだがそのウサギを可愛がっていた生徒、特に女子たちはとても悲しんでいた。私もその一人であった。みんなが供養が終わり続々と教室へ戻っていくなか。墓の前で手を合わせたままのあなた、宇佐見義仁を見かけた。悲しんでるでもなく真剣に。雲一つない青空のように純粋に。1羽のウサギのために祈りを捧げていた。あなたはあのとき何を思っていたのだろう。
その日のことが気になっていたので偶然見かけた彼を追いかけていた。いまではストーカーだと言われそうである。そのときはそんな認識はなく家はどのあたりなのだろうか、と気になったくらいの感覚だった。彼と対面で関わることはいままでなかった。だから今度話すきっかけでもあればと思って付いていったのだ。
大きな通りを抜けて脇の道を進むと住宅街へと入っていった。犬を連れた主婦とすれ違ってゆく。挨拶したらバレてしまうと思ったが会釈だけで済んだ。茶色のトイプードルがこちらに興味を持ちながらも散歩コースへと戻っていった。
爽やかな風がマフラーを巻いていた首元を乾かしてゆく。半月前まで手が悴むほどの寒さだったが徐々に春の陽気へと近づいているのを感じる。少し歩くと汗が滲んでいる。
それにしても流星の家は一体どこなのだろう。住宅街に入ってしばらくだったが未だに歩き続けている。このままだと家が集まる地域を抜けてしまう。この先は如月神社の方面だ。
この神社は地元の住民なら一度は行ったことはあるお馴染みの場所である。自身も同じ地区の友人と初詣に行く際はよくここに来ていた。
御利益は恋愛であると聞いているがその知名度は余りないように感じる。実際に知っている人は全体の何割もいないのではないか。
住宅街を抜けて緩い上り坂の山道に入っていく。地元の人間が利用するだけあって道路は舗装されていて車がすれ違えるくらいには広く、車道と歩道の間には縁石が設けてあるため歩いて向かうのにも安心な行路となっている。
小学生のころはこの坂を登るだけでも一苦労だったがいまでは余裕だ。流行りすぎて追いつかないように距離を離しながら追跡を続ける。
宇佐見が足を止めると同時に恵も足を止める。歩いているより止まる方が足音が立ちそうな気持ちになり足がこわばってしまったが音を立てずに済むことができた。立ち止まった理由はとうとう神社本殿の前までたどり着いてしまったからだ。
見つからないように鳥居の陰に身を隠しながら覗くと彼は鳥居と本殿の広間の真ん中で立ち尽くしていた。何か考え事をしてるでも黄昏ているでもなく本殿の方を睨みつけていた。まるで目の前にナニカがいるかのように。
「俺に何のようだ、化け物め」
突然宇佐見が声を上げたためつい自分も声を出しそうになった。香夜子にではなく他の第三者に向けてであったため頭が混乱しそうになる。こちらから見えない位置に誰かいるのだろうか、と思い周りを見渡すがそれらしき影は一向に見つからない。そう思ったのも束の間だった。
『分かりきったことを言うな、呪いの子よ』
初老の男のような声が聞こえた。低く落ち着いたような口調。しかし、その声には哀れみと怒りが込められていた。姿と同じくどこから声がするのか全く分からなかった。
『其方はこの世の理を離反しすぎている。今すぐ死ぬべきだ』
「それはお前もじゃないのか?神よ」
『神には役割がある。人間の願いを叶えて信仰を得る。そうすることで我らは存在できている。だが其方は違う。なぜ縋り付く?役割のないものはこの世の不純物にすぎない』
そう言われて言い返すかと思われた宇佐見は睨みつけたまま黙っている。この世の理、役割、呪い。様々な単語が並べられたが何一つ要領を得ず何を言っているのか香夜子には理解できていなかった。
『だからお前は縋りに来たのだろう。一つの望みを抱いて』
神社の前の空間が歪み始める。その歪みはその先にある本殿が捩れていることである程度の大きさを把握することができた。直径5m程度だろうか?ちょうど本殿の起点にして円形に渦を巻くように捩れていきやがてその中心から穴が広がってゆく。その穴の向こうはただただ向こう側の景色を映しているようにしか見えない。しかし先ほどまで見えていた本殿とは違う場所なのだと思われた。
だが、そんなことを気にしている余裕はなくなる。その景色を覆い隠すように白い大きな両手が現れた。無骨でまるで骨にそのまま皮をかぶせたようなそれは穴をどんどん広げていった。どんどん、どんどん。広がる毎にその手の持ち主の姿が露わになっていきこの世の生物とのどれとも当てはまることのないことを悟られた。
これが神。人間が生涯見ることの叶わないであろう存在の姿。禍々しくも神々しい姿は香夜子の目を奪い自然と涙を流させる。何が人間の願いを叶えるだ。実際に見て分かったのだ。願いを叶えるのではない、神の行った事象が結果的に願いになるのだ。
『望み通り叶えてやろう、呪いの子よ』
そう言って神は自らの指先を宇佐見目掛けて振り上げる。このままでは宇佐見が殺されてしまう。パニックに陥った脳みそはそう直感している。
助けなければ。だけど動けない。
助けなければ。恐怖が身体中を支配している。
助けなければ。どうせなにも知らないクラスメイトなのだから。
助けなければ…絶対に後悔する。そう思った途端香夜子は駆け出していた。土を蹴り上げて足跡を刻みながら必死に。全てがスローモーションに見える。徐々に永遠の死が宇佐見に迫っていく。間に合え、間に合え、間に合え!
その刹那、彼の顔が見えた。はっきりと。何故この状況ではっきり顔を見れたのか分からない。そんな余裕など全くと言っていいほどないのに。だが何故だろう。そんな悲しい顔をしているのは。
目の前が真っ白になった。激しくなった心音も。乾いた空気で荒れた肺の痛みも。何も感じない。そうか、宇佐見の身代わりになって死んだのか。それならよかった、私は胸をそっと撫で下ろした。
『なぜだ、罪なき子よ』
香夜子は身構えた。ここで違和感に気がついた。身体を動かせるのだ。またホワイトアウトしたと思っていた視界は目の問題ではなくこの空間自体が真っ白な世界なのだ。
その空間に香夜子と神は向き合っていた。
『何故願いを邪魔しようとするのだ?あやつこそ死を望んでいる。それを為すのは其方の欲望か?』
「違う!私も宇佐見くんもそんなこと望んでいない」
香夜子は続けた。
「悲しんでいた。あれば覚悟してる人の顔じゃない。何かあるんだよ、きっと。それを知らないで願い事だからって見過ごすことはできなかったかった!」
そう言い切って荒くなった息を整えようとする。まだまだ言いたいことは山ほどある。整ってからまた上げようと思っていた最中、神は静かに口を開けた。
『其方は優しいな。だがその意味を理解していないだろう。それは其方が…』
「関係ない!!」
息が整う前に大声で叫んだ。肺がひりつく。それでも声を上げずにはいられない。
「なんであんたが決める!なんであんたが!呪いがなんだ、願いがなんだ!私はただあんな顔見たくないだけなんだ」
ただ、ただそれだけだった。
神は静かに香夜子を見下ろした。見下ろしつつもその姿はまるで小さな人間を敬っているようだった。敬意を払っているようだった。彼女の敬意に倣って。
『ありがとう、小さき人間よ。私は過ちを犯していたのかもしれない。干渉してはいけなかったのかもしれぬ』
その声は先ほどより優しげだった。
神はそっと細い右手を香夜子の頭の上へと持っていく。香夜子はその急な変わりそうに戸惑っていた。
『悲しい顔を見たくない、か。あやつのことは其方に任せた方がよいのかも知らぬ』
頭の上で光が灯り始める。
「こ、これは一体」
『私の力を少し分け与えよう。其方が手を下せば呪いの子を葬ることができよう』
「だからそんなことは」
『ならば見つけるがよい、答えとやらを』
香夜子は神社の境内に立っていた。空は夕焼けでオレンジ色に染まっている。先ほどから時間が経っていたのだろうか。目の前に宇佐見がこちらを向いて立っていた。
「早く殺してくれ」宇佐見はそう言った。
その顔に先ほどの感情は籠っていない。生き物としての思考が感じられない。
「いやだ、絶対に殺さない」
香夜子は否定した。
「殺さないならお前の友人を殺す」
「そんなことさせない」
「やらないならお前の親を殺す」
「させない」
「お前の目の前で切り刻…」
「やるなら私が死んでやる、臆病者!!」
いつの間にか手にしていた日本刀を自分の喉に突き立てる。これは神が私に分け与えた力、不死を殺せる神具だと理解した。
「私はお前を殺せる、でもしない。それは貴方の願いじゃないから。あんたみたいなウサギ野郎は満足してから死になさいよ」
ウサギという言葉を聞いた途端、宇佐見かま露骨に嫌そうな顔をしたのを香夜子は見逃さなかった。
「そういやお前同じクラスの浦島だったか?見ていたのか」
「そうよ、見ていた。女々しいウサギ野郎」
「弱みを握ったつもりか、この亀女」
「亀だろうがなんだろうがなんでもいい…あんたの願いを叶える。絶対に…絶対に!」
宇佐見が呆気に取られてるなか香夜子は決意を固めていた。もう悲しむことなんてさせない。幸せに看取ってあげたいと。まだ枝に残っていた紅葉が落ちて香夜子の頭に乗っかった。
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