9 ルシアン王太子
ルシアンは、暗い金髪と、透き通るブルーの瞳を持つ美しい王太子だった。
繁栄の印を肩に持つ、国の至宝である王太子は、アニエス同様、鉄壁の護衛に守られていた。
夜は自室、昼は執務室、普段は食事以外でそこから出てくることはあまりない。
王宮に来てからというもの、レティーナがルシアンと言葉を交わしたことは、指で数えられるほどしかなかった。
そしてそのどれもが、あまりに形式的で、他人行儀だった。
「ご機嫌よう、レティーナ嬢」
「お変わりありませんか」
「何か不都合なことがあったら言ってください」
丁寧で、淀みのない言葉。だがそこには、感情の起伏も、興味も見えなかった。
それは、アニエスに対しても同様だった。少しばかり会話の数が多い時もあるが、それもまた礼儀の延長に過ぎなかった。
だからレティーナは、あることに気づいてしまうたびに、混乱するのだ。
図書室で本を読んでいたとき。
廊下の窓辺に立って鳥を見ていたとき。
そして、くしゃみをしたとき。
ふとした瞬間、視線を感じることがある。探るような、調べるような静かな圧。
顔を上げても、ルシアンはすでに目を逸らしているか、あちらの方を向いていた。
「気のせいだわ」
そう思って首を振る。だが、それは一度ではなかった。
(どうして……? あの人は、私に興味なんてないはずなのに)
けれど、その理由は、レティーナには分からない。
でも、ある日気づいた。ルシアンと出会った日は必ず何かしら良い変化があるのだ。
例えば、食事の量が増えたとか
例えば、近衛騎士の護衛がついたとか
例えば、風邪気味の日、侍女がハーブティーを用意してくれたとか。
ある日、廊下の窓際で庭を見下ろしていたレティーナは、ふと足音に気づいて振り返った。
ルシアンが、いつも通り多数の護衛を引きつれ、颯爽とした足取りで歩いてくる。
「ルシアン殿下。ごきげんよう」
レティーナが慌ててお辞儀をすると、ルシアンは足を止め、いつものように微笑んで言葉を返す。
「ごきげんよう、レティーナ嬢。今日は冷えますね。お風邪など召されぬよう」
それだけ言って、彼はまた歩き去っていく。声も顔も、相変わらず他人行儀。けれど――
(……あれ?)
レティーナはふと気づいた。
ルシアンのその態度は、アニエスにも、まったく同じなのだ。
誰に対しても、変わらない。特別に優しくもなければ、冷たくもない。
ましてや、媚びたり、見下したりもしない。
(もしかして……公平に接してるのね。アニエスに対しても、私に対しても)
それは、思っていたよりずっと――
「心地いいわね」
レティーナは、誰にも聞こえないように、小さく微笑みながらつぶやいた。